「永遠に続く愛ってあるのかな?」これは、10年以上前に他界した父と私がしていた会話である。
初潮のとき手元にあったのは、ナプキンと花束だった
小学校6年生のとき、両親が離婚した。母が家を出て行った後しばらくは父と私と弟の3人で暮らしていたが、その生活も3年ほど経った頃、弟は母のもとへ。私は父とふたりで暮らすことになった。
父と娘。思春期ど真ん中の娘と父との生活が始まった。
当時30代半ばだった父は、娘のカラダの成長や生理にあまり干渉をしない人だった。父は日々の仕事や食事の用意にいっぱいいっぱいだったのだろう。娘のカラダに対し、特段気を遣われたことはなかった。
むしろ生理に関しては、出て行った母との思い出の方が強烈だ。
初潮がきたのは中学校2年生のとき。どうしようと困惑していた私のところに、母から花束が届いたのだ。
母は初潮を迎えた娘に、ただ花束を送っただけではない。
母は、家のトイレにナプキンとサニタリーショーツが入ったボックスを置いて出て行ったのだ。
でも、初潮を迎えたばかりの子がひとりで花束に感謝し、そのサニタリーショーツを履いて、パンツにナプキンを付ける、なんてできるだろうか。できない。
40代になった今の私でも、生理用品が入ったボックスは嬉しいとしても、生理がきて花束が送られてきたらまあまあ困惑する(笑)。
父には把握できなかった女性のカラダのこと
同性の母でさえも、娘のカラダについてのコミュニケーションに違和感があったのだから、男性である父との暮らしではやはり、いろいろな困りごとがあった。
例えば、周期管理ができていなくていつもナプキンを買い忘れていたこと。使用後のナプキンは、トイレではなく自分の部屋のゴミ箱に捨てていたこと。胸が成長しても、ブラジャーの買い替えができず、小さいサイズのまま使っていたこと。
周りの友人たちは母親と買い物しているのに、自分は父親となんて……。そんな気持ちも重なって、靴下ですら父と買い物に行くは嫌だったことを覚えている。
でも生理は、そんな父と娘のもたついた時期なんて全く気にもせず、ほとんど毎月やってくる。
急に生理がきたとき、私は父に電話をして「帰りにナプキン買ってきて」とお願いした。言うのもすごく嫌だったし、父が買う姿を想像すると少し気の毒に思った。だけど、緊急事態だから仕方がない。
父も父で戸惑っていたのか、返ってきた反応は「えー!またー!」。
そう、またなのだ。生理は毎月やってくるのだよ、父よ。
ネットで何でも知ることができる今とは違う何十年も前のこと。父の反応は、まあ普通な反応だったとも思う。
ここまで読むと「そんなお父さんだったら一緒にいてつらかったのでは」と思う人もいるかもしれない。けれど私は、父のことが嫌いじゃなかった。
父と私は、私が高校生のときに急激に仲良くなるのだ。
父と娘、“それぞれが別の人生を生きている”
父と母が離婚したとき、当時の私は「離婚」というものがよく理解できなかった。
永遠を誓い合ったはずの男女が、それぞれ別の人を好きになること。そして、家族が離れること。どちらもよく分からなかった。
そんな娘の気持ちとは反対に、父はいつも誰かと恋をしている人だった。
家にやってきた父の彼女にご飯を作ってもらったこともある。父子家庭になったばかりの頃は当然、父のこともその状況も受け入れることはできなかった。
けれど、そんな父を私が肯定できるようになったのは高校生のときだ。
きっかけは、私に好きな人ができたことだった。
一緒にいれば、相手を好きになったり嫌いになったりする。父もひとりの人間。「恋をする」ことを自分も経験したときに初めて、父の恋愛を肯定できるようになったのだ。
父もまた、高校生の私の恋愛を否定することはなく、当時付き合っていた彼氏を家に呼んだときはまるで自分の息子かのように歓迎していた。
それ以来、父と私は恋愛をはじめとしたいろいろな話をするようになった。生理やカラダのことは相変わらず話題に上がらなかったけれど、私たち親子は「それぞれ別の人生を生きている」という点で一致し、認め合っていたのだ。
父と娘。それぞれが息苦しくなく生きていくための方法は、100%お互いのことを“理解し合う”だけではないのだと思う。
もしあのとき、父が私の恋愛を否定していたら、私たち親子は上手くいかなかったと思う。自分は彼女を家に連れてきているのに、「娘の彼氏はダメ」だったら、きっと私は納得できなかっただろうし、認め合う関係になれなかっただろう。親と子だけど、同じ立場で接してくれた。
振り返っても、父と過ごした時間はすごく楽しかったと胸を張って言える。私の女友達の集まりに、父が一緒になって恋バナをしたこともあったし、あるときはふたりで「永遠に続く愛ってなんだろうね」と話したこともあった。それも同じ立場と目線で・・・。
「いや、親子なのに?」とツッコみが入るような関係性。それが、私と父だったのだ。
(構成:うと)