子どもの頃、河原でよくエロ本を拾っていた。

その話をすると、40歳以上の男性のほとんどが共感してくれるが、若い人たちにはその話が通じない。私の記憶が正しければ、2000年代初頭までは、河原、橋の下、あるいは雑木林にエロ本が落ちている光景は当たり前のものだった。

昨今、紙媒体でエロを見るのは、デジタルに馴染めないおじさん、というよりもおじいさん世代ばかりになってしまい、エロ本を買う人はすっかり少なくなってしまった。そうなると読み捨てる人もいなくなるわけで、河原にエロ本が落ちているという現象が見られなくなってしまうのも当然のことなのだ。世の中というものはこうして変わっていくものなのだということを、河原のエロ本を通じて実感している。

少女漫画のエロチシズムにも通ずる、河原のエロ本

私が初めて河原でエロ本を見つけたのは、小学校に上がる少し前、昭和45年ごろのことだったと思う。「万博」「ヒッピー」といったワードがテレビから流れ、ダッコちゃん人形や黄色いラブピースのスマイル缶バッジが、ブラウン管の中でキラキラと輝いていた頃だ。

当時私は大阪市平野区に住んでいて、家の近くには大和川が流れていた。    

余談だが、大和川は文化圏としての「大阪市内」と「それ以外の地域」を分ける、いわば文化の分水嶺のような役割を果たす川で、書店の取次は、新刊本を大和川以南でも売れているかどうかで仕入れを決めていたという話がある。そんな文化の分け目である大和川の河川敷や堤防には、本当によくエロ本が落ちていた。

初めて河原のエロ本を見たときは性的な興奮というよりも、うっすらとした哀しみを覚えた。写真の女性たちはみな、一様に幸薄げで、楽しそうに写真に写っているようには見えなかった。そういう姿とは裏腹に、写真には踊るような文字が添えられていて、女の人が嫌々ながら裸であんなことやこんなことをしている。その姿が、本を見る人にとっては楽しいことなのだということは、就学前の子どもでも理解できた。

そういうものの何に惹かれたのかを、はっきりと思い出すことはできないが、アンデルセンの童話や、当時の少女漫画の中にちらりと出てくるエロチシズムに通じるものを感じていたように思う。

拘束フェチという性癖を持つ人は、たぶん少なくないと思うのだが、私もその中の1人だ。それは子どもの頃から自覚していて、アンデルセンの「赤い靴」の終盤でカーレンが足首を切り落とされる描写、「人魚姫」で人魚姫が魔女のくれた薬を飲んで苦しむ描写に性的なものを感じながら繰り返し読んでいた。ゲスい言い方をすれば、そこが「抜きどころ」だった。

また、少女マンガの中で主人公が拘束される場面が描かれているものがあれば、そのページを繰り返し見ていた。未就学児にして童話やマンガにエロを感じていた、立派なクソガキだったのである。

河原に落ちていたエロ本の中にあったものは、アンデルセン童話の挿絵には描かれない、かのヒロインたちの、私が見たくても見られなかった姿だと感じていたのかもしれない。

写真=本人提供

エロ本を見る男子4人と女子1人。そこには純粋な男女の友情が

ともあれ、河原のエロ本は私の密かな楽しみだった。

だが、この楽しみは同性には全く理解してもらえず、理解してくれたのは男の子たちだけだった。

いつしか、私が一緒に遊ぶ相手は男の子ばかりになっていた。幼稚園から帰ったあと、決まった男子3、4人と、私のグループで大和川の堤防にエロ本を探しに行く日々。エロ本を見たあとは、取ってつけたように親の目の届く公園で仮面ライダーごっこなどをして、私は悪者にさらわれる娘や、悪の組織の偉い女の人の役割で遊んでいた。どの子の親も、そのグループが大和川のエロ本でつながっている関係だとは夢にも思わなかっただろう。

男の子たちとエロ本を見ているからと言って、彼らと実際に性的に何かをするということもなく、ただただエロ本を見ていた。彼らは湿ったページをめくりながら「なんやこれ」「アホちゃうか」などと言うだけだったが、彼らなりにエロを感じていたのだろう。お互いが感じていたエロに具体的に触れるのはタブーであるような気がして、誰もそこには触れようとしなかった。

そのグループが解散したのは、いつのことだっただろう。メンバーの1人が引っ越してしまった時期だったか、あるいは小学校に上がったことがきっかけだったのか、小学校からの帰りに大和川でエロ本を見ていた記憶はない。男子4人と女子1人。もう少し違う感心ごとで集まっていれば、お姫様のように扱ってもらえたかもしれない状況でありながら、恋心のかけらさえもなく、各々のパンツの中身に興味を持ち合うこともない、純粋な男と女の友情がそこにあった。

最後にひとつ、小さな子どもを持つ親御さんへ。未就学児でも性的な感心は備わっているし、そういうことには本能的に気付いている。このコラムを読んでいるお母さんたちには気付いてほしい。無邪気におっぱいを触っているように見えるその子どもたちは、おそらく、邪気たっぷりにそのおっぱいを触っている。

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