「私の身体は、私の生存も健康も全体として気にかけていない国家が、その目的と手段のために使う道具ではない」
南アフリカの医師、Dr. T(ドクター・T)が、若い世代の声として紹介した言葉だ。
2026年7月、ジョイセフ「SRHR for All」によるメディア向け勉強会が開かれた。
ドクター・Tこと、トラレン・モフォケン医師。同月まで国連「健康への権利」特別報告者を務め、女性として、アフリカ出身者として初めてこの職に就いた人だ。
法学者でジョイセフ理事の谷口真由美氏と、日本のSRHRの現状を語り合った。
前編では、ドクター・Tが語った「SRHRにおける情報発信の課題」についてまとめている。
前編:その言葉はスティグマを根付かせていませんか?元国連特別報告者 ドクターTが伝えたいこと

通りすがりの人に「免許証を見せろ」と言われたら、あなたは止まりますか
谷口: ドクター・Tの著書に、性は生殖のためだけではなく、個人の尊厳と快楽(プレジャー)のためのものだという記述があります。私もずっとそう思っています。
子どもを産むか産まないかの性教育は、人生の中のある一瞬でしかない。
女性の人生であれ、男性の人生であれ、それ以外の方の人生であれ、長い人生の中での性教育には、本来プレジャーが入っていないといけないと思っています。
日本では本当の意味でのプレジャーが、ちゃんと理解できていない気がしています。
日本の教育では、どうしても人権教育ではなく、道徳教育に時間が割かれています。「人には優しく、思いやりを持って」と伝えられますが「思いやり、優しさ」と「人権」は全く違います。
プレコンセプションケアにおいても「優しい予防医療」になっているところがある。
各国、宗教や文化による道徳的な規範があります。日本でも、道徳的規範のほうが人権より勝っている部分がある。そのような状況に対して、どう思われますか?
ドクター・T: すべての社会に共通して見られる現象です。
特に性と生殖に関する健康と権利、女性の健康、そしてLGBTQ+の人々に関わる分野において、国家や非国家主体、さらには個人までもが、私たちの本来的な自己決定権を、国家が管理するための道具であるかのように扱い、それを尊重しないという状況があります。
そこでは、宗教や道徳、規律を用いた感情的な脅しが使われます。
「素行が悪い」とみなされた女性や、性的な事柄に関心を持っていると見なされた若者には、社会的な制裁が明確に存在します。
しかし、思春期を通じて自分の身体や感情について知りたい、理解したいと思うこと。それは、私たちの誰もが経験してきたことです。
ただ、その線を狭く、きっちりと踏み外さずに歩く人たちもいます。シスジェンダーで異性愛を前提とした世界が引いた線です。
線の内側に留まっているかぎり、「行儀が悪い」「少し枠をはみ出している」と見なされた私たちが受ける暴力や罰の対象には、なりません。
この自己決定権をめぐる対立こそが、私の仕事や考え方、特に国連への報告書作成に大きな影響を与えてきました。
一つ例をあげます。車の運転で交通違反があれば、警察に止められるのは当然だと考えます。
ではもし、シートベルトをしていなかったとして、一般市民があなたの車を止めて免許証の提示を求めてきたら、あなたはそれに応じますか?
それは本質的におかしいと誰もが理解しています。なぜなら、そのような監督や取り締まりを行う専門知識と職務を持つ人が他にいるからです。
ところが、セクシュアリティやジェンダーに関する問題、性と生殖に関する健康の情報・教育・サービスとなると、専門である医師の私たちに対してさえ、国家がその診察の範囲を決めようとしてきます。
谷口: どのようなことが起きているのですか?
