「子宮全摘手術でがんが見つかった場合は卵巣・リンパ節まで切除します」

やっと手術を受けることを決めた私に、追い討ちをかけるように医師は言った。

数カ月前に受けた精密検査では「前がん状態」、がんの一歩手前だった。

子宮全摘体験記【決断編】はこちら)

検査は子宮の一部を採取して行った検査結果に過ぎず、今回の子宮全摘手術で子宮全体を検査するとがんが見つかる可能性もあり、万が一がんが見つかった場合は転移を避けるために卵巣、リンパ節まで切除する必要があるとのこと。

そして、その判断は手術中に行う迅速病理診断※の結果次第だという。

※術中迅速病理診断とは

手術の最中に一部の細胞や組織を採取し、病理医が短時間で、腫瘍が良性か悪性か、リンパ節に転移していないか、などについて診断すること。

参照)https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/modal/jutsuchujinsokubyorishindan.html

子宮だけじゃなく、卵巣もリンパ節も切除するの…!?

フリーズする私に医師は続けてこう言った。

「卵巣を取ると女性ホルモンが低下するので、個人差はあるけれど更年期症状が出ます。また

リンパ節を取ることで、リンパ浮腫といってむくみが出ます。

残念ながらこのむくみはマッサージなどで緩和することはできても完全にゼロには出来ないので理解してください」

子宮だけでなく卵巣もリンパ節も取って、更年期症状と足のむくみも受け入れろということか。

私の頭の中には白髪だらけでシワシワの象みたいな足のおばさんが思い浮かんだ。

正直、どんだけだよ、と思った。

子宮全摘と卵巣切除。募る不安で検索しまくった日々

「子宮を失ってもまだ卵巣がある、卵巣があれば更年期症状はまだ先で、今までと変わらない生活が送れるから大丈夫!」と自分を励ましながら子宮全摘手術を受け入れたのに、子宮だけでは飽き足らず、卵巣も持っていかれるのかい?と思うとまた気持ちが落ち込んだ。

検索魔の私は「卵巣切除 ホルモン低下 後遺症 更年期症状」などのキーワードで検索しては、関連記事やブログを読み漁った。

そして、読めば読むほど子宮全摘よりも卵巣切除の後遺症のハードさを知って気が滅入った。

うつ、頭痛、ほてり、のぼせ、肩こり、性感異常などの更年期症状、骨粗鬆症、心筋梗塞…子宮も卵巣もリンパ節も取って更年期症状に苦しみながら足はむくんでいく…。

そんな毎日って生きてる意味あるのかな?長生きして人生楽しむために手術を受けるんじゃなかったっけ、私?

でも、だからといって、手術を止めるわけにもいかない。

手術を止めたらいずれはがんだ。

手術でがんが見つからなければ子宮全摘のみで済む。

私に出来るのは、手術でがんが見つからないことを全力で祈るのみだった。

病気を伝えることがこんなにパワーがいるなんて

子宮全摘の手術を受けることは、夫と、自分の両親や兄弟、職場での同僚数名だけに伝え、それ以外の人に説明が必要なときは「婦人科系の手術と入院」とだけ伝えた。

なんとなく、「子宮を取る=女性ではなくなります」と宣言するような感覚があって家族やごく近しい人以外には簡単に口に出来なかった。

事実、近しい人に伝えただけでも、相当なハードワークだった。

手術を知った私の母は「きっとあなたを早産で産んだからに違いない。そんな風に産んで申し訳ない」と急に懺悔を始めたし、知り合いからはがんの民間療法を勧められたり、勝手に何かの宗教の祈りを捧げられたり…。

他者の100%善意からの言葉やアドバイスは時に私をエグってきた。他者へ病気のことを伝えること自体が、実はすごくパワーのいることだとわかった。

そして、今後誰かから病気の話を聞いても、私は余計なことは言わず、そっと見守ろうと心に誓った。

手術までの1カ月半は、血液検査、MRI、心電図、心臓超音波検査(心エコー)、肺活量測定など術前検査を受けたり、医療保険の手続きや仕事の調整をしたり、万が一のことを考えて自分のお金周りを整理した。

そして過去の日記や、今まで捨てられずになんとなく持っていた元カレの写真など、私が亡きあとに夫が見たら不愉快になりそうなものはすべて処分して、大袈裟かもしれないけれど、夫宛に今までの感謝の気持ちとへそくりは全部あげるという内容の『遺書』を書いた。

手術開始

そして迎えた入院日。

病室に入ったあとは、入院中のテンションを少しでもあげるべく用意したかわいいパジャマに着替え、初日は重湯と下剤を飲んで胃腸を空っぽにして手術に備えた。

少しでも気分転換できるようにパジャマは3種類準備

手術当日。

私の手術は、腹腔鏡手術でお腹に5個穴を空けて子宮と卵管を切除する。

迅速病理診断でがんが見つかった場合、へそ臍下15cmを切る開腹手術に切り替え、卵巣とリンパ節まで切除する。

銀色のだだっ広い手術室で手術台に上がると「わ〜手術っぽい」と素直な感想が出た。

どこか他人事のような感覚でいる私をよそに、どんどん手術準備が進められた。

術後の痛みを軽くするため、背骨に近いところに細い管を入れて麻酔薬を流す「硬膜外麻酔」の注射は痛かったが、それ以外は多少緊張はしたものの、全身麻酔だし、まな板の上の鯉状態で怖さはなかった。

口に麻酔ガスが出てくるマスクをあてられた。

「ゆっくり深呼吸してください。5つ数えるうちに気を失いますよ〜」と言われたような気がした次の瞬間、「あやさん、あやさん、無事手術が終わりましたよ〜」と看護師さんの声で目覚めた。

