写真=本人提供/Laundry Box

お腹が痛い。喉が痛い。足が痛い…。

こうしたカラダの痛みは数字で表すことができません。どのくらい痛いのか、それを知っているのは自分だけですよね。

「自分のカラダは自分で守ろう!」といった“ワタシ”が基準の言葉も耳にしますが、他者と痛みを比較することは難しいために、「これくらいの痛みは普通なのかもしれない…」そう思って我慢していることはありませんか?

今回は、「カラダの痛みには個人差がある」ということについてお話したいと思います。まずは、「生理痛」について。

「これは普通」そう思っていたけれど…

そもそも生理(月経)とは、カラダの正常なしくみなので、痛いと訴えることを遠慮してしまうことがあると思います。たとえ「痛い」と訴えても「病気ではない」「生理痛はみんなあるから」と、あまり深刻に扱ってもらえないことも多い。つわりも同様ですね。

私自身、35歳を過ぎた頃、生理時に痛みがつらくて1週間ほど動けない状態になりました。また、生理中だけではなく普段の生活でも貧血で、椅子から立ち上がるときには必ず「フラッ」としていました。


その姿を見た友人が「それ普通じゃないよ!」と指摘してくれたとき、私はようやく自分のカラダの危険信号に気付いたのです。慣れとはおそろしい!

多くの人が経験するものでも、“あなただけ”の痛みに耳を傾けていい

Photo by Kawin Harasai on Unsplash

ただ、自分では「これくらい普通」と思っていても、そもそもの判断材料が自分の感覚だけなので、カラダの深刻なケースに気づかない場合がありますよね。

私の場合、あんなに重い生理の正体は「子宮腺筋症」という病気でした。

この病気で、2度ほど深夜に救急病院に行ったことがあります。脂汗に冷や汗、寒気、締め付けられる腹部全体。意識が遠のく…。その場で入院したことも。

30歳から始めた不妊治療を一度中断して子宮腺筋症の治療をスタート。そして、その治療を42歳で終えたとき、婦人科で子宮腺筋症の広がりや進行状態をMRI画像で見せてもらったことがありました。

すると一目瞭然。

痛みは見えないもので曖昧だったのに、可視化された途端、冷静に、そして客観的に自分の病気とカラダを直視することができました。

病気が悪化し、悩んだ末に、私は子宮の全摘出を決心することに。

子どもを産むために必要な臓器が子どもを産まずして摘出されてしまう。何のために何十年も生理を繰り返していたのだろうと思ったこともあったけれど、「長い間お疲れさまでした!私の子宮!」という労いの気持ちの方が大きかったかな。

全摘出後は10年ぶりに貧血の数値も正常に回復し、とても快適な生活を過ごしています。もちろん今まで貧血解消のために鉄剤を服用したり、食事の改善は試みてましたが、やはり過多月経のためにカラダが追いつかなかったんでしょうね。

子どもは産みたかったけれど、日常生活も大事ですからね。

そう。子どもが欲しい女性にとって、出産もまだしていなければ、子宮全摘出にはとても勇気がいることでしょう。すぐに決断できる臓器ではないと思います。

だからこそ、子どもを望む人は大事にして欲しいと思います。そういう私も大事にしていなかったわけではありません。鍼(はり)をしたり、温灸(おんきゅう)をしたり、冷たいものは控えたり…いいと言われることは全部と言っていいほどしていました。

しかしいつからか…というと、やっぱり結婚して子どもを望んで焦る気持ちから自分の子宮のサインに気づけなくなったような気がします。

もちろん、子どもを望む人に限らず、子どもをいますぐ欲しいと思っていない人や将来子どもを欲しいとは思っていない人も、20代からでも身体のチェックとして検診を受けてほしい。特に痛みがひどい場合や、不正出血がある場合は迷わず受診をしてください。

また、いつか子どもを産みたいと考えている人や産みたくなったときのことも考えて、「卵子の老化」は(精子もですが)学生のときに性教育で必須知識にしてほしいところ。ですが、普段の生活から「子宮」を労ることも忘れずにいてくれたら嬉しいです。

相手のつらさを自分の物差しで測らないこと

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そして、かなりひどい生理痛を6年ほど耐えていたのですが、自身の痛み以外に地味にストレスだったのは、周囲の理解が乏しいことでした。

「生理はみんなつらい」「病気じゃない」という考え方が強いと感じることがあります。これらの言葉は男性からは言われたことがなく、生理を経験する女性から言われることがほとんどです。自分が経験していることだったら、他人のことにもつい介入してしまう罠がありますよね。

生理に限らずですが、基本的に自分の尺度で相手の物事を見るから、痛みや経験は個人差があるということをすっかり忘れて相手に負担となる言葉を投げかけてしまう人が多い、それに尽きます。

「痛い」「つらい」と困っている人の訴えを、そのまま受け入れることはそんなに難しいことなのでしょうか。

今、世界中で新型コロナウイルスのワクチン接種が行われていますよね。人類初めての経験です。ワクチン接種について不安もあります。今まで、こんなにもみんなが1つのことを経験し、同じことについて話し合う機会はなかった。

これも、多くの人が経験している痛みだけれど、症状も重さも個人差があるのに軽んじられてしまうことが多い「生理痛」のときとは違う風が吹いているなと感じます。

例えば、ワクチン接種後の副反応は本当にさまざまですよね。発熱や、頭が割れそうな頭痛、吐き気、腕が上がらないほど腫れるなど(注)。一方でほとんど症状がでない人もいますよね。

(注)参考:新型コロナワクチンの副反応について|厚生労働省

同じものを接種しても、これだけ反応が違うということが毎日のようにあちこちで語られ、「個人差があるよね」ということは周知された。私は、副反応が強く苦しんでいる人を否定する言葉を目にしたことがありません。逆に、労う言葉は頻繁に目にしました。

生理痛をはじめとして、つわりも、偏頭痛も多くの人が経験していること。でもそこには「個人差」があることを心に留めておけたら、多くの人の気持ちが軽くなる。そう信じて今回のコラムを終わります。

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