ヴィルジニー ・デパントはパンクを愛し、94年に処女作を発表してからは急進的なフェミニスト作家として一躍注目を浴びました。社会的に極めてマージナルなところからやってきた彼女ですが、2016年から2020年まではフランスのもっとも権威のある文学賞のひとつ、ゴンクール賞の審査員も務めました。

今日ではフランスの文壇史にとっても欠かせない人物なのです。社会のアウトサイダーとしての人生を歩みながらフランスのみならず、世界的に影響力のある人気作家となったデパント。彼女は自身の人生をどのように見つめているのでしょうか。

初版から14年。思いがけず世界各国で翻訳本が出版

——『キングコング・セオリー』は2006年にフランスで出版されました。フランスの読者たちはどのように受け止めたのでしょうか。

とても評判が良くて、逆に驚いた記憶があります。というのも、2000年に、私はコラリー・トゥリン・チーの監督のもと、『ベーゼ・モア』(邦題『バカな奴らは皆殺し』)の小説を映画化し、これが一部で酷評されたという経緯があります。フランスでは劇場での上映が禁止になりましたし、良い評価はほとんどありませんでした。

『キングコング・セオリー』に関しても同じように厳しい批判があるだろうと考えていたのです。ですから、まだ#MeToo運動も始まる前のフランスで評判が良かったのには驚いたのです。もちろん、フェミニストたちには、フェミニスト作品としてしっかりと受け入れられ、それは驚きませんでしたが、逆にフェミニズムなどには大して興味などなかったような人たちが、「一体これはなんだ」と興味を持って、そして受け入れてくれたというのが新鮮でしたね。

Photo by Laundry Box

それから翻訳もされ、特にスペインではとても評判が良かったのです。また、南米でも好評でした。そこからドイツやイタリアにも広がり、イギリスでは3回目の翻訳改訂版が出たようです。フランスの後は、スペイン、南米のアルゼンチン、チリ、ブラジルでとても好評を博したのです。南米で人気が出たことには少々驚きました。というのも南米ではフェミニズムはすでにとても進んでいるからです。

それぞれの国には急進的なフェミニストたちがいます。ですから本書がこれらの国で受け入れられたことにとても驚きましたがそれと同時にとても嬉しかったです。アメリカでも評判が良かったのですが、ここもまた国内にフェミニストの作品というのはたくさんある国です。

セックス産業に身を置くことで見えた人種差別とフェミニズム

——ご自身はアメリカのフェミニズムに影響を受けたと聞きました

私の母親がフェミニストであるため、家にはフランス、イタリア、イギリス、アメリカのフェミニストたちの本がたくさんあり、それらを読んで育ちました。でも大きく影響を受け、あらためてフェミニズムに目覚めさせてくれたのはアメリカのフェミニストたちでした。

21〜22歳の頃、私はセックスワーカーをしていて、そのときに彼女たちの作品、思想に触れたのです。彼女たちの運動はセックス業界での仕事もフェミニズムの一環ととらえ、ポルノグラフィーを肯定しました。また、レイプなどの性被害に遭った経験を、どう受け止め、自分にあった形で立ち直ることの可能性を検討していたのです。

80年代のアメリカのフェミニズムは、いわゆるポジティブ・セックス(プロセックス)と呼ばれるものです。その時代に、フランスではまだこの流れはありませんでしたから、私は英語の文献をよく読んでいましたね。そしてセックスワーカーだった私にはこの考え方がとても響いたのです。

その頃のフランスでは、例えば私のように風俗のマッサージサロンで働いていて、かつフェミニスト的な思想を持っていることなどは考えられなかったのです。ですから、このアメリカのフェミニズムには力づけられましたし、私自身を豊かにしてくれました。これが私の原点といえます。

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もうひとつ、私の基盤はアンジェラ・デイビスにも見いだすことができます。彼女は、性についてももちろん考えるけれど、さらには社会階級、そして人種についても思考を進めるべきだ、なぜならばこれら全ては繋がっているからだ、という流れを生み出した人物です。この点についても私自身が社会経験の中で常々感じていたことでした。セックス産業に身を置いていると、その身体的な側面や年齢(若さ)と同じくらい、人種も重要な商品価値になるからです。

