男の人って、どうしてそんなにセックスがしたいのだろう。

(最近、「男は」「女は」と書くと主語が大きいと言う人が出てくるけど、それを言うと表現の幅が狭められてしまう。そういうの、やめましょうね)

大物芸人からの枕営業強要を暴露したタレントの発言が物議をかもしていた。真偽のほどはともかく、仕事を盾にセックスを求めてくる男性の存在は稀有ではない。

私も身近な出版・編集界隈では、カリスマ編集者と言われている人が女性のライターに仕事をちらつかせながら自分と性的関係を持つことを要求し、拒否したらその仕事が消えたという話もあった。

モデルやタレントのみならず、フリーランスで仕事をしている女性や、営業職の女性でもそういう話は多々あり、決してレアケースではない。

自分の話をすれば、クライアントの社長、広告代理店の担当者、取材先の担当者など、記憶をたどればそういう男が次々と思い出される。

なぜ仕事にセックスを絡めるのか

私の場合は、仕事そのものがさほど大きなものでもなく、その仕事をなくしたからといって生殺与奪云々というほどでもなかったこともあり、性的関係を求められたことを周囲の人に相談することで事なきを得てきたケースがほとんどだった。しかし、それが原因で仕事がなくなったとしか思えないケースもある。

私が若い頃から作家志向が強くて「この仕事を得られれば自分のステップが格段に上がる」という内容で性的関係を持ちかけられていたら、要求を飲んでいたかもしれない。

実際、そういう要求をしてくる男性たちは社会的地位があり、そのポストに誰を就けるかは彼の裁量次第でどうにでもできてしまうことが多い。その人がどういう考えで誰を選ぼうと、裁量を持つ立場の人なのだから、その人の考えでやればいいことだと思うが、そこにセックスを絡めるのはなぜなのだろう。  

セックスさえさせれば仕事の中身や人となりはどうでもいいのか?

仮にセックスをして仕事を得たところで、その仕事が長続きするとも思えない。

それとも、性的関係を持ち距離が近くなることではじめて人として認知し、そこからやっと仕事の中身や人となりについて考察することができるとでも言うのか?

写真=本人提供

林真理子さんの「ミカドの淑女」という小説の中で伊藤博文は、一度寝た女しか信用しないという描写があった。もしそれが事実であったとしたら、セックスのひとつやふたつで相手を信用するとか、重要な仕事のパートナーとして認めるという考えはどうかしている。

不思議なことに、その手の男性たちはお金で性を売る女性には興味を持たないという共通点がある。彼らが満たしたいのはお金で解決できる性欲ではなく、自分の力で女性を屈服させる征服欲なのだろうか。

無料でセフレを探したい魂胆が見え見え

もう一つ、クレクレ厨男の話をしたい。

SNSでやたらと女性にDMを送ったり、女性の肌の露出の多い画像を集めているような男性の多さに、なんとも言えないやりきれなさを感じている。

「こんにちは」「きれいですね」というひとことだけのメッセージの意味がわからずにいたが、最近、そのメッセージが出会い系アプリで使われている手法だと知って鳥肌が立った。

とにかくたくさんの女性にメッセージを送って、返信があれば距離を縮めていく手法らしい。青年誌などの巻末に載っている「これさえあれば、金も女も思いのまま!開運モテモテアクセサリー」といった広告と同じ手法だ。

こんなもので引っかかる人がいるのか?と思うが、そんなものに引っかかる人こそがその広告のターゲット層なのである。

出会いが欲しいなら、課金制の出会いアプリがあるのに、課金せずにセフレを探したい、こういう手法に引っかかる女ならちょろいだろうという魂胆が透けて見える。

肌の露出の多い画像を自分のタイムラインに集めている人も、お金を出せばもっと簡単に、より上質なコンテンツにアクセスできるはず。それなのに、課金しようとはせずに無料で自分のお宝を収集することに価値を見出しているようだ。

そういう人から自分の写真に「もっと見せてください」などというコメントが入ると、そのいじましさにうんざりする。

どうしてそうまでして女の裸が見たいのだろう?

どうしてそこまでしてセックスがしたいのだろう?

写真=本人提供

女性は男性の欲を満たすツールではない

知人男性に、女性が日常で受ける性加害の話をしていたら「男だって苦しいんだ。ちんこの付いてる苦しみがわかるか?」とキレられたことがある。

軽蔑されるべき、卑しい行いをしてまで女体を手に入れようとするのは、「ちんこの付いてる苦しみ」に原因があるのだろう。

男性のその苦しみの内容は理解し難いが、苦しみがあること自体は理解できる。でも、その苦しみのために女性に加害したり、与えられている権利を奪ったりしないでほしい。

女性は男性の性欲や征服欲、または宝物を集めるような収集欲を満たすためのツールではない。

私達はあなたたちと同じ、意志をもった人間なのだということを、どうしてわかってもらえないのだろう。

声をあげることで、間違いなく社会は変わる

また、性被害に遭ったときの行動として、知っていただきたいことを書いておく。

被害届を出すなら、証拠を洗い流してしまわないこと。

望まない行為を強要されて応じたとしても、あなたに非はない。

パニックに陥って、少しでも早く身体を洗ってしまいたいというのが当たり前の心の動きだと思うが、行為が理不尽なことであったならば、絶対に、シャワーを浴びる前に警察に行って欲しい。刑事告訴するか、民事で戦うかはそのあとで考えればいい。

証拠を洗い流してしまったら、戦えなくなる。どれだけ状況証拠が揃っていても、警察は体液が出なければ証拠として採用しない。

信じがたい残念な話だが、これが現状ということを覚えておいてもらいたい。

それでも、令和の今は、私がさんざんそういった被害を受けていた昭和の頃よりは状況が良くなっている。

2017年から広がった「#Me Too」運動は、よくぞやってくれたと手をたたきたくなるものだった。性的同意に関しても見直され、少しずつだが「仕事を楯に性行為を強要する」ことが軽蔑されるべき行為であるという認識が広がってきている。

もちろん、そういう行為はハナから軽蔑されるべき行為なのだが、昭和の頃は「仕方がない」「減るもんじゃなし」という感覚で捉えられていた。

行為に応じてしまった女性たちは、それを告発することも知らず、個人間のこととして、うやむやにすることが当然のように振る舞ってきた。

性被害者に対する警察や司法の対応はまだまだ被害者に対して冷酷なものではあるが、それが被害であると、はっきり認識できることは進歩と言える。声を上げることで間違いなく社会は変わる。

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