性教育の専門家である水野哲夫さん、インタビュー前編では日本の性教育がどのように始まり変化していったのか、性教育における現在の問題点などについてお話いただきました。

世論が変われば教育も変わる「歴史はジグザグに進む」水野哲夫さんインタビュー【前編】

後編では、高校教師から性教育の道に進んだ水野先生に、そのきっかけとなる出来事や、昨今ニュースで話題になる性加害・被害の問題への見解について聞きました。

「先生方の指導は間違っていた」卒業生からの厳しい言葉

—— もともと国語の教員だった水野先生が、これほど熱心に性教育を意識されるようになった理由はなんですか?何かきっかけがあったんでしょうか。

水野先生:ある卒業生の言葉でこの道に進むことになりました。

私が大学を出て就職した高校が女子校だったんです。学校全体が上意下達で、下は上に従うという校風の学校だったんです。教育の考え方も非常に古めかしくて。

上の教員から「水野先生が生徒の財布を拾ったとしましょう。その財布の中から避妊具が出てきたらどうしますか?」と聞かれたんです。

まだ大学を出たばかりの若い教員でしたから、私はそんなことを考えたこともなかったんです。

黙っていると上の教員が「財布の持ち主の生徒は、不純異性行為をしてると考えなければいけません。よくない人付き合いをしてるから、生活を改めるために保護者を呼んで三者面談をして指導しなさい」と。

今考えると恐ろしいほどのプライバシー侵害、人権侵害ですし、絶対にやってはいけないことです。ちょっとマズイんじゃないかと思いつつも、生徒の生活の乱れを正すためには仕方がないと自分に言い聞かせて、指導しました。

—— 避妊具はからだを守る大切なものですが「ふしだらなもの」という考えが根底にある指導方針ですね。

その頃、大雑把に言えば、生徒を「良い子、悪い子、普通の子」に分けて指導するといいという教えがありました。良い子を大事にして、悪い子には厳しく対処すると、普通の子は良い子に寄ってくるので、全般的に良い方向に向かうという理屈です。

そんな中、私たち教員から見て「良い子の筆頭」みたいな生徒が卒業して助産師さんになったと聞いて。卒業生から在校生たちにスピーチをしてもらうイベントで、その卒業生を学校に招いたことがありました。

とてもいいスピーチをしてくれて、生徒たちもよく話を聞いてくれたので、同学年の教員メンバーとともに彼女の慰労会をしたんです。

その会の途中で、その卒業生が正座し直して「今日は先生方に聞いていただきたい話があるんです」と切り出しました。

「自分が今こうやって進路を切り開いて助産師になれたのも、先生方のおかげだと思ってすごく感謝しています。でも……」と。

「先生が呼び出して指導していた生徒たちの中には、私にとっては大切な友達が何人もいました。自分の親が助産師だったこともあって、私は在校生の時から性に関するいろんな悩みや困りごとの相談を受けていたんです。妊娠したんじゃないかとか、病気になったんじゃないかとか、今で言うデートDVみたいな悩みの相談を受けてました」

「彼女たちも私も、この学校の先生には、誰にも相談することができなかった。言ったらどうなるかわからないから。保健室の養護教諭にさえ相談できなかった。先生方の指導は、私たちを苦しめていた。先生方のご指導は間違っていたと思います」

会食の席でハッキリそう言われました。彼女は勇気を出して話してくれたんですけど、自分たちが良かれと思って行っていた指導を否定されて、非常にショックを受けました。

あまりのショックで翌日、同期の教員の仲間にそのことを話したんですよ。こんなこと言われちゃったんだ、と。

すると同期の彼は「俺、その指導しなかったよ」って言いました。「え?でもそう教えられたじゃないか」と言うと「だって、間違っていると思ったから」って言うんです。それが第2のショックでした。

—— 上からの指示に対して、間違っているとご自身で判断されたんですね。

その同期の彼はクラス指導がうまくできなくて授業も下手で、ゴミが散らかった教室で、行事になると揉めるし、保護者ともよくトラブルを起こしていました。だから彼は自分より指導力がないやつ、みたいなイメージを勝手に抱いていたんです。