マッサージサロンの従業員は、常に黒人、アラブ人、アジア人、白人を揃えていました。そしてこのマーケットには白人が少なかったので、私が雇用されたわけです。こうして、アンジェラ・デイビスが言っていたことはよく理解できたのです。

この社会において女性であるとは何か、という問いを立てるとき、白人女性であること、黒人女性であること、アジア系女性であること、アラブ系女性であること、という問いもまた、同時に存在するのです。つまり私たちは人種でも定義される存在なのです。こうして、私はアメリカのフェミニズム運動から大きな影響を受けたと言えます。

#MeToo運動とSNS。ネットがもたらした2つの功罪

——『キングコング・セオリー』がフランスで2006年に出てから15年以上経ちましたが、フランス社会にはどのような変化があったのでしょうか。

ヨーロッパでは、2つの動きがあったと言えます。#MeToo運動はフランスだけではなく、西洋社会全体に大きな影響を与えました。これはとても重要な動きでした。というのも、初めて世界中の女性たちが同時に同じことについて声をあげたからです。道端で女性たちが受けるハラスメントという問題は世界中の女性が経験をしていることです。そして世界中の女性たちが、「そうそう、わかる、あなたの言っていることはよくわかる」と同時に声をあげたのです。それまでは、道端のハラスメントは個人の話として、大きく問題視されることもなく片付けられてしまっていました。

ところが#MeToo以降、この問題についてもはや「これはあなた個人の問題だから」などと言って片付けることはできなくなったのです。もちろん未だにそういうことを言う人たちはいるでしょう。でも物事は可視化され、構造的な問題であることが明白になったのです。

もうひとつの動きというのは、SNS上での暴力の出現です。ネット上、特にSNS上で、女性たちは簡単に罵倒され、個人の性的行動などに対して攻撃を受けやすくなってしまいました。私が若かった頃よりもずっとその傾向は強まっています。こうして、SNS上では性的行動の断罪ということがそれまでより激しく起きるようになってしまいました。

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このように、2006年以降、MeTooなどによる身体のダイバーシティを肯定する動きがある一方で、SNS上ではネガティブな動きもあると言えます。この状況を見る限り、女性の性的行動というのは、やっぱり未だに問題化してしまうのです。

例えばリベンジポルノという言葉がよく聞かれますが、これは新しい現象のひとつです。しかし根本は昔からあることと変わりがないのです。男の子がリベンジポルノのせいで自ら命を絶ったという話はあまり聞かないでしょう。命を絶つほど追い込まれるのは、いつも女の子たちなのです。

ですから若い世代の女性たちにとっては厳しい時代でもあるのです。このように、ヨーロッパ社会には常に大きな2つの相反する動きがあります。

フェミニズムの広がりは、歴史的背景で異なる

——南米やアメリカ、ヨーロッパではフェミニズムが盛り上がりを見せるわけですが、日本では様子が少し異なります。フェミニズムが広がる要因というのはなんだと思いますか。

これはとても複雑です。その社会で何が起きたのかということについて、それぞれの歴史を遡って考える必要があるからです。

例えばフランスのような国に関しては、戦争というのが大きな要因のひとつではないかと見ています。ヨーロッパは第二次世界大戦だけではなく、それまでにも多くの戦争をしてきた地域です。そして戦時中に何が起きるかというと、男性がいなくなる時期が発生します。そうすると、それまでは家にいた女性たちが、生活をするために家の外へ出て行かなければならなくなるわけです。

そうして一時的にですが、女性たちは、この社会は男性がいなくても機能するという経験をします。このようなことがある意味でそれまでとの分断を生み出します。一時的に、女性たちが自分たちの人生を見出すのです。

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一方でアメリカを見てみると、彼らには黒人による抵抗運動の歴史があります。また彼らは20世紀の新たな政治の形を見出した人々でもあります。さらに、同性愛者たちが起こした運動も関係しているでしょう。フェミニズムの運動というのはレズビアン運動から生まれているとも言えるからです。レズビアンたちは、日常生活において、いかに男性にぶら下がらないで生きることができるのかという観点から出発するからです。このように、さまざまな要因が絡まっています。

しかし、この中でもやはり戦争というのは重要なのではないかと考えます。例えばヴァージニア・ウルフはフェミニストとして重要な作家であり、忘れてはならない人物ですが、彼女も戦争について取り上げています。イギリスではそれが植民地の問題とも繋がっていると思います。これは社会で人々がどのように共同生活をしているか、父権制がどの程度強いのかが論点になってきます。

考え方は時代とともに変わるから、感じたことを言語化する必要があった

——映画のスキャンダルの後に、自分も周りに溶け込もうとしたことがあるとのことですが、最終的に「自分は自分」と割り切れたきっかけはなんですか?

