自分で自分の性的快楽を得る行為の呼称には、歴史があります。

一般的に「オナニー」と呼ぶことが多いかもしれませんが、古くは「皮つるみ」と言われていた時代がありました。現代は「セルフプレジャー」とも呼ばれています。

今回、オナニーの呼び方の変遷を辿ろうとしているのは、とにもかくにも、呼称に社会が映り込んでいると思うからです。

「オナニー呼称考」と題して考えてみたいことは、呼称の変遷と、その背景にある社会のオナニーに対する捉え方のありよう。

そのダイナミックな歴史に、少しばかりお付き合いください。

(本記事では字数の観点から、自分で自分の性的快楽を得る行為の呼び方として「オナニー」を採択します)

オナニーに相当する語彙はいくつもあった?江戸時代まで

日本において古くは、オナニーのことを「皮つるみ」や「千摺り(せんずり)」と呼びました。

1番古い記録は『宇治拾遺物語』と言われています。『宇治拾遺物語』は1200年代初期に成立したとされているため、今から約800年ほど前の話です。

一生不犯の説教中にとある僧が「昨日も皮つるみをした」と震えて告白すると、どっと笑いが起きたという話があります(ちなみに、この皮つるみの解釈をめぐっては、オナニー説と、男性同士の行為説があります)。

国書データベース『宇治拾遺物語』より引用

その後、江戸時代に「千摺り(せんずり)」と呼ぶようになります。「千摺り」の語源や言葉が生まれた社会背景について明らかになっていませんが、ひとつ言えることは「皮つるみ」も「千摺り」も、字面や音が想起させるように、男性のオナニーを指していると考えられることです。

他にも、男性のオナニーを指す言葉には「五人組」「五人ばやし」「ててんじょう」「手づるみ」「手弄(てざいく)」「あてがき」などがありました。

では、女性のオナニーを指す言葉は何だったのでしょうか?

戦後に多くの資料を渉猟した本木至(きもといたる)氏は、『オナニーと日本人』(インタナル出版部 昭和51年)をまとめ、その中で次のように述べています。

男の独悦を指す言葉の多彩さにくらべても女の張形使用を諷した川柳のおびただしさに比しても、女の独悦を指す言葉が少ない

オナニーと日本人 p.42 より

多くの資料を読み通しているからこそ、この指摘は面白いです。

しかし、存在していないわけではなく「くじる」や「開挊(ぼぼせんずり)」などと呼んでいたことがわかっています。ちなみに開(ぼぼ)は、女性器のことを指します。

他にも、クリトリスをいじることを「核手淫(さねせんずり)」とも。漢字だけでなんとなく意味の想像がつくあたりが面白い。

「開挊」や「核手淫」は、男性のオナニーを指す「せんずり」に、女性器の名前がついた形をとっていることから、当時の女性のオナニーは男性ありきで観念されていたのか?女性のオナニーを指す言葉が少ないということは、何を意味するのか?など、いろいろ考えさせられます。

春画に描かれた女性のオナニー
<コラム>
オナニーの語史に関する学術本や論文を読んでいると、「皮つるみ」や「千摺り」が多く登場します。これらは当時のいわゆる「標準語」に相当すると考えられるます。ちょっと調べてみると、例えば、アイヌ語では「yayokoyki」(yay(自分の)+o(陰部)+koyki(いじめる))、肥後方言では「ててんじょう」(手で精液を天井へ放出する意)、尾張方言では「おべんちょ」と、地方によって呼び方がさまざまであったことが伺えます。余談になりますが、昔は男性器や女性器を指す言葉が地域によって異なり、30語前後存在していたことを鑑みると、オナニーに相当する言葉が、全国各地でもっと多く存在していたかもしれないことは、想像に難くないです。

「皮つるみ」に近代化がやってくる

時は流れて、明治時代。

オナニーの呼称の変遷を考える上で、とても大きな出来事があります。

言わずもがな、近代化です。

西洋に追いつけ、追い越せを目指した日本は、当時欧米で盛んに議論されていた性の知識を大量に輸入することになります。

文明開化時に広がった性学(セクソロジー)ということから、「開化セクソロジー」と呼ばれています。

オナニーの呼び方も、例外なく開化セクソロジーの影響を受けました。

では、西洋ではオナニーについて、どのように考えられていたのでしょうか?