自分は「意識高い系」だと思っていたのに間違っていた。なぜそうなってしまったのか省みると、自分が性に関して全くの無知で、生徒のためにはこういう指導をしなきゃいけないんだと信じ込んでいた。そして、自分が「性」というものを人権と切り離していた。

何にもわかっていなかったんですね。これからどうしたらいいのか悩みました。性に関する学びをしなければと思い、性教協の出版物を読むようになって、ここへ辿り着いたんです。

ちょうどその頃、理事長兼校長の財務上の「不整」が見つかり、東京都からの監査を受けることになりました。また、教員に対する解雇事件も起こりました。私たちは組合もあったんですが、それまでは「労使協調」で全く意気地がなかった。でも、さすがにこれはダメだと考えてストライキをしました。

—— ストライキ。思い切った行動ですね。

ストライキと言っても、朝の職員会議の15分くらいの間、職員室の向かいにある視聴覚室にこもって、何かそれっぽい集会をやるという(笑)。

教職員の運動と、保護者の応援、「不整」をめぐり理事会の多数が理事長兼校長を退陣させることに同意するという経過を経て、彼の退陣が実現しました。

—— 学校を変えるチャンスですね。

そうです。1992年ごろでした。学校全体を自分たちの手でつくらなきゃいけなくなったんです。変えられるのはいいことなんですが、言われたことをやっていた方が楽ですから、大変な挑戦でもありました。

性教育は、まず人権を学ぶ必要がある

当時「教育科学研究会」(教科研)という民間教育団体が提唱していた、高校生の学びに足りない3つの「セイの学び」が大きなヒントになりました。その3つのセイとは、「①セクシュアリティの性」、「②政治の政」、「③生きることの生」。

それを扱う総合科目をつくることを、この学園の柱にしたらいいんじゃないかと。毎日遅くまで教職員が集まり議論をしました。「性」「平和」「人権」という3つの総合科目を学ぶという結論に至り、まずは性教育からスタートしようということで、92年から検討を始めて、96年に授業を開始しました。

—— 4年がかりだったんですね。

構想をつくるために、まずは自分たちが学ばなくてはいけない。そんなとき、性教協との出会いは大きかったです。教職員の研修も開いて、ジェンダーやフェミニズムの研究者、学者を招いて学びました。どれも新鮮で驚きに満ちた学びでした。

「総合科目 性と生」は1単位の必修科目で、年間20数時間の授業があります。授業を実施すると教員同士で生徒たちからこんな反応があったとか、あの教材は使わない方がいいとか、情報を交換し合う試行錯誤の日々でした。「性と生チーム」(8人から10人くらい。クラス数と同じ人数)の教科会を時間割の中に入れてもらい、毎週議論しました。

—— 4年がかりで準備した授業を最初にしたとき、どんな心境でしたか?

緊張しましたね。男女2人の教員がペアで授業をすることになったんですが、女子校ですから、おじさん世代の男性教員が性の話をするということ自体、ハードルが高いように感じて。

1年間の授業の終わりごろに、次に授業を受ける後輩に向けてコメントを集めるんですけど、「想像するほどやばい授業じゃないよ」とか、「全くエロくないから心配するな」とか、そういうことが書かれていた。よほどエロくてやばい授業だと思われていたんだなとわかりました(笑)

「絶対に自分のためになるから、ちゃんと受けた方がいいよ」というコメントもあって、ホッとしたのを覚えています。

—— うれしい声ですね!