私の場合は、若くして本を書いたことかもしれません。そしてすぐに読者が見つかったこと。そして、これが何よりも大切だと気づいたことです。居場所を見つけ、そこで何がしたいかがはっきりした。

そして、作家としてやっていく上で必要ないものも同時に明確になったのです。読者に関心を持ってもらえるような文章を書くことが何よりも大切で、それができる機会が私に与えられたとすれば、捨て去ってもいいと思えることがたくさん出てきたのです。

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私の場合は、それが「女性らしさ」でした。私は文章を書きますがそれは男性的、あるいは女性的ということとは関係ないのです。文章、言語、それだけです。書く内容がたとえフェミニズムについての文章だとしてもです。

最初からフェミニズムについて書きたいと思っていたわけではありません。しかし、映画のために1年間かけて世界中を周り、インタビューを受け、レイプや売春、女性に対する暴力の問題をアダルト映画界出身のコラリー監督とともに、多くの人々と議論をしていくにつれ、フェミニズムに関する文章を書きたいと思うようになりました。

私の母親を見て感じたことですが、私の世代は、母の世代とは考え方が変わってきていると気づきました。そして、この感覚を言語化する必要があると感じたのです。また私が「ベーゼ・モア」(邦題『バカな奴らは皆殺し』)を映画化して感じたことは、この映画が私と女性の監督、つまり女性によって作られたということの重要性でした。これがもし男性の監督だったら違うものができあがっていたかもしれない。

——「ヴィルジニー ・デパント」でいることが面白いというわけですね。

私にとっては、今それが1番、面白いと思えることです。人生で退屈している人はたくさんいますが私はこれを見つけました。それから私はとても運が良かったとも思っています。私の周りの人たちは、私が私であることを認めてくれました。それは友人だったり、彼氏だったり、それからしばらくしてからは彼女だったりしました。私にはいい出会いがあったのです。

実際、こう考えることができるようになるにはたったひとりから認められれば、それでいいのです。いつも一緒にいる人、愛している人、自分が評価している人から認められるのであればそれだけで十分。もし周囲の人たちから否定されても、それは大した問題にはなりません。なぜならば自分にとって1番大切な人、友人や彼氏や彼女などから認められれば、それだけでもすごいこと、大したことなのですから。

(インタビューの続き「フェミニズムが後戻りしないために。アフターコロナに社会が優先すべきこと」は2月8日に公開予定です)

『キングコング・セオリー』ヴィルジニー・デパント著/相川千尋 訳

人気女性作家が17歳で経験したレイプ被害と、その後の個人売春の経験をもとに、性暴力、セックスワーク、ポルノグラフィについての独自の理論を展開するフェミニズム・エッセイ。自分自身を、男性でも女性でもないカオスな存在としての「キングコング」にかさね、ジェンダー規範にとらわれない女性の在り方を、力強く、小気味いい文体で模索していく。

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■著者プロフィール

ヴィルジニー・デパント/Virginie Despentes

1969年、フランス・ナンシー生まれ。現代フランスを代表する女性作家。小説、エッセイの執筆や映画製作、翻訳、歌手活動など多方面で活躍する。パンクロックのライブに通い10代を過ごす。15歳の時に精神病院に入院。1994年に『バカなヤツらは皆殺し』(原書房 刊)で作家デビュー。本書『キングコング・セオリー』でラムダ文学賞(LGBTを扱った優れた文学作品に与えられる賞)、『ヴェルノン・クロニクル』(早川書房)でアナイス・ニン賞など、これまでに10あまりの文学賞を受賞。俗語を多用した口語に近い文体で、社会から排除された人々や、現代に生きる女性たちの姿を描く。シャルリー・エブド襲撃事件や性的暴行で有罪となったロマン・ポランスキーのセザール賞受賞、BLM運動にいち早く反応し、メディアに寄稿文を投稿するなど、現実社会に向けて常に発信を続ける作家でもある。35歳の時に女性に恋をしたことをきっかけに、レズビアンになったことを公表している。

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