
先日、#生理の貧困が話題になった。
「#みんなの生理」が高校生以上の学生を対象に、「生理の貧困」についてインターネット上でアンケートを行ったところ、3月2日時点で671件の回答があり、過去1年間に「経済的な理由で生理用品を買うのに苦労した」という学生が、20%にのぼることが分かりました。また、「生理用品を買えなかったことがある」と答えた学生も6%いたということです
連日テレビでも取り上げられて、やっと「生理の貧困」問題が可視化されたのだ。
しかし、背後にあるそれぞれの複雑な背景を知ろうともしないような、揚げ足取りツイート、リプライが散見された。
テレビでインタビューに応じた、経済的に困窮しナプキンを買えないという学生さんに対し、
「こぎれいな格好をしているのにナプキンが買えないのは金の使い方が悪いからだ」
「スマホ持ってるのにナプキン買えないとか言わないよね?」
こんなふうに。
貧困の実体験に飛んでくるクソリプ
既視感がある。
私が貧困の実体験をnoteで出したときも、同じようなコメントが来たからだ。
「スマホや通信費は大丈夫なんですね?それなのに貧困語るんですか?」
「大学行ってるのに貧困語るとか草」
こんなクソリプが湧いてきた。
こんな生活をしていました、という文章に対し、
「でも、大学いけたんだよね?スマホやwifiはあるみたいで安心したよ」と、すっとんきょうな皮肉を言ってくる人がいて、私はいつも真顔になる。
今回もそんなクソリプの見本市が展開され、ネットの醜悪さが煮詰められた空間が広がっていた。
「スマホ持ってるのにナプキン買えないの?」という大人の心理とはなんなのか。
考察したい。が、たぶん掘っても浅いので、とりあえずつっこんでみることにする。
「スマホ持って綺麗な服来て300円のナプキン買えないってふざけてるの」
「ナプキンも買えない程の貧困を自称する人のうちスマホの所有率を開示しろ」
……スマホに親でも殺されたんか。
冗談はこのくらいにして、スマホは現代においてライフライン。スマホがなければバイトもできないし、生活に必要な情報も集められない。
貧困を脱しろと言っているのか、STAY POOR!!と声高に叫んでいるのか。もはや自分で自分を論理破綻に追いやっている。
「私は女3人家族だけど切り詰めて上手くやりくりしてたよ!!うまくやれないのは贅沢してるからでしょ!」
なんのマウント~どんだけぇ~!
ふざけるのはこのくらいにして。
貧困なんて一括りにいっても海ほど広く深い世界です。
あなたの場合のどうにかなった、を一般化しないでください。それぞれ事情があります。
「200円で買えるよ、今では100均でも買えるらしいよ☆」
以下、お買い得ナプキン比べ大会。
まてまてーい!!ここは商店街のワゴンセールか!
ふざけるのはこのくらいにして、
生理の出費はナプキンだけではない。
生理痛がひどい人は鎮痛剤がなければ学校や職場に行くことどころか、日常生活さえままならないのだ。
またカイロや夜用ナプキン、人によってはピル(1シート2800円ほど)もなければ生活できない人だっているのだ。
「300円ほどのナプキンも買えないって、いつから日本はそんな貧困になったんだ!」
今に始まったことではないと思う。コロナによる貧困層の拡大は影響しているが、連日20年前ほどの体験談なども寄せられている。
「生理用品が買えない」背景にある複雑さ
あと、ナプキン買えない=300円も余剰がない生活を送っているというのはあまりに短絡的だ。
買えないには主に2種類ある。
○本当に生活が困窮している
○生活には困窮していないが、毒親やネグレクトなどで供給されない
(貧困と虐待のダブルパンチ、というケースも多い)
これらをまとめてしまうから話が噛み合わない。
しかし両者とも、ナプキンの無償配布や非課税化で救われる人もいることは事実だ。
「450円も出せない状況なら、生活保護などを検討せねば根本的解決にならない。配っても解決されない」
生理にかかる費用が450円では賄えないケースがあることは前述した通りだが、
配っても解決にならない、に関しては反対だ。
生活保護などで生活の底上げが必要なのはもちろんだが、それは別の議論だ。いまは「生理の貧困」について話している。
必需品であるナプキンは、生活の中でもかなり優先度が高く、経済的にも圧迫する要因なのだから、非課税化や限定的にでも配布することで救われる人がいる。
その動きに水を差すのは何のメリットがあるのだろう。
「女性だけ支援なんて優遇だ、不公平だ」
「男が払ってる税金を使うな」
