2019年に特別養子縁組で子どもを迎えた池田麻里奈さんご夫妻。養子という選択肢は、日本ではまだ事例や情報が多くありません。池田さんは10年以上にわたる不妊治療で、二度の流産と死産を経験。子宮腺筋症の悪化により子宮を全摘出し「“産むこと”ができなくなっても“育てたい”という気持ちが残っていた」と、養子を迎えた決断の背景を語ってくれました。

夫婦の間で子どもを持つか持たないかは、ふたりで決めていくこと。ですが、不妊治療は、痛みをともなう検査や処置などがあることから、肉体的な負荷は、女性側に偏りがちな現実があります。肉体的に同じつらさを共有できなくても、「ふたりごと」として寄り添い、向き合うことは必要不可欠と言えるのではないでしょうか。

治療中、そして養子を迎えるにあたり、どのように自分自身の体調や心境を見つめパートナーと話し合っていったのか。池田さんに話を聞きました。

不妊治療中に変化していった夫婦の向き合い方

——池田さんは30歳から不妊治療を開始されたそうですね。治療中は、ご夫婦でどのように話し合いをされていましたか?

実は、治療中はあまりうまく話し合えていませんでした。私は通院して治療を受ける、夫は仕事をして治療費を稼いでくる、と役割が二分化されすぎてしまったなと反省があります。

不妊治療では、通院に時間がとられますし、もちろん肉体的・精神的なダメージも大きいです。思わず「つらい」と打ち明けると、夫からは「休んでもいいよ」というような返事が来てしまう。私が楽になるだろうと、よかれと思って言ってくれるんですよね。でも、やめるかやめないかのアドバイスを求めているわけではなく、「つらい」という気持ちにただ寄り添ってほしかった。

治療を続けるのもやめるのも不安で怖いんです。周りの同世代が妊娠出産ラッシュを迎えるなか、一刻も早くみんなに追いつきたい、子育てをスタートしたい。そう思っているから、治療をお休みするなんて選択はどうしてもできなくて。私も「結論が欲しいわけじゃない。寄り添ってもらえないことが悲しい」という心の声を夫に伝えられずにいました。会話がずれたまま、お互いの心が離れていくようなモヤモヤを感じていましたね。

——まずは気持ちを受け止めてほしかった池田さんと、よかれと思って「休もう」と言ってくれる旦那さんの間で、すれ違ってしまったんですね。

そうですね。夫婦できちんと向き合った対話ができていませんでした。妊娠せず月経が来てしまうと、「またできなかった」とショックを受ける間もなく次の治療をどうするか早急に決めなくてはなりません。共働きなのできちんと話せる時間もなく平日の夜に相談すると、夫は「君がしたいなら続けよう、僕がお金は何とかするから」と。一見優しい言葉のようですが決定権を丸投げされたように聞こえて、悩みをひとりで抱えてしまっていました。

不妊治療をどんなに頑張っても100%子どもを授かるとは限らない。でも、もし妊娠しなくても夫婦関係は続いていきます。だからこそ、子どもを授かる授からないにかかわらず2人で話し合って決めていくというプロセスを大事にする必要があります。当時はその視点を持っていませんでした。

——死産という悲しい結果になってしまった3度目の妊娠では、つわりがつらかったとお聞きしました。ご夫婦の関係には変化があったのでしょうか。

5週目くらいから、逃げ場のない船酔いのような感覚がずっと続きました。冷蔵庫に水を取りに行きたくても、起き上がることもできない。介助がないと何もできず、1日がひどく長く感じられました。

つわりで寝込んでいたとき、涙を流しながら「あなたのご飯だけでもお義母さんに届けてもらって」と夫に言ったことがあります。2人が待ち望んだ幸せな妊娠のはず。それなのに泣いている私を見て、夫はひどく動揺していました。

そんな私を見た夫は、次の日には職場に「ノー残業宣言」をして、苦手な料理をしてくれるように。今までとは変わり、全力で私をサポートしようとしてくれる夫の気持ちが嬉しかったですね。それまでのモヤモヤが一気に晴れるようでした。

子宮腺筋症が悪化し、子宮の全摘出を決断

——ご夫婦で死産の悲しみを乗り越えた池田さん夫妻。その間に悪化していってしまった子宮腺筋症はどのような症状でしたか?

