性教育は人権教育である──その問いに向き合い続ける南アフリカの医師であり、国連「健康への権利」特別報告者を務めたトラレン・モフォケン氏。
女性として、アフリカ出身者として初めて国連「健康への権利」特別報告者に任命された彼女が公益財団法人ジョイセフ「SRHR for All」によるメディア向け勉強会に登壇した。
この講演で彼女は「SRHR(性と生殖に関する健康と権利)」における「言葉」の重要性について繰り返し語った。

性のすべてが「病気」の話になった
彼女は、医師でありながらメディアの仕事を長年してきた人物である。
南アフリカで「ドクター・T」という名前が知られるようになったのは、人権の仕事を始めるよりも前、ラジオやテレビで「性の健康」や「性の快楽」について語る、ごく少数の医師だったからだという。
原点は、医学生だった頃に遡る。
当時、南アフリカはHIV流行の真っ只中で、彼女はHIVの生物医学研究をリードする大学に在籍していた。
「性やセクシュアリティのすべてが、病気の話になりました。人と人とのつながりの話ではなくなった。表現の話でもなくなった」
そして、HIVそのものも物資をどう配るかという話に縮んでいき、性と生殖に関する健康と権利(SRHR)という、より広い議論から切り離されていったという。
当時22、23歳だった彼女は自分が必要とする情報がどこにも見つからないことに気づく。
同世代の女性たちが子宮内膜症や子宮筋腫を知りはじめ、自分が妊娠したいのかしたくないのかを考えはじめていた時期だった。
「当時メディアにあった情報は、本当に恐ろしく怖いものでした」
臨床の現場も同じだった。
避妊法が自分の月経周期にどう影響するのか、ひとりでも、パートナーとでも、どうすれば満たされる経験ができるのか。そうした会話ができる場が、医師がいる場にすらなかった。
性暴力は、性の話ではない
医学部の高学年では、性暴力の被害者・サバイバーが訪れる法医学クリニックに配属された。
そこで見たのは、被害を受けた人が、その被害について責められている光景だった。
「性暴力は、性の話ではありません。それなのに、その理解が足りていなかった」
「必要なのは、同意を理解すること、強制を理解すること。そして、結婚は、女性側の永続的な性的同意ではないと理解し、受け入れること。
これは人生の基礎の基礎だと思っていましたが、非常に多くの人が理解していないと気づきました」
そのうえで、日本にも共通することがあるとして、ジェンダーに基づく暴力、とりわけ性暴力は大きな課題であることを指摘した。
良い臨床医であるだけでは足りない

医療現場は専門家が患者に代わって決めるという上下の関係が根深くあり、医師も看護師もサバイバーを責めることがある。
そういう医師にはなりたくなかった。その彼女が行き着いた先が「人権」だった。
「人権は、私たちのものです。人間であることに、はじめから備わっているものです」
非差別。平等。強制からの自由。暴力からの自由。
そして、身体に起きる侵害や暴力は、防ぐことができるという事実。
「私たちの多くは、若者として、女性として、とりわけクィアやLGBTQ+の人間として暴力を経験することが、まるで存在することの巻き添え被害であるかのように育ってきました。
私は、その考え方を拒絶します」
必要な情報を、必要とする人たちに届けるには、良い臨床医として診察室の中にいるだけでは足りない。
彼女は、コミュニケーターとして、オピニオン記事の執筆やラジオでの話し方を学びはじめ、コミュニティラジオやコミュニティ新聞を経て、メディア出演に応じていくようになった。
名指さないものは、見えなくなる
彼女は、情報発信やコミュニケーションをするなかで気づいたことがある。
「何をどう呼ぶのか、それが力を与え、影響します。同時に、名指さないものは、見えなくなるのです」
彼女は取材を受ける際も事前に編集者と議論をするという。
たとえば「10代の妊娠の統計が高すぎる、対策が必要だ」というテーマで依頼が来たとき、彼女はこう聞き返す。
「その10代のうち、何人が同世代の相手によって妊娠させられているのですか?」
南アフリカで「同世代(ピア)」とは、年齢差が2歳以内の相手を指す。編集者は「実際には親、牧師、教師、年上の大人であることもある」と回答した。
「ということは、問題は10代の妊娠ではありません。問題は、誰かが子どもをレイプしているということです。その話をしませんか」と彼女は伝えた。
「妊娠の予防」という枠組みの取材は断ることもあったという。
「『10代の妊娠率をどう下げるか』を国家の危機として枠づけるのと、『子どもがレイプされている』ことを危機と呼ぶのとでは、前者のほうがはるかに害が大きいのです
その枠組みで書けば、妊娠という形で暴行の証拠を身に負わされた人が、恥じるべき存在にされてしまうからです」
そして彼女はこう付け加えた。
男の子の多くは、暴行を受けても妊娠という「証拠」が残らない。それでも、暴行は受けているのだ、と。
中絶の記事に、臨月のお腹の写真を使わないで

