冬が来ると思い出す。はるかな富山、最後の生理。

私の記念すべき最後の生理は、富山市内のビジネスホテルで迎えた。寒い地方での冷え込む朝、出先のベッドで早朝の出立。生理を迎える朝として最悪のシチュエーションだった。あれが最後の生理だったとは。

どうせなら、赤い玉でも出て、ファンファーレとともに「おめでとうございます!これであなたは閉経です!」という天の声でも降ってくればどんなによかったか。残念なことに最後の生理だからといって特別なことは何もないのである。

私に生理が来ることはもうない。楽にはなったが、寂しくもある。

あの、生暖かい塊が出てくる感じ、重苦しい腰の痛み。どれも嫌なものだったが、それを感じるたびに自分が女の体を持っていることを実感した。

そんな日々にまつわる思い出を少しずつ語っていこうと思う。

図書館で「生理」「性」「セックス」が載っている本を血眼になって探していた小学生時代

私が初めて「生理」という言葉を知ったのは小学校3年生のときだった。クラスメイトの女の子が、学校からの帰り道で突然、「生理って知ってる?」とニヤリとしながら問いかけてきた。知らないと言ったら「あのね、女の人は大人になるとアソコから血が出るんだよ」と彼女は言った。

ああ、それならば知っている。母や姉が下着や寝具に血液が付いてしまって洗っているのは目にしていたし、トイレの小さなゴミ箱にどんなゴミが入っているかも知っていた。ただ、それが何であるかは知らなかったし、どういうしくみで起こっていることなのかは知らなかった。あれが生理なのか。

もっと詳しく教えて欲しいと言ったところ、それ以上のことは知らないと言う答えが返ってきた。

股から血が出る現象のことを、おしっこやうんちが出ることと同列だと思っていたが、どうやらそういうたぐいのものではないことを意識し始めたのはそれからだ。

家に帰って母に生理について訊いても、そのときになったら教えてあげるとしか言われず、姉に聞いてみれば不快感を顕にされるだけだった。

そうなると、ますます興味をそそられるのが子どもというものだ。まったく、子どもというのはろくでもないものである。

写真=本人提供

何気なく目にしていたトイレのゴミ箱の中身が、どうやらただのゴミではないと気付いてから、図書館でこっそりそのことについて調べる日々が始まった。

現代ならばネットで検索すれば済んでしまうことなのだが、私が小学3年生と言えば昭和49年。そんな時代にネットなどなく、調べ物は全て図書館という時代。

学校の図書館ではその様なことに関連する本は見つけられず、自宅からバスで10分くらいのところにあった市の図書館に行って、その手の本を探すことにしたが、当然のように子供用の本が置かれているエリアにはそんな書物はない。

一体あのことに関する本はどこにあるのだろう、と思うも、係の人に聞くのもはばかられる。とりあえず国語辞典で調べてみても、まったくわからない。

足繁く図書館に通う私を母は目を細めて微笑しながら見ていた。図書館に行くためのバス代をねだる度に「あんたはほんまに、よう勉強するなあ」と嬉しそうに、バス代だけではなくお小遣いまでくれた。ごめんよ、母さん。あんたの娘は図書館で「生理」「性」「セックス」の載った本を血眼になって探しているんだよ。

そんなことは露ほども漏らさず、母が喜ぶのをいいことに図書館通いを続けたが、結局何もわからなかった。

百科事典で得た、「生理」と「セックス」の知識

生理とは何なのか、なぜそのようなことが起こるのか。

結局、それを知ったのは、自宅にあった百科事典からだった。青い鳥は本当にすぐ近くにいるものなのだ。

昭和40年頃から50年代、自宅に分厚い百科事典があった家庭は少なくなかっただろう。セールスマンの訪問販売と言えば今やうさんくさい商売の代名詞であるが、当時はそんなものを訪問販売で売りに来ていたのである。

父が、私や姉の勉強の役に立てばと、セールスマンの胡散臭さも何のそので買い揃えてくれた百科事典をろくでもない、もとい、大事なことに使わせてもらったことは父が亡くなった今でも感謝している。ついでに言えば、子どもができるしくみも、男女の性器の違いもその百科事典で知ることができた。百科事典サマサマである。

ともあれ、生理とは何であるかという知識を得た私は、最初にその話を持ちかけてきたクラスメイトにそのことを教えてあげようと、得意げに学校からの帰り道でその話をした。するとその子は泣き出してしまい、「うちのお父さんとお母さんもそんなことしてるの?」と言い出した。いや、してるからあなたがいるんだよ、と私としてはごく当たり前のことを言ったのだが、小学校3年生には刺激の強い話だったようだ。

泣いているクラスメイトにそれ以上かける言葉もなく、謝るのも場違いな気がして、「あ、宿題やんなきゃ」と適当なことを言って、そそくさとその場をあとにした。

私が、自分の父と母がそのような行為をしていることになんの抵抗も感じなかったのは、ソースが百科事典だったからなのかもしれない。でも、それが泣くほどのことなのだと知ったとき、また違う興味が湧いてしまった。

私がセクシャルなことにどんどん興味を深めていくきっかけを作ってくれたのは、実はあのクラスメイトだったのかもしれない。

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