Ba-Vulva(ばあばるば)は、外陰部の構造を楽しく正しく理解し対話するためのパペットとしてランドリーボックスが制作しました。
情報を知るだけでなく、対話をすることで、大切な人たちと健やかな日々を過ごしてほしいという想いがあり、セクシュアルウェルネス、ウェルビーイングな社会に寄与したいと思っています。
<Ba-Vulva Friend>と題して国内外で国内外のセクソロジストや性教育関係者など、セクシュアルウェルネス業界で活躍する方々にインタビューをしていきます。
今回はフリーランスの性教育講師として活動をされているにじいろさん。小学生から高校生、教員や保護者向けにも性教育を伝え、講演もされているにじいろさんに、プライベートゾーンや性交渉、性的同意などを子どもにどのような言葉で伝えているのか、くわしく教えてもらいました。
生徒の悩みや性被害。養護教諭を辞めたあとに感じた後悔
—— にじいろさんは性教育の講演や授業などをされてますが、まずはどんな活動から始めたのですか?
性教育を始めたばかりのときは、自分の中でも性教育の定義がまだ狭かったので、中高生向けに性感染症や避妊、生理について教えていました。
今は小学生向けの授業も多いですし、保護者や教員、医療や福祉関係など子どもと関わる大人の方の研修の一環として、講演のご依頼をいただくことも増えてきました。内容もかなり幅広く、身体的なことだけでなく「性的同意」とか「境界線(バウンダリー)」など、より良い人間関係を築くためのテーマも多いです。
ありがたいことに一度ご依頼いただいた学校が、次の年も呼んでくださるので受け持つ学年が増えたり、大人向けにも広がっています。
—— 学校の先生方からの反響はどうですか?
先生方は「性に対するイメージが変わった」と言ってくださいます。性教育といえば、生理、妊娠などをイメージすると思うのですが、いい意味で違う。「これは全て日常に関係のある話なんだ」と気づいてくださいます。学級経営や子どもとの関わりの中で「すぐに活かせそう」と言ってくださるのは嬉しいですね。
—— 性教育を広める活動を始められた時期やきっかけを教えてください。
2016年から活動を始めました。もともとは養護教諭で、高校の保健室で働いてたんですが、育休を取ったあと仕事を辞めました。辞めたあとはしばらく専業主婦をしていましたが、勤務していた頃を思い返すと、いろんな後悔があると気づき、この活動を始めました。
—— どんな後悔ですか?
保健室で生徒たちの悩みを直接聞いていたのに、当時はまだ性に関することが話題にしづらい雰囲気がありました。生徒が傷ついた話をしてくれたとき、実態を他の教員に伝えたり、性教育の必要性を示せばよかったと思います。当時の私にはそれができず、保健室だけの話で終わってしまった。
いつも事後対応で話を聞くことしかできなかったので、もっと早く気づいてあげればよかったとか、傷つく前に何かできたらよかったのに、という思いもあり後悔が残りました。
—— 養護教諭をされていたとき生徒さんたちからは、どのようなお悩みを聞いていたんですか?
「性病になってしまった」とか「妊娠したかも」とか、本人が望まない性行為であったり…。当時は「性暴力」という言葉はほとんど使われていなかったので、被害に遭った本人も性暴力だと認識していなかったと思います。
また、自身の性別の違和感に悩んでいるとか、セクシュアリティが原因でいじめられたり、周りとの人間関係が壊れてしまったとか、体の面でも心の面でも、本当にさまざまな悩みを聞きました。
—— にじいろさんの中で、対応が不十分だったんじゃないかという後悔があったんですね。それから今の活動を始められて、子どもたちにはどのようにお話をされているのか、具体例を教えていただけますか。
小学校では性の学びを楽しんでもらえるように、クイズ形式で進めることも多いです。◯×クイズや漫画を使ってみるとか。
小学校の中高学年でも、性教育を「恥ずかしい」、「エロい」みたいなイメージを持っている子たちがまだまだたくさんいます。そのイメージをほぐしたいのと、細かい内容までは覚えていなくても「楽しかったな」とか「体のこと知るのって面白いな」という感覚だけでも残ってくれたらいいなと思っています。

子どもが「自分ごと」にならない、ギモンだらけの性教育
—— 生理の相互理解や、性暴力などの話題になると、日本の性教育の在り方が問題視されることもあります。にじいろさんは性教育の現場に立たれていて、どんな課題を感じていますか?
1番は学校にきちんとしたカリキュラムがないという点ですね。性教育という分野は曖昧なので、どうしても地域や学校、教える先生によってもかなり差があることが問題だと感じます。
最近はメディアで「日本の性教育は遅れてる」なんて言われていますが、しっかりやってる学校は想像以上にやっています。
熱心な先生がいたり、理解ある校長先生がいると時間や予算が確保されていたり、自治体と上手く連携していたりする。そうでない学校では、教科書をさらっと読んで終わり。その差があまりにも大きい。先生も子どもの頃にくわしく習っていないので、差が出やすいんだと思います。
—— 授業や教科書はどのような現状なのでしょうか。
例えば小学校の場合、教科書を使った保健の授業は3年生からなんですが、そもそも保健の時間がとても少なく、3・4年生は年間4時間程度です。そして、教科書もすごく薄い。
4年生になると思春期の体の変化、月経や射精を体の仕組みとして学びます。その中で子どもたちの聞き慣れない言葉が使われます。例えば「生理」という言葉は出てこず、「月経」とだけ書かれています。
月経の仕組みの説明はあっても、生理痛のことや生理用品の使い方は書いてないケースが多い。難しい言葉が急に出てくるので、子どもたちはよくわからないまま、自分ごととして感じられないんだと思います。
—— なるほど。今でもそういう状況なんですね。
学校によっては保健の授業後や修学旅行の前に、養護教諭が生理用品の使い方を説明することもよくあります。
体の仕組みでいえば、生殖の話は出てくるのですが、受精に至るまでの過程が省かれています。5年生の理科で「ヒトの誕生」という学習があって、そこでは精子や受精という言葉が出てくるけど、どうやって受精するかが省かれてるので、子どもたちは疑問だらけ。
教科書さえも曖昧なので、小学生や中学生には、わかる子はわかるけどわからない子はわからないままなんですね。
ようやく高校で「計画していない妊娠を防がなければなりません」というスタンスで避妊を教わるのですが、もし妊娠したらどうしたらいいのか、という情報量は少ないです。
性交渉を子どもにどう説明するか
—— 受精に至るまでの性交渉についてはほとんど触れられないんですね。
学校によってはその説明もお願いしますと言われることがあるので、そう言ってもらえたら喜んで説明しています。でも基本的にあまり積極的ではない学校が多いです。子どもから質問が出てきたら、ぜひ答えたいとは思っています。
—— 性交渉を子どもにどう説明したらいいかわからない大人が多いと思います。にじいろさんはどのように伝えていますか?
学年によって伝え方も変えています。小学生の3年生くらいまでは「命のもとがここで出会うんだよ」とさらっと説明することが多いです。4年生になると保健で第二次性徴まで習い、5年生の理科では卵子と精子、受精と受精卵について習うので、もう少しくわしく教えます。
「卵子と精子ってどこにあるか知っとる?」
「どっちも体の中やね」
「人間はニワトリとかメダカみたいに卵を外に産むことはできないから、体の中にあるもの同士を、直接出会わせる必要があるんだよ」
犬や猫の交尾のことは子どもも知っていたりするので、「人間もそれに近い感じ。直接送り届