女性が直面する、やり直しのきかない選択

何気ない会話の中で「子どもはいるのですか?」と聞くことがありますが、それが女性にとってどれほど辛いことか、ご存知でしょうか?

その一言がとても辛い感情を引き起こす場合もあると、多くの人に知ってもらえたらと思います。

夢を諦める。仕事を辞める。

「人生は何度でもやり直せる」とよく言いますが、女性にはやり直しがきかない、諦めざるを得ない選択もあるのです。

子どもがいない理由は、100人いれば100通り。それぞれに事情があります。今回は私のプライベートな話をします。過去に卵子凍結に取り組み、不成立となった経験についてです。この内容が辛く感じられる方は、無理せず読むのを中断してください。

卵子凍結を考えた理由

私は現在44歳、独身で会社の代表取締役。そしてプロレスラーです。来春引退を発表しましたが、まだバリバリ現役で試合に出ています。私の場合、自分が子どもをもつことについては「相手もいないし、別にいなくてもいいや」と思っています。

結婚に関しても「一人でも生きていけるし、今がとても楽しい」と考えていました。

アスリートとして仕事一筋で生きてきたのは、それが自分にとっての理想の姿だったからです。しかし、2年前、42歳のときにふと思いました。「これから誰か好きな人ができたら、子どもが欲しくなるかもしれない」と。

そんなとき、「卵子凍結」を考えました。「何もしないよりは行動して、後悔しないためにやれることはやっておこう」と思い、卵子凍結にまつわる情報を調べ始めました。

すると、卵子凍結手術を受けられる年齢は43歳まで、という制限があることを知りました。私に残された時間はわずか半年でした。

2022年、42歳のわたし 写真=本人提供

心身と経済負担が大きかった、卵子凍結への準備と費用

卵子凍結をするための病院をネットで調べ、急遽、東京の産婦人科病院を受診しに行きました。私は普段はロンドンに住んでいて、日本に戻るときは仙台に滞在しています。月に一度日本に帰るタイミングで病院に通いました。

仙台と東京の往復交通費3万5,000円と、初診検査で8万5,000円かかりました。保険が効かない中で、交通費や検査費用、診察費用がかさみました。

高い。毎回このお金を払わなければいけないのか。

手術の日を迎えるまでに何度か検査のために通い、その都度5万円かかりました。そして、手術に向けて、7日前から毎日自分でお腹に注射を打つ必要がありました。

ロンドンと東京・仙台を行き来する生活 写真=本人提供

この過程で、同じプロレスラーであり、双子の母でもある後輩の広田さくら選手にも相談しました。彼女も不妊治療で採卵を経験し、試合の合間にトイレで自分に注射を打ちながら治療を続けたそうです。その話は私にとって大きな心の支えになりました。

また、YouTubeで他の経験者の体験談も見て情報を集めましたが、相談できる相手は限られており、孤独を感じることも少なくありませんでした。

広田さくら選手と! 写真=本人提供

わずか15分の手術、その後に感じたこと

そして迎えた手術の日。医師から全身麻酔は使えないと告げられ、局部麻酔で行うことになりました。驚いたことに、女性の局部に直接注射をして麻酔をかけるというものでした。

私はこれまでプロレスの試合の影響で腰の椎間板ヘルニアの手術を4回、また眼窩底骨折の手術を3回受けた経験がありますが、いずれも全身麻酔で行われたため、目が覚めたときには手術は終わっていました。

女性特有の身体に関わる手術はこれが初めて。これまでに経験した手術の中でも、間違いなく最も痛みが強かったです。

実際の処置時間は15分ほどだったと思いますが、注射の痛みがあまりにも激しく、その後の卵子を採取する際も意識がはっきりしているため、モゾモゾと処置を受けているときは地獄の痛みでした。

わずか15分でしたが、1時間ほどにも感じるくらい、長く苦しい時間に思えました。

結果、取れた卵子は1個だけ。凍結した卵子を使って体外受精を成功させるためには通常70個ほどの卵子が必要だと聞きました。

30代前半であれば、一度に20個ほどの卵子が取れるそうです。1個では成功する見込みは薄い。目標もはっきりしないまま受けた手術に、終わった後は絶望感を覚えました。

術後の痛みを堪えながら、仕事のためにそのまま新幹線に乗り、山形へ向かいました。帰り道の新幹線で虚しさが込み上げましたが、泣くことさえバカらしく感じました。同時に「これが私のカラダなんだ」と自分に言い聞かせました。

通院や診察、手術にかかった費用は150万円ほど。

夫婦で何度もこのような苦痛を経験している方々がいることを思うと、この先、自分にとって卵子凍結からの不妊治療は難しい選択だと感じ、そこで一度区切りをつけることにしました。

(※手術の痛みや費用には個人差がありますので、あくまで個人の体験に基づくものです)

割り切りと次へのステップ

卵子凍結をしたことでその後の発展はありませんでしたが、手術を経験して良かったと思います。自分の身体で実際に試し、お金を使って感じて得たことは非常に大きな経験でした。

若い選手には、「いつか結婚や出産を考えているけど、まだ仕事を続けたい」と考える人には卵子凍結を勧めますし、仕事一筋で気づいたら40歳過ぎていたという人には「それもかっこいい人生」と思います。

自分にしかできない生き方なのだから。

どんな選択をしても、その選択が正しいと信じることが大切だと感じています。

卵子凍結する前に、自分で決めていたことがありました。

「自分が傷つかないように、期待はしない」

「どんな結果であれ、受け入れる」

「もし無理なら、きっぱりと諦める」

私自身、今は仕事の忙しさに救われているのかもしれません。立ち止まって考えていたら気持ちが暗くなるだけだから。

私は深く傷つき、立ち上がれなくなる前に、次のステージに進む必要があります。歳を重ねるからこそ、後悔が増えていくのも自然なこと。40代を過ぎたら、人生の「たら・れば」を割り切ることが大事です。

子どもを持たない生き方にも、幸せはたくさんあります。もし、他人の幸せが羨ましいと思ったら、それは自分が新しい何かを学ぶべき時期なのかもしれないと思っています。

パートナーがいない、向いている仕事が見つからない、子どもがいない――。誰もが自分に足りないものを抱えて生きているけれど、どんな人でも、心地よい居場所は必ずあるはずです。

例えば、近所の公園やカフェ、そして自分の部屋で好きな音楽を聴きながら本を読むだけでも、幸せじゃないですか。私は、休みの日はモンステラの株分けしながら出てきた新芽に心が躍ります。人それぞれ、ささやかな幸せを感じられればそれで良いと思います。

もうすぐ45歳になる今、私は「これまで頑張ってきた自分の幸せを大切にしよう」と強く感じています。

モンステラを株分けして増やすのがとても楽しい 写真=本人提供

※里村明衣子さんとブル中野さんによる、卵子凍結についての対談もご覧ください。

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