西洋では端的に、オナニーが道徳的にも、医学的にも「悪いこと」と考えられていました。

西洋においてオナニーが「悪いこと」として考えられるようになった契機は、18世紀初頭にロンドンで出版された『オナニア』だったと言われています(初版年については、1700年、1711年、1724年など諸説あり)。

オナニアの表紙

著者不明の『オナニア』の内容は、主にオナニーの医学的な有害性についてでした。

例えば、オナニーをすると衰弱、不妊症、有痛排尿、カントン包茎、癲癇等を起こすといった具合。本の中では、オナニーのことをself-pollutionと呼んでおり、自分で自分の性的快楽を得ることが、自分を汚すことであると観念されていたことがわかります。

『オナニア』は瞬く間にヨーロッパ中で翻訳され、広がっていきました。

その後、1758年にスイスの医師であるティソによって、オナニーの医学的有害性を説く『オナニスム』が出版され、病理としてのオナニー論が定着していきます。

ティソに続いて、何人もの医者がオナニーの有害性を説く本を出します。フランスの医者T・D・ビエンヴィル、イギリスの医者ウイリアム・アクトン、アメリカの医者ベンジャミン・ラッシュ、アメリカの精神科医クラフト・エービングなど。こうしてオナニー有害論は、医学の権威を伴って社会を席巻していきます。

こうした西洋社会で、医学、精神医学、性科学の名をまとったオナニーについての考え方は、日本にも輸入され、オナニーは悪しき行為として考えられるようになっていきます。

日本において西洋の性科学に関する書籍を翻訳していく中で、「自瀆(じとく)」という言葉が生まれます。他にも「自慰」や「独淫」「手淫」など。

漢字を見てみると、オナニーがどのような行為として捉えられていたのか、ということがわかります。オナニーは自分を「けがす」行為であり、「慰める」ことであり、「淫ら」でもある。

まさに、近代化の過程で輸入した西洋におけるオナニーの考え方が、呼称に反映している姿がみてとれます。

<コラム:「オナニー」と「マスターベーション」の語源>
現在でもよく使われる「オナニー」と「マスターベーション」の語源を知っていますか?オナニーは、キリスト教の旧約聖書『創世記』第38章から来ていると言われています。ユダには3人の息子(エル、オナン、シェラ)がおり、長男のエルは妻のタマルとの間に子を授かる前に死んでしまいます。そこでユダは、オナンがタマルとの間に子を作るように指示しますが、オナンはその命令に背き、膣外射精をします。そのことが神の怒りに触れ、オナンは命を落とします。このことから、オナニーという呼称が生まれたと言われています。ちなみに、日本においてオナニーという言葉は1920年頃には辞書に載るようになりました。しかし、どのように日本に入ったのかについては解明されておらず、ドイツ語圏、蘭学、英語圏などいくつかの可能性があります。また、「マスターベーション」はラテン語であり、manus(手)+stuprare(汚す)という意味から成っているそうです。ここにも、社会の自分で自分の性的快楽を得る行為に対する考え方が読み取れます。

21世紀で迎えた大きな変容、「悪しきこと」から「プレジャー」へ

近年、自分で自分の性的快楽を得る行為を、「セルフプレジャー」や「セクシュアル・プレジャー」と表現することが多くなりました。

「悪しき行為」としての自慰、自瀆、手淫という呼称が日本で広まってから、どのような変化があったのでしょうか?