子宮腺筋症は、内膜組織が子宮の筋肉の中に潜り込んでしまい増殖する病気です。不妊治療の真っ最中だった30代半ばくらいから、それまで感じたことのない、お腹をえぐり取られるような月経痛がやってくるようになりました。痛み止めの薬を服用していたのですが、それでも抑えきれずに寝込んだり起き上がれなくなったり。脂汗をかきながら、ひたすら痛みが過ぎるのを待っていましたね。過多月経の症状もあり、ナプキンを頻繁に替えないと間に合わない。出血が心配でそうそう出かけられないですし、寝るときは布団を汚さないようにバスタオルを敷いて寝ていました。

——かなりおつらかったでしょうね…。

しんどかったですね。でも、腺筋症の治療を始めるとなると、不妊治療をストップしなければなりません。まずは赤ちゃんを、と焦る気持ちから手術には踏み切れずにいたんです。

ただ、死産を経てからは、以前のようなペースで不妊治療を続けようと思えませんでした。諦めない限り可能性は0%ではない…と揺れる気持ちもありましたが、42歳で区切りをつけることに。残していた最後の受精卵を移植し、陰性の結果を確認して、不妊専門クリニックとお別れをしました。できることはやり切ったと、不思議とすっきりした気分でしたね。

その後婦人科を受診しMRIを撮ると、子宮は通常の3倍に広がっていました。30代では妊娠・出産を最優先していましたが、想像以上に腺筋症が悪化していたんです。そして、医師からは「根治するには全摘出するしかない」と言われました。

——その際は、ご夫婦でどのように話し合われましたか。

「医師から全摘出の提案を受けた」とメールで伝えると、「今日の夜に話そう」と珍しくすぐに返事がありました。

当日の家族会議で、夫は「女性にとって子宮を取り除くことは、男性でいうとどの臓器にあたるんだろう?」と言い出したんですよ。あそこかな、ここかな、って。そのたとえが正しいかわからないですが、どれくらい大変なことなのか自分に置き換えて考えてくれたのが嬉しかったですね。

——悩みを自分ごととして一緒に考えてくれるって、嬉しいですね。

不妊治療は終えましたが、子どもを諦めたわけではありません。可能性は低いかもしれないけど、自然に妊娠できれば……という希望はまだ残っていたんですよね。でも、子宮を失えばそれもなくなります。

病気によってどんなに日常に支障が出ていても、やっぱり子宮を全摘出するという喪失感は大きい。その苦悩や悲しみを認めてもらえると、気持ちがゆるやかに溶けていくように感じました。

「この年齢だからもう取り除いてもいいんじゃない?」「どうせ妊娠できないし」と言われていたらショックだったでしょうね。私の気持ちを夫が理解し、受け止めてくれたことで全摘出に踏み切れました。

Photo by Haruka Nakamoto/Laundry Box

2人の“ずれ”を、都度埋めていくように対話する

——不妊治療中と違い、しっかりと向き合って対話されている印象を受けました。夫婦間のコミュニケーションをよくするために、何か工夫があったのでしょうか?

そうですね、私たちはようやく対話ができる夫婦に成長できたかもしれません。向き合うために、2つのことに気を付けていました。

まずは、「その場で思いを伝えること」です。話し合いで傷つくと、ショックで言葉が出てこなかったり、その場を離れたくなってしまったりしますよね。でもそれでは改善されていかない。改めて「あの時のあの言葉」と話した時にはすっかり忘れられていることもあるので、会話のずれを感じたらそのときに言うようにしました。

もう一つは、「ずっと一緒にいるからお互い理解しているはず」「しんどい気持ちに気づいてくれるはず」これらは残念ながらすべて思い込みです。だから、伝えないと相手もわからないんですよね。「こういう言い方をしないで」という伝え方では、相手は言葉をかけないことが対処法だと思ってしまいます。そうではなく「こういう言い方をされると私は“悲しい”」と、心の声をセットで伝えることが重要です。

——心の声をその場で伝えていくことで、会話のずれを埋めていくんですね

次に、重い話題を話し合うときは「環境を整えること」も大事です。夫婦は毎日一緒に暮らしているから、会話がなあなあになりがちですよね。でも、弱い部分をさらけ出すような話題は、打ち明ける側も聞く側も心の準備が必要。仕事後に帰宅していきなり切り出されても相手はびっくりしてしまうかもしれません。

私が学んだ心理学の先生方は、よく「夫婦でもアポを取りましょう」と言っています。ビジネスの場での会議だったら、絶対アポを取りますよね。「これについて話したい。時間ある?」と、候補日を複数出しておくとお互いに準備しておけます。あとは、相手をねぎらう言葉をかけたり、「聞いてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えたりしています。お互い寄り添うようなコミュニケーションの場がつくれるといいですよね。

