歳を重ねるごとに少しずつ自分の許容範囲というものが広がってきていると思うが、世の中は不公平だと思うことがたまにある。

僕は女性として生を授かったが、男性と自認しているため現在は男性として社会生活を行なっている。LGBTQのうちのT、トランスジェンダーである。

トランスとは「超える」「越境」という意味があり、トランスジェンダーとは男女という2つの性を越えてというような意味合いだ。

しかし戸籍変更に必要な要件は満たしていないため、戸籍上は「女性」。戸籍における性別の「越境」は叶っていない。戸籍変更に必要な5つの要件の中には「生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」とあり、つまり性別適合手術を受けることが必須となっているからだ。

見えない健康な臓器をわざわざ取り出して男性としての証明書をもらうことと、手術をせずに戸籍上は女性でいることの両方を天秤にかけ、今は後者を選択をしている。

体格が小柄なこともあり、男・女どちらにも見えるのかもしれないが、友人のなかに性別を理由に仲良くしてくれている人は、おそらくひとりもいない。

中学のときの大恋愛。幼い頃の記憶がパズルのようにハマった

(本人提供)写真右下=中学の頃の染谷さん

初めて性への違和感を持ったのは、中学生になり初めて女の子を好きになったとき。初恋は男性で、ほかの女の子たちと同じようにジャニーズタレントの切り抜きを持ち歩いたりしていたこともあったので、なんだこれはと戸惑ったし思い悩んだ。

当時好きになったのは大親友で、なぜか「気持ちを伝えなきゃ」と使命感に駆られた気がした。

ひとりでは抱えきれない“女の子への大きな恋心”を、シンプルな恋愛相談として話せる友人がいたことは本当に恵まれていたと思う。そして人を疑うことを知らなかった自分の性格にも、いまとなっては感謝している。

使命感に駆られた結果、近所のロッテリアに呼び出し告白することに。伝え方に悩んで3時間も待たせた挙句、告白は敢えなく散った。相談にのってもらった友人に事後報告したら、友人は「いろんな愛のかたちがあるから無理に諦めなくてもいい」という言葉をかけてくれた。間を取りもってくれた友人のお陰もあり、なんとその半年後には愛が実ったのだ。

今も心に残る大恋愛であったが、その子と付き合うなかで人生最大の気付きを得た。

「自分のことを男の子だと思ってたのかもしれない……」

昔からスカートが嫌だった。お母さんに髪の毛をいじられるのも泣いて嫌がった。外でドッジボールをやっているほうが楽しかった。幼い頃のいろんな記憶がパズルのようにハマった不思議な感覚だった。そのときは高校1年生「腑に落ちるとはこのことか」とハッとした。

「生理」=「何も起きていない」ことにしていたかった

(本人提供)写真中央=高校生の時の染谷さん

そういえば、胸が大きくなり始める前に鏡越しに嫌だなって感じてたことがあった。自分のことをなんて呼んだらいいのか悩み、「おいら」って言ってたよな。男子と女子が分けられた小学校高学年に差し掛かったくらいの時期、漠然と「なんでこっち?」って思ったことあったな…。              

あの“分けられる”瞬間とは誰もが経験したであろう、保健体育の先生から「生理」について話があったときだ。

分かってはいたが、初めてソレが来てしまった時の憂鬱な気持ちは覚えている。

それから生理を何百回と経験しているのだろうか、自分の中では当たり前のルーティンになってはいるが、どんな時でも「何も起きていない」ことにしていたかった。

特に、彼女と一緒に寝ているタイミングになってしまい、布団や衣服を汚してしまったときの絶望感を思い出すと今でも泣きたくなる。頭の中では「女子」に属することが理解できていても、心のどこかでずっと反抗していたのかもしれない。

ホルモン療法により「負のループ」から抜け出した

それから高校時代は過ぎ、20歳くらいまでだろうか。「男」と「女」のどちらにも属せていない自分との長い闘いがあったように思う。将来は見えず、なんとなく大人になるイメージも持てなかった。

からだに対しての嫌悪感、勝手に感じてた孤独感、男子に対する劣等感。結婚や出産の話題があがったときは、気持ちに嘘をついてごまかしたり。仲のいい友達にも壁を作ってしまったことがあった。

性に関する悩みは嫌というほど、四六時中つきまとっていた。

その後、悩んでは立ち直りを繰り返しそしてまた落ちるという、負のループにハマっていたが、友人やアルバイト先の仲間によって「ほかの人と違うことは自分の受け止め方で武器にもなる」と教わった。ふたたび友人に救われた。

それから20歳になりホルモン療法を始めたのもループから抜け出したきっかけのひとつかもしれない。

ホルモン療法により声が低くなったり骨格や肉付きが変化してくるため、男性に見られる機会が少しずつ増えた。

それまでは「男性として見てくれ」「接してくれ」と、叫び、背伸びをしていたように思うが、その必要がなくなり自然体でいられるようになったのだ。そして4年前には、タイにて「胸オペ」こと乳腺摘出手術も済ませた。

(本人提供)タイにて、乳腺摘出手術後の病室で撮影

今はホルモン療法も行わず、生理を受け入れている

自分はワイルドなタイプではなく、どちらかというと中性的なタイプだ。さまざまな人との関わりが増える中で、そう思うようになった。年月がたった今は、ホルモン療法をやっていない。メリットやデメリットを比較し、今はやる必要はないと感じている。

昔の記憶にある通り、男性も性的指向に含まれるためバイセクシュアルだと自認していることも「今は必要ない」と感じている理由かもしれない。

生理はもちろん嫌だが、自分のルーティンの中ではもはや当たり前な存在。パートナーがいればまた違った思いになり、もしかしたらまた気持ちに変化が起きるかもしれない。人の「思い」は常に流動的だ。

どんなときでも、そのときの自分の思いと向き合っていきたい。

「誰も悪くないし、仕方がない」

Photo by Emi Kawasaki / Laundry Box

初めてできた女性のパートナーに、デートをドタキャンされたことがある。理由は「生理痛だから」。そのとき「誰も悪くないし仕方がない」と思い受け入れた。

今は自分のセクシュアリティや境遇も、「生理痛だから行けない」と同じように受け入れている。

ホルモンを投与して男性のからだに近づくことは出来ても、男性になれはしないだろう。自分で対処できることもあれば、どうしようもないこともある。世の中は本当に不公平だと思う。

でもそれを「仕方がない」と受け入れることは「諦め」にも近いのかもしれないが、僕にとっては、自分を解放してあげることになっているのかもしれない。

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