ドクター・T : さまざまな国の市民から多くの声が寄せられていますが、医師が患者を診察し、ある診断コードを使用すると、その医師が監視対象となり、「なぜ中絶や避妊を求める人を診察しているのか」と説明を求められます。
処方箋の情報が薬局で収集され、医師に説明責任を求める材料として使われている。
その結果、診療報酬を受け取れなくなることもあります。つまり、医療行為そのものが犯罪化されているのです。
これがなぜ人権問題なのかというと、私たちに逃げ場がなくなることを意味するからです。
私たちはこれを、反人権的な動きとして捉える必要があります。これほど高度な科学力と社会システムを持つ先進的な政府が、この一点において、突然すべてが曖昧で理解不能になる。
これは家父長制的な世界の願望の一部なのです。
そして家父長制は、男性以外の人々によっても遂行され得るものです。私はこれを「家父長制的暴力」と呼んでいます。
それは健康を侵害し、教育・情報・サービス・手段が奪われることにつながるからです。
それは、政治的な選択です
ドクター・T: これらは紛れもなく人権の問題です。私たちは、誰もが性と生殖に関する健康情報にアクセスする権利を持っているからです。
WHO、国連憲章、ユネスコ『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』、そしてSDGsも、この事実を確認しています。
問題は、家父長制的暴力が情報・サービス・物資への権利をどこまで、どれだけ長く奪い続けるのを許すのかということです。
それは、近代的な避妊具のような、どのような製品が研究され開発されるか、にまで影響を及ぼしています。
日本を例に考えてみてください。日本の皆さんが作れないような画期的なものなど、何一つないはずです。
近代的な避妊の選択肢において、日本が遅れをとる理由などまったくありません。つまり、それは政治的な選択なのです。
私たちは、これが政治的な選択であるという事実に向き合わないといけません。
なぜ、人権にパブリックコメントを取るのか

谷口 : たとえば緊急避妊薬を日本で入れようと言ったときに、なぜパブリックコメントを取るのかが私には理解できません。
人権に関わることは、パブリックコメントを取ってはいけないと思っています。
そして、その結果「世論が醸成されていません」と言う。こんなことがあっていいのだろうか。どう思いますか?
ドクター・T : 政治家が「国民の60%が良くないと考えているから、私たちは行動を起こさない」と言うのはおかしいです。
多数がそう感じているかどうかは、その施策が正しいかどうかとは関係がありません。
もし「みんなの気持ちや考え」だけを基準に物事を進めていたら、私たちは完全に道を見失います。
性と生殖に関する健康と権利、包括的性教育、そしてヘルスケアにおけるさまざまな選択肢について私たちが語ることの多くは、エビデンスに基づいた情報です。
科学的根拠のある情報です。そしてそれこそが人権の核心です。
政治家が「行動しない」と言えるのは、特権的な立場にいるからです。
一部の医師や看護師が「私はすべての患者を診ています、ただしこの人たちを除いて」と言えるのも、特権的な立場からです。
彼らが「自分たちがコントロールしてきた権力が脅かされている」と感じていることを見抜かなければなりません。
平等と非差別の問題にも目を向けなければなりません。
日本を含む一部の国は「私たちには差別はない」と言います。「年齢や移民としての立場、LGBTQ+であることを理由に差別すべきだ」などとは誰も言いません。
しかし実際は、社会的な規範の一部として、そうしたことが起きています。
だからこそ、報道において「これは政府の政策ではないが、社会的・医療的な現場では確かに起きている」ということを伝える視点が重要です。
あなたたちは、本当は女性を心配していません
ドクター・T :こう問いかけてみてください。
なぜこれほど多くの若い女性が出産後に産後うつを経験するのか。
世界的な傾向を見て、比較してみてください。なぜ、望まぬ妊娠を最後まで継続させられた若い女性たちにとって、自ら死を選ぶことが、選択肢の一つになってしまうのか。
そんななか、出生率の低下を嘆いているのはなぜなのか。