授業後の生徒たちの反応を見ると、安心するんだけど、最初はもうどうなるのかドキドキでしたね。ゼロからのスタートでしたから。

「10問正解したら景品あげます」と言ってクイズ形式の授業をしました。景品のブラックサンダーを準備して。やっぱり景品があると、みんな熱が入りますから(笑)

—— 生徒たちに興味を持ってもらうための工夫が感じられます。

それはもう涙ぐましい努力ですよ。

「同意のない性的な行為は性暴力」の認知拡大を

—— 昨今、組織の権力者が性的な搾取をすることがメディアを通じて報道されています。ニュースを見るたびに「同意なき行為が性加害である」という認識を持っていない大人が多いことに愕然とします。この現実を水野先生はどう見ていますか。

まず性暴力を狭く捉えている人は多いですよね。同意のない性的な行為は性暴力であるということが、ちゃんと理解できていない。

文科省の「生命(いのち)の安全教育」の教材にも、「あなたが望まない性的な行為は全て性暴力です」とハッキリ記述しています。相手が誰であっても、好きな人であっても、配偶者であっても、家族であっても、性暴力ですと明確に記してある。この常識をもっと広げる必要がありますよね。

—— 性被害は男女問わず問題になっていますが、例えば、女性が男性の部屋に行ったなら性行為をされても仕方がない、といった風潮や世間の声は今でも見聞きします。

そうですね。被害者に責任があるかのような言説ですね。同時に加害者が免責されている。加害者の多くは男性ですが、その責任は問われていない。その根底に、性暴力の、男性の性欲原因論、身勝手な“性欲仕方ない論”ですよね。

性犯罪を研究しているアメリカの学者は、性欲原因論を否定しています。性的攻撃は性的な動機を主要なものとする行動ではない。性欲と表現されるけど、他者に対する支配欲、攻撃欲が性の犯罪を引き起こしていると言っています。

性暴力加害者臨床に携わる人が、痴漢や性暴力に及んだ人になぜあなたは性を使った暴力をせざるを得なかったのかと尋ねると、多くは「支配したかった」とか、「ストレスをぶつけたかった」、あるいは「ゲーム感覚(達成感)」といった言葉で表現すると報告しています。

昨今ニュースになった芸能界やテレビ局関係者が関わる性加害の問題は、どれも支配的な関係にある人間が性暴力を振るっている。まさにその通りなんですよね。

—— 支配欲という言葉がしっくりきます。身体的に見ると、性別にかかわらず性欲はありますし男性だけ“性欲仕方ない論”は通用しないですよね。

人間の生殖の仕組みを踏まえると、性欲をなくすことはできないんですが、行動はいくらでも変えていけるんです。みんな食欲だってコントロールしているんですから。社会的なルールと文化的なルールに則って調整しています。

三大欲求と呼ばれる性的欲求、食欲、睡眠欲—— 性的欲求が他の2つと違うのは「充足されなくても死なない」という点です。だから、そもそも三大欲求と呼ばれていることもおかしいんです。

言葉の印象で決めつけず、エビデンスに基づいて正確にからだのことを理解する。そして望まない性行為は人権侵害であるという認識を広めることを両輪で進めていくことが、性暴力を克服するために大切です。

からだの構造に興味を持つことも、性教育の入り口になる

—— 包括的性教育を進める上で、少しでもお役に立てたらと「Ba-vulva(ばあばるば)」をつくったのですが、性教育の現場にいらっしゃる水野先生にアドバイスやメッセージをいただけたらうれしいです。

女性の外陰部は、日陰にずっと押し込められてきました。世界共通して、口に出してはいけないものとタブー視している人が多いですよね。

一方で日本では、女性器の俗称で性行為を表す人もいます。触れてはいけない、見てもいけない、知ってもいけない。女性は、自分の外陰部を見たことがないという人が多いですよね。

でもデリケートで傷つきやすいし、大切に扱わなければいけない。自分でちゃんと見たり触れたりしなければケアできない。授業などでは図で示したりということはありますが、このパペットは立体的で構造的にもしっかりしているので、説明もしやすく理解が深まると思います。

クリトリスが表に出ているところだけではなく、後ろに海面体があって支えられている構造が理解できるようになっていますね。よくできているなと思います。

性教育は、海外のアニメーションや、ディベートなどいろんな入り口があると思っているので、こういったパペットも1つのきっかけになるんじゃないでしょうか。

—— 貴重なお話をありがとうございました!

本記事はランドリーボックスが制作している性教育パペット「Ba-Vulva(ばあばるば)」の公式サイトの記事を一部編集の上、転載しています。

https://laundrybox.co.jp/Ba-Vulva/MizunoSensei_interview2

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