ベッドごと集中治療室に運ばれながら、手術を担当した医師が「あやさん、がんは見つからなかったよ!卵巣は残っているから安心してね!」と教えてくれた。

麻酔から完全には覚めていないぼーっとした頭と心で、病院の天井を見ながら最初に思ったのは「ああ〜生きてる、良かった。生きてるだけで十分だったんだ」ということだった。

急に悟り?と思われても仕方ないけれど本当にそう思った。

なんなら、この世に生きている以上に大切なことってある?とさえ思った。

そのあと、病室に夫が来てくれた。コロナの影響で面会は術後10分のみだったが夫と話すことができた。

普段から夫に感謝も尊敬もしているけれど、この時ほど彼の存在をありがたいと思ったことはない。

私たちは結婚10年目。子どもはいないし、お互い血の繋がりもないけれど、こういう時に居てくれるだけで安心できたし、心強く思えた。

うろ覚えだが、ようやく、私たちも本当の意味で家族になったんだ、この人と結婚して良かった、と思った気がする。

わたし、生きているだけで完璧じゃん。

その後、一晩、集中治療室で過ごすことになった私の状態はと言うと、足には血栓防止のためのフットポンプなるものがつけられ、ずっと自動で足揉みをされていた。

翌日全く足が浮腫んでいなかったので、マッサージ機として普通に欲しいと思った。笑

左腕には点滴、爪には脈拍を測るセンサーみたいなものがくっついていた。

それに、膀胱にも管、背中にも痛み止めが流れる管が通っていて全身管だらけ。

麻酔を入れるために気管にチューブを入れていた名残で声は出ないし、喉は痛い。

痰が出そうになり、看護師さんからも「痰は積極的に出しましょう」と言われていたので、咳をしてみたら痛みで悶絶してしまう始末。

そんな身動きが取れない中、かろうじて手は自由なのでスマホで家族や友人・知人に手術が終わったことを報告した。

ちなみに、入院を少しでも楽しめるように電子書籍をたくさん買い込み、映画も見られるようにしていたけれど、全然そんな気は起きなかった。

人は元気だからこそ欲が出てくるのであって、身体が元気じゃないと無欲になることを知った。

やることもないし、眠ろうと思ったものの、術後の高熱と体のあちこちが痛くてたまらなかった。背中の管から痛み止めを流しても、痛み止めの点滴を入れてもらっても痛かった。

さらに隣のベッドのおじさんのいびきが大きくて、とても寝られたもんじゃなかったので眠ることを諦めた。

天井を眺め考えを巡らせていたら、なぜか小さい頃の自分のイメージが浮かんできた。

母と一緒に遊びに行ったこと、妹や弟と家で留守番しながら両親の帰りを待ったことが次々に思い出された。

死ぬ前に見る走馬灯ってこんな感じか?私は生還したばかりだから、逆バージョン?と思った。

「人は完璧な状態で生まれてきて、ただただ愛される存在。足りないものなんて一つもなくてすでに幸せだし、人生を楽しむ以外に大切なことなんてない」

熱で浮かされていたのもあるかもしれないけれど、とにかくそんな思いが全身を駆け巡った(気がする)。

私は子どもを産んだことがないから実体験としてはわからないし、母に面と向かって聞いたこともないから定かではないけれど、きっと母は私が生まれたとき、この上なく嬉しかっただろうし、私は十分愛情を注いで育ててもらったなとも思った。

生まれた時点ですでに望まれて愛されていた存在。

そう考えると、私はやっぱり生きているだけで完璧じゃん。

お金とか仕事とか、あれがない、これが足りない、自分に自信がない、誰かの期待に応えなきゃとか、マジでどうでもいいことだわ、という境地に至った。

そして、今後、私がやることはたったひとつ。

自分の身体と心の声を聞いて人生を楽しむこと、それだけだなと思った。

もし術後の病理検査でがんが見つかって卵巣やリンパ節を取ることになったとしても、取って長生きしよう!と素直に思えた。

この思いにたどり着いた時、多分、私は泣いていた。

かっこよく、天井を見上げながら、ひとつの真理っぽいものに辿り着いたことにしておきたいが、実際は、涙と鼻水でぐちょぐちょで、鼻水を噛むたびに痛みで悶絶していた。

術後の経過

そして、術後は順調に回復した。

まずは次の日、膀胱の管を抜き、歩く練習。笑っちゃうくらい歩けず、すぐ疲れた。

夜もお腹の傷が痛くて眠れなくて睡眠剤をもらった。

でも、人間の生命力とはすごいもので、日々回復していくのを感じた。

昨日より少し歩けるようになったり、ごはんを美味しいと思えたり、コーヒーが飲みたいなと感じたり、本を読んでみようという心の余裕ができたり。

そして、術後5日目にシャワーの許可が出て髪の毛を洗ったら、一気にいつもの自分が戻ってきたような気がした。

その後、私は予定通り、1週間で退院した。

退院直後は夫につかまらないとベッドから起き上がれず、亀くらいのスピードでしか歩けなかったけど、日に日に出来ることが増え、1カ月ほどで仕事にも復帰し、普段通りの生活が送れるようになった。

そして医師から手術の最終結果を報告された。

子宮と卵管は全て切除し、術中迅速病理診断の結果、がんは見つからなかったので卵巣とリンパ節はそのまま残すことができた。

ただ、お腹を開けてみたら片方の卵巣の手前にこぶのような筋腫もあり、それも摘出、病理検査へ出した。

病理検査でもがんは見つからなかったので、再度の手術はなし。今後3年間の経過観察となった。

ほとんど普段通りの生活が送れるようになったわけだが、そうじゃない部分や最初に教えて欲しいと思うことももちろんあった。次回「術後の生活編」へ続く。

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