彼女たちは、自分の人生の方向性を自分自身で決める十分な余地や尊重を与えられていない、生身の人間です。
つまり、国は本当は女性のことを心配しているのではなく、新しい赤ちゃんの供給ラインを心配しているだけなのではないでしょうか。
そして私たちは、戦争や軍産複合体や、搾取的な資本主義についても語らなければなりません。人間の身体がなければ、そうした産業は成り立ちません。
女性たち、特に若い世代は、こう言っています。
私の身体は、私の生存も健康も全体として気にかけていない国家が、その目的と手段のために使う道具ではない、と。
今日も、学校の中でさえ、いじめや公平性の問題が数多く存在しています。
それなのに、突然「あなたは今、生殖可能な年齢にいるのだから大きな価値がある」と説得しようとしても納得させることはできません。
「その国の危機的状況を見てみてください。もっと子どもを産んでください」と言いながら、これまでずっと彼女たちを二級市民として扱ってきたのですから。
ファイターも、だんだん疲れてきている
谷口: 日本ではバックラッシュの中にジェンダーやSRHRがあり、政治家から攻撃されることに慣れてきて、「ああ、また、あの政治家が言ってる」と鈍感になってしまっていることもあると思います。
日本は女性政治家も少なく、SRHRを理解する人が少ない状況なのでファイターもどんどん疲れてきています。
政治に近くなることも重要ですが、市民社会やメディアが「それはおかしいん」と発信しなきゃいけない。
その時に、科学を根拠としたエビデンスがあることを発信するのが重要ですよね。
一方、日本のメディアの中で戦っている女性もいます。 メディア内のハラスメントや記事が使われないこと、性教育の企画が通らないなどもあります。
アドバイスはありますか?
労働を引き揚げて、女性の力を見せる
ドクター・T :南アフリカでは、1時間で抗議行動を決め、1日で国を止めることができます。
どこでもそれができるわけではないですが、そのうえでのアドバイスは、日を決めて、女性が経済から労働を引き揚げることを組織し、女性の力を見せることです。
もちろん、収入に余裕のある女性はできても、解雇されて罰される人もいるし、その日の賃金を得られない人もいる。
だから「どの産業の、どの女性が、いつ」を考える必要があります。私たちがこの国で、いまや赤ちゃん製造機でしかない存在なのかどうか、実際に見てみよう、と。
ただ、そういう抗議をどう組織するかには、時間をかけて考える必要があります。
実際、代償はあります。あなたにとっても、私にとっても、声を上げ、表に立つことには本当に個人的なコストが伴います。
今でこそ、南アフリカに行ってセックスや快楽について語ることは簡単なことのように思われるかもしれません。
私がこの活動を始めた当初、教会の人々は私や母に向かって、まるで『(こんな娘に育てたのは)あなたの才能よね』と言わんばかりに責め立ててきました。
すると母は「ええ、その通り。それは私の才能よ」と開き直って言い返しました。私の家族も、脅しの標的になっていました。
それでも母は「この子こそ、私の育てた子です」と言い切ってくれました。
私たち活動家や擁護者にとって、家族が私たちの活動をどのように支え、理解してくれるかということも重要です。
なぜなら、これは政治的なことだからです。
そして、私たちにとっての危険は、もし彼らが私のような人間を黙らせることができたら、一世代全体を黙らせることに成功してしまう、ということです。
なぜなら、この活動において目立つ存在は、他の若者たちの希望になっていることを彼らはわかっているからです。
「(UN)tamed」わたしは飼い慣らされない

ドクター・T :それから、政府が成功やGDPの成長を成功の指標とするなら、その指標が実はそれほど成功していないと示せるところを打つ必要があります。
私がよく使うのは、既存のキャンペーンや健康の記念日にレバレッジをきかせて、そこに生意気なタグラインをつけることです。
私自身の例を挙げます。国連での6年間のあと、国連の中で人権を望まない人々によって、深く消耗していました。
とりわけ彼らが怒っていたのは、それを言っているのが「私」だということでした。「よくもそんなことが言えるものだ」と。