まず、西洋においての変化としては、19世紀半ばから20世紀にかけて起こったオナニーの脱病理化です。

先ほど述べたオナニーの病理化が、18世紀初頭から19世紀半にかけて起こり、それに続く形で脱病理化の流れがやってきます。依然として、オナニー有害論は根強く残りながらも、医者、精神医学者、心理学者などによってオナニー無害論、あるいは、強い断定を伴わないオナニー有害論などが論じられるようになりました(例えば、ヘンリー・ハヴェロック・エリス、フロイト、W・シュテーケル、アウグスト・フォレル、ウィルヘルム・ライヒなど)。

こうした考え方の変容は、開化セクソロジー期と同様に、西洋の書籍を翻訳して日本に取り入れられていく中で、日本でも起こったことだと思われます。

女性向けブランド「iroha」の登場

さらに21世紀に突入したところで、オナニーの呼称が大きく変容します。

20世紀から21世紀にかけての変化についても、詳しい研究と考察が必要ですが、日本においてエポックメイキングだったのは、2013年に株式会社TENGAが女性向けのブランド「iroha」をリリースしたことではないかと考えます。

irohaプレスリリースより

「iroha」は、誕生した当時から「女性のセルフプレジャー」というキーワードを使い、現在まで一貫して「セルフプレジャーはセルフケアの一つ」というメッセージを世の中に送り続けています。

「オナニーは後ろめたくて、悪いこと」と思われる風潮があった最中に、「プレジャー」と名付け、オナニーの喜びや快楽を肯定的に捉え、表現する言葉として世の中に広がっていったと言えるでしょう。

それが、「女性」のオナニーに焦点を当てて生まれた言葉だったということも、記憶しておきたいところです。

専門家が集まる国際的組織による「セクシュアル・プレジャー宣言」

さらに、世界的な動向として注目したいのは、2019年に行われた第24回世界性の健康学会の「セクシュアル・プレジャー宣言」です。

WAS公式ホームページより

性に関する専門家が集まる国際的組織World Association for Sexual Health(略してWAS)が、2019年に開催した集会で打ち出した重要な考えです。「セクシュアル・プレジャー宣言」の冒頭では、以下のことが述べられています。

セクシュアル・プレジャー(快感・快楽・悦び・楽しさ)とは、他者との又は個人単独のエロティックな経験から生じる身体的および/または心理的な満足感と楽しさのことであり、そうした経験には思考、空想、夢、情動や感情が含まれる。 プレジャーが性の健康およびウェルビーイング(良好な状態・幸福・安寧)に寄与するためには、自己決定、同意、安全、プライバシー、自信、そして性的関係についてコミュニケーションしたり交渉したりする能力といっ た要素が重要となる。セクシュアル・プレジャーは、性の権利の文脈で行使されるべきものであり、とくに平等と非差別、自律と身体のインテグリティ(保全・完全性・統合性)にかかわる権利、望みうる最高水準の健康および表現の自由にかかわる権利が重要となる。人間にセクシュアル・プレジャーをもたらす経験は多様であり、(それゆえに)プレジャーがあらゆる人にとって肯定的な経験でありつつ、他者の人権とウェルビーングを侵害 して得られるものでないことを保障するのが、性の権利である。

WAS「セクシュアル・プレジャー宣言」より引用

後ろめたさや罪悪感、有害性といったイメージを払拭し、個々人をエンパワーメントするような肯定的な言葉が並んでいることが特徴です。

性的な快楽を得ることは、個人の権利として保障されなければならないことを、高らかに宣言しています。

ここまで見てきたように、自分で自分の性的快楽を得る行為を意味する多様な言葉には、語源があり、その言葉がつくられた社会的背景と、その言葉をつくった人がいます。

オナニーと呼ぶのか?

マスターベーションと呼ぶのか?

自慰と呼ぶのか?

セクシュアル・プレジャーと呼ぶのか?

指す行為は同じでも、使う言葉によって意味する歴史的背景はかなり異なるということが、見えてくるのではないでしょうか。

最後に改めて確認したいことは、どの時代にも、その言葉をつくった「人」がいたということです。オナニーに対する考え方も、イメージも、人が変えていくことができるということ。

自分で自分の性的快楽を得る行為を、あなたは何と呼びたいですか?

<参考文献>

  • 石川弘義(2001)『マスタベーションの歴史』作品社
  • 金塚貞文(1982)『オナニスムの秩序』みすず書房
  • 木本至(1976)『オナニーと日本人』すばる書房
  • 斎藤光(2006)「『オナニー』記号の系譜」、『京都精華大学紀要』第31号、京都精華大学紀要委員会、pp.113-131
  • ディディエ=ジャック・デュシェ、金塚貞文訳(1996)『オナニズムの歴史』白水社

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