夫婦で養子を迎える決断。自分の気持ちを伝えることを大事にした

——子宮全摘の手術直後に、養子を迎えたいと綴ったお手紙を渡されたそうですね。

子宮を全摘出することで月経のつらさからは解放されるけど、それで終わりじゃないと知ってほしかったんです。そこで、ずっと延ばし延ばしにしていた「養子を迎える」という選択にちゃんと向き合うことにしました。手紙には、「子どもが欲しかったという気持ちは変わらずに残っている。この先、笑っていても楽しそうにしていても、その思いはずっと根底にある」と書いて。これからも人生を一緒に歩むパートナーだからこそ、伝えておきたいと考えました。

——なぜ手紙で伝えようと思われたんですか?

会話だとうまく伝えきれないので、大切なことは手紙を書くのが私に合っているんです。文字にすると、自分のなかで推敲ができるので。私は何がつらいのか、何を大切にしているのか、何を思っているのか。相手に伝える前に、まず自分と対話をしているんですよね。

——相手に伝える前に、まず自分と向き合うんですね。

はい。それに、会話だとその場で相手に反論されてしまうかもしれません。もし相手の最終的な意見が「No」であっても、私の気持ちを知っておいてもらえることが大事なんです。

どんなに近しいパートナーも、自分とは違う人間。相手を動かしたり変えたりすることは難しいですよね。だからこそ、私の気持ちを伝えることを目的にしています。

もちろん、できるかぎり相手に理解してもらえるように相手の立場や状況もふまえて書きました。「あなたにとっての夢は自分の会社を成長させること。私の夢は子どもを育てることで、それはまだ叶ってはいない」と。手紙を読んで、夫は「わかった。一緒に付き合うよ」と答えてくれましたね。

写真=『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)より 撮影/回里純子

壁にぶつかっても、夫婦で人生を描き直していく

——3人家族となり、コミュニケーションに変化はありましたか?

夫婦でさらに会話をするようになりましたね。子どもはどんどん成長してできることが増えていきます。「階段を上れるようになったから転ばないように注意しようね」とか、「寝かしつけにはこの毛布を使うといいよ」など、子どもの状態を2人でちゃんと共有するようになりました。共有することで、お互いに知見を溜めていけるんです。

そして、小さなすれ違いを感じたらその場で伝えることもひき続き大切にしています。夫婦のいざこざって、日常のちょっとしたことから生まれるんですよね。その瞬間に起こったことで揉めるのではなく、前々から溜まっていたことがそれをきっかけに表面に出てくるというか。だからこそ、ため込まずに相手に配慮しながら伝えていく。その積み重ねがきっと、幸せな生活に繋がっていくんだと思います。

——「“普通”の枠にはまろうともがき苦しんでいた」と著書で語られていました。不妊治療と特別養子縁組を経て、現在の家族のあり方についてどうお考えですか。

結婚して子どもを授かる。そんな人生のイベントは、望めば自然に訪れると思っていました。しかし不妊や病気でそれが叶わず壁にぶつかったんです。小学生のときに両親が離婚して父子家庭で育ったこともあり、「普通」の家族に憧れていたんですよね。

でも、不妊治療中に携わっていた子どもたちの声を聴くボランティアの経験で知ったことがあります。それは「普通」なんてないということ。血の繋がった家族同士でも、家庭内でさまざまな問題を抱えていました。父がいて、母がいて、子がいて、血が繋がっている、そんな形だけの「普通」にこだわっても意味はないのだと。

思いもよらない家族の形にはなったけど、私は今幸せです。夫婦での対話を重ね、特別養子縁組という新しい選択肢を知ることで、最初に思い描いていたストーリーを描き直すことができました。壁にぶつかっても、夫婦や家族で人生を描き直していけるか。それが大事なことだと思っています。

文:村尾唯/取材:中本遥河

ランドリーボックスでは、特集「これからのパートナーシップ〜どう伝える?どう寄り添う?〜」をはじめました。
生理、PMS、不妊治療…。
女性のからだや心にまとわりついてくる体調不良の数々。
パートナーが理解して寄り添ってくれれば…と、ついつい思ってしまいます。
こんなとき、みなさんはどうパートナーに伝えているのでしょうか。
また、パートナーはどんな気持ちで寄り添っているのでしょうか。
ランドリーボックスは、様々な人たちの声を聞きました。
お互いに理解し、寄り添う二人の選択肢のひとつになれば幸いです。

New Article
新着記事

Item Review
アイテムレビュー

新着アイテム

おすすめ特集