ハラスメントはオンラインでも、オフラインでも、実生活でも、記事でも、あらゆる形でありました。それでも言い続けられたのは、その権力が一時的なものだとわかっていたからです。
あと数週間で、私は特別報告者ではなくなります。でもその間は言えるのです。
「健康への権利の特別報告者である私に、あなたは何者として反論するのですか。私は医師で、すべての裏づけを持っている。あなたが持っているのは、自分の思考と感情だけです」と。
女性としてそれを対等にするために、時に自分が持つすべてを演じてみせなければならないのです。
そして願わくは、次に来る黒人で、女性で、アフリカ大陸出身の人が、信じてもらうこと、聞いてもらうことのために闘う必要が、より少なくなるように。
私が国連での最後の週の祝賀につけたタイトルは、「Untamed(飼い慣らされない)」でした。しかも「UN」に括弧をつけて、「(UN)tamed」と。
システムの中にいることと、システムの外で活動家であることの、あらゆる混乱を通り抜けました。でも私は、歩いて出ることを誇りに思っています。
私は変わりました。それでも自分自身に忠実なままです。
彼らは私を飼い慣らそうとしましたが、私は飼い慣らされないままです。
同じ発想だと、こんなこともできます。
G20やG7をホストするとき、政府は来客の前で恥をかくことを何より嫌う。
南アフリカでもそうでした。だから、政府自身が掲げたスローガンを使うんです。「より良いアフリカを築く」であれば、そこに生意気なフェミニストの一言を足す。
「嘘をつくのはやめて。あなたがやっているのは、それじゃない」と。
そして、スピーチの順番と誰が招待されたかを見る。
「それはパネルじゃなくてマネル*ですね。素敵。男性だけですね」
そうやって、恥をかかせ始めるんです。だから日本でもできることはあるはずです。次の担い手となる若者たちと一緒にやってください。
若者たちは、偽情報と誤情報に取り込まれつつあります。それは偶然ではなく、意図的に仕組まれたものです。だから私たちも、意図して動かなければなりません。
*マネル(manel):man(男性)+ panel(登壇者)。男性だけで構成された登壇のこと。
皮肉とユーモアを

谷口 : 皮肉とユーモアってすごく重要ですね。
私自身も十数年前に「全日本おばあちゃん党」という団体を作り、おっさん社会に愛のシャレでツッコミを入れることをしていました。
その時も思っていましたが、なぜ私たちは、男性構造の上でずっと生き続けなきゃいけないのかと。
歴史は「history」、俗語で言えば「his story」。
「her story」もなかった。だから「our story」にしていかなきゃいけない。
できる限り、しんどいことを次の世代に残さないようにしたい。
そして、日本は少子化だと言われ、人口の問題を数で数えがちですが、一人の人生がそこにちゃんとあるということを意識しないといけない。
1億何千万という中に自分の人生があるということを、意識していない気がするんですね。
だから、数ばかりの「少子化になりました、どんどん減ってきました、何人になりました」という報道ではなくて、なぜ産まなくなったのか。
これも女性のストライキだと思っています。「産んでやるか、そんなもん」みたいなふうにも見えるんです。そういうふうに、いろんな視点から発信、報道されていくといいと思っています。
ーー
基調講演(前編)、対談(後編)を振り返ると、どちらも「どの言葉で、誰に、どう伝えるのか」という問いだった。
声をあげなければ、無いものにされてしまう。その積み重ねがあるからだ。
ただ、声をあげることは簡単ではない。誰もが声をあげられるわけでもない。だからこそ、届ける側が、目の前の状況をどんな言葉で切り取るのかが問われている。
人が介している限り、フィルターは存在する。
そして、エビデンスに基づいた正しい情報が、いつも自分ごとになるとは限らない。だから、わたしたちには皮肉やユーモアも必要なのだ。
*本記事はランドリーボックスが制作している性教育パペット「Ba-Vulva(ばあばるば)」の公式サイトの記事を一部編集の上、転載しています。