なにかにつけてこういう話は出るので既視感が半端ないが。
優遇とは、少なくともゼロべ―スにある人を持ち上げるときに使う言葉で、女性に生まれたというだけで毎月固定費がかかる、いわば生まれながらのマイナスを少しでもカバーしようとすることは優遇とはいわない。
男性の払っている税が女性しか使わないナプキンに使われるのはおかしい→障害者用のスロープは健常者の税から払われるのはおかしい
くらい異常な発想だと思う。
「ナプキンも満足に買えないなんて怠惰だ。勤勉な人のお金がナマケモノに流れるなんてあってはならない」
生活の切り詰め方を指南する人まで現れて、おせっかいなのかただの当たり屋なのか区別もつかない。
これは話すと長くなるので割愛するが、自己責任論に起因している。
他者は努力していないという決めつけ、自らの安定は自らが築き上げたものだという欺瞞から、他者を攻撃しているに過ぎない。
「学生がお金を持つなんて贅沢だ」
こういうことをおっしゃる方って、自らもそういう片っ端からそぎ取られた、スマホさえない、文化的なものもない生活を送っていらっしゃるんだろうか。
弱者は弱者らしくあらねば気が済まない。1ミリでも自分の描く貧困像からズレていれば、そんなの貧困じゃない!とぶっ叩く。なんのために”相対的貧困”の概念があるかいま一度考えてほしい。
無自覚な嫉妬心? はたまた無知からくる想像力の欠如?

自分に1ミリも影響がなくても、助けを求める人が心配され状況が改善されていくとねたましくて引きずり下ろしたくなる。そんな人が世の中には一定数存在するようだ。
論点ずらさなきゃ死ぬんか我レベルの方もいるし、弱者潰しへの執着心はもはや10年越しの歪な愛を一方的に募らせた相手へのストーカー心を彷彿とさせるレベルである。彼らはなにに駆り立てられ、なにと闘っているのだろう。
弱者が憎くてぶっ叩かなきゃ気が済まない。弱者が引き上げられることで、自分の積み上げてきたものが侵略されるという妄想にとらわれているのかもしれない。
さらにやっかいなのは、そういう人たちが、自らの内でうごめく一種の嫉妬心(自分は我慢しているのに、なんでお前は心配されるのだ、など)に無自覚であるということだ。その無自覚の嫉妬心を燃料にし、ゆがんだ正義を振りかざす。
余計なお世話かもしれないが、いいたいことがある。
他人をおとしめたってあなたは幸せになれるわけじゃない。
せめて、悪意のある的外れな指摘やアドバイス、論点をずらして相手の熱を冷めさせることはしないで、静観していて欲しいと願うばかりだ(議論や意見を表明することは必要だし、皆にある権利という前提で)。
ネット上にはびこる無自覚ジェラシー、弱者は引き上げられるな論者。
根幹にあるのは、自分はこんなに頑張ってきたんだから認めてほしいという思いか。それとも無知からくる想像力の欠如か。
ドヤ顔でもの申してくるわりにそもそもどこからツッコんだらいいか分からない持論を展開していて、反論を考えるだけでこちらは消耗する。
社会に変化をもたらす芽を摘まないで
最後に。
とにかく私がいいたいのは、困っている人がいればグダグダいわずに助けたいし、問題は解像度が低いまま短絡的に話すと、的外れな指摘が生まれ、声を上げようとする人の意欲を減退させるのでやめてほしいということ。
別に助けろとか、あなたの財布からナプキン代を寄付しろと言ってるわけではない。そこを曲解するのは被害妄想ではないだろうか。
ただ寄付したいといった純粋な善意の集まり、社会に変化をもたらす芽を摘まないでほしい。
今なお鎮痛剤なしで生理痛と闘っている人、不衛生だと不安を抱きながら2日間同じナプキンを使っている人が、一刻も早く救われてほしい。
下げ合わないで、みんなで幸せになりたい。
すべての人に健康で文化的な最低限の生活を送る権利がある。それが人権だ
あれを削れ、これを削れの先に残る生活は、はたして人間らしい最低限度の生活と言えるのだろうか?
弱者にやさしい社会は、強者の特権が脅かされる世界ではない。
強者だっていつ弱者になるかわからない。誰もが安心して暮らせる社会だ。
誰かを排斥したうえで作られる理想など、初めから破綻しているのだ。
ここにあげたことをいってた人も!ね!みんなで幸せになりましょう。
【本記事は2021年3月5日掲載のnote「貧困学生に対して、でもスマホはあるんでしょ?という大人の心理」を一部編集して転載したものです】
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