女性として生まれることは、男性から性的な目線で見られながら生きていくことなのだ。どんな属性であってもそれは避けられない。
幼稚園帰りの変質者をはじめ、幾度となく性被害に遭ってきた
私が生まれて初めて性被害に遭ったのは、わずか4歳のときだった。幼稚園からの帰り道で、道端に佇んでいた男性から性器を見せられ、何かを話しかけられた。自分に何が起こっているかは、その瞬間には理解できなかったが、それが通常の出来事ではないことだということは咄嗟に感じた。
親戚の集まりに参加すれば、やたらと体を触るおじさんがいたし、小学校に上がれば通学路に現れる変質者、公共交通機関での痴漢や、プールの授業を覗く近隣住民の話は絶えなかったし、中学生、高校生となれば、性被害への注意喚起は小学生の頃よりも深刻なものとなった。社会人になれば、さらなる自衛を強いられるようになる。
肌を出した活動をしていれば、「そんなことをしていればそういう目で見られることは仕方がない」と言われるが、肌を出したり、女性性を売り物にするような仕事をしていなくても、性被害には遭う。
むしろ、被害に遭うのは肌の露出の多い女性ではなく、校則をしっかり守った服装や髪型の少女や、地味な服装の大人しそうな女性だ。
自分のことを例に挙げれば、4歳のときの変質者被害を始め、電車での痴漢被害は日常茶飯事、アルバイト(ケーキ屋の売り子)をすれば帰り道で待ち伏せされ、毎日のように店に来て、しつこく連絡先を聞いてくる人もいた。
写真学校に通っていたときには、同級生からのストーカー被害で警察沙汰になったこともあったし、フリーランスになれば、仕事上の立場を利用して、肉体関係をもちかけるクライアントがいた。
作家活動をして初めて知った「ギャラリーストーカー」の存在
私は、2016年から自撮り熟女として、ヌードに近い姿を自分で撮影したセルフポートレートを作品として発表しているが、作家として活動するようになってから、それまで知らなかった形の性被害を知ることとなる。
それが、ギャラリーストーカーというものだ。
ギャラリーストーカーとは、女性作家(特に若い女性)が出展しているギャラリーに来ては、作家やモデルに延々と話し相手をさせたり、在廊を終えた彼女たちを待ち伏せする人たちのことだ。
作家もモデルも、自分の作品に興味を持ってもらい、作品を買ってもらうために来場者と会話をするのだが、そういう男性は、作品や活動について聞くのはせいぜい最初の二言三言。
作品や活動を話のきっかけにするのはまだいい方だ。彼女たちが会話に応じるとなれば、勝手に作品を批評し、謎の知識を披露してマウントを取り、そのうち作家、モデルのプライバシーに踏み込んで、挙句の果てに食事に誘ったり、セクハラ発言を浴びせてくる。
初めてギャラリーストーカーを目の当たりにしたときは、腹が立つと言うよりも、何が起こっているのか理解できなかった。
私が2016年から2018年まで、年に何度か出展していたギャラリーには、若い女性作家の出展が多く、その現場を何度も見てきたし、自分も被害に合っていたが、2019年に大手出版社から作品集を出し、知名度が上がるにつれて、私がギャラリーストーカーの被害に遭うことはなくなった。
ところが、つい先日参加したグループ展で、忌まわしい記憶が蘇る出来事が、期間中毎日のように続いたのだった。
まるで無料キャバクラのよう
そのグループ展は、SNSで女性の肌の露出が多い写真や絵を投稿して、投稿が表示されなくなったり、アカウントが凍結されたり、強制的に消去された経験のある作家が集まって作品を展示し、SNSにおける表現についての問題提起をするというものだった。
会場では、来場者に展示作品を撮影させ、SNSにその画像を上げてもらい、来場者も同様に投稿やアカウントが消される体験をしてもらおうという趣旨のもとに、作品撮影を許可していた。
ところが、終日会場にいて来場者の行動を見ていると、作品をまるごと複写する人、展示作品のみならず、パッケージに入れて販売しているものを買わずに開封し、販売品やポストカードを複写する人、作家のファイルを1枚ずつ複写する人、写真に近づいて、股間や胸の部分を接写する人などが現れ、各々のモラルを問いたくなった。
そして言わずもがな、ギャラリーストーカーが現れる。
作品を買ったのをいいことにモデルに延々と話し相手をさせる、食事に誘う、プライベートなことを聞く。何もせずに長時間居座って、女性作家やモデルを目で追う、作家同士の談話に加わっているかのように振る舞い、女性作家、モデルに接近するなど。
それで何か買ってくれるならまだしも、ギャラリーストーカーのほとんどが何も買わずに帰っていくのだ。
これではまるで無料キャバクラではないか。
被害の深刻さ、悔しさを理解してもらえない
あまりのことに、主催者や参加していた男性作家に、被害を訴えたが、被害の深刻さについて理解してもらえなかったことも悲しかった。
期間中、私の作品のモデルを努めてくれた女性を連れて、在廊を切り上げて帰宅したことがあった。モデルにハラスメント発言をした来場者について主催者に報告したにも関わらず、具体的な対処をしてもらえなかったからだ。
私から強い口調で注意したにも関わらず、その来場者は会場に居座り続けたため、身の危険を感じて退出したことも、深刻なものとして捉えてもらえなかった。
作家として作品を発表することは、生半可なことではない。制作に時間と費用をかけ、安くないギャラリー使用料を支払い、血反吐を吐くような思いで制作をしているのに、そういった努力を一切顧みず、無料で話し相手をさせる。さらに、不快な画像を送りつけ、セックスまでしようとする人までいる。
私たちは、そんな卑しい行為にさらされながら生きているのだ。その悔しさ、そこから受ける屈辱を理解してほしい。
SNS上でも、性被害についての投稿に「無視すればいい」「気にするな」といった返信が返ってくることがよくある。男性から見ると、性被害の実態がさほど深刻なものとは映らないのが実情だ。
だが、私たちは、男性からのちょっとした冗談のつもりの言葉に怯え、その言葉に人間としての尊厳を蹂躙されながら生きているのだ。