言葉だけの話ではない。
当時、彼女には「Sex Talk with Dr T」というテレビ番組があり、母親世代や祖母世代までが「ドクター・Tは何て言ってた?」「ドクター・Tに聞いてきなさい」と口にするほど、注目を集めていたという。
しかしながら、そのテレビ番組の裏には編集者との地道な交渉の積み重ねがあった。
「中絶について語るとき、臨月の女性のお腹の写真を使うのはやめてください、と編集者に言い続けました」
臨月の写真は、中絶を「無責任な女性が向こう見ずにやっていること」であるかのような印象をつくり、スティグマをさらに強めるからだ。
そもそも、中絶が臨月に行われることはない。写真は、実際に起きていることを写していない。
「非常によく書かれた記事でも、添えられる写真ひとつで、まったく間違った印象を与えてしまう。そしてスティグマを、とてもネガティブな形で定着させてしまうのです」
リードをどう書くか。見出しをどうつけるか。どの写真を添えるか。そのすべてが、読者が受け取るものを決めている。
「妊娠しているけれど、私はまだ母親ではありません」
講演の終盤、彼女が実際に変えてきた言葉が紹介された。
1「妊娠中の母親(pregnant mother)」ではなく「妊娠している人(pregnant person)」
メディアは「妊娠中の母親」と書く。
「私は妊娠していますが、まだ母親ではありません。それを自分が望んでいるのかすら、まだ決めていない。そして、どうやって妊娠したのか、その経緯が語られることはありません」
母性を美化する言葉づかいが、妊娠している人を、ひとりの人間ではなくしてしまう。
そして、その人の自己決定が軽んじられていく。「大変、母親になる素晴らしい愛情に、あなたは満たされていないの?」と。
「私はただ妊娠しているだけです」
南アフリカでは「妊娠している人」を使うのが一般的で、中絶に関する法律も「妊娠しているすべての人」と書かれており、性別も特定していないという。
2「お腹の赤ちゃん(unborn baby)」ではなく「胎児(fetus)」
「それらの言葉には、感情のタグが貼りつけられています。生まれるまでは胎児です。ただそれだけのことです」
もし胎児が「子ども」なのだとしたら、流産したとき、その胎児のぶんの保障を保険に請求できるのか。答えはノーだ。
「『流産しました』と言った瞬間、誰も『赤ちゃんが死んだ』とは言いません。そう言えば破滅的なことになると、知っているからです」
3「後期中絶(late-term abortion)」という言葉
日本ではあまり聞かないが、アメリカの政治の場では繰り返し登場する。
2016年の大統領選の討論会では「対立候補が勝てば、9か月目の赤ちゃんが子宮から引きずり出されるようになる」という形で使われた。
臨月の写真と同じで、この言葉もまた、実際には起きていないことを指している。存在しない行為を持ち出して、相手を非人道的だと印象づける。そういう使われ方をしてきた言葉だ。
医学用語でもない。米国産婦人科学会は「医学的な意味を持たない」としている。そもそも「late term」とは、医学的には妊娠41週、つまり予定日を過ぎた時期を指す。
「そんなものは存在しません。私は医師です」
治療しなければ妊娠している人が亡くなってしまうほどの、重い高血圧の患者がいる。
できる限りのことをしても血圧が下がらない。その人を生かす唯一の手段が、早期に陣痛を誘発することになる場合がある。それは経腟分娩のこともあれば、帝王切開のこともある。
「それが『後期中絶』でしょうか。まったく違います」
3つの言い換えを挙げたうえで、彼女はこう締めくくった。
「私たちが使う言葉が、女性に恥をかかせるのです。
きちんとした病歴を語れなくなる。そのハイリスク妊娠に何が起きたのかを知るための検査にも、戻ってこられなくなる。
『女として足りない、母として足りない』と見なされてしまうからです。
そして、その人が必要としている身体のケアからも、心のケアからも切り離されてしまう」
私はカトリックで、中絶を提供する医師

「私はカトリックですが、同時に中絶を提供する医師でもあります」
しばしば、信仰と医師であることが対立するかのように扱われる。けれど彼女は、こう説明する。
「私は、信仰を持ったうえで医学部に入りました。私の霊性と信仰があるからこそ、目の前で『助けが必要だ』と言う人の尊厳を尊重するのです」
目の前の人が「この妊娠は支えきれない」と言う。自分は医師で、その人を尊厳ある形で助ける専門性を持っている。ならば自分の責任が向かう先は、その人だ。
信仰と医師としての仕事。
「まったく矛盾はありません」
ーー
名指さなければ、見えなくなる。そして、その言葉がスティグマにもなる。言葉の重要性を改めて考えるきっかけとなる講演だった。
後編では、法学者でジョイセフ理事の谷口真由美氏とトラレン・モフォケン氏の特別対談をお届けする。
後編は9月26日(土)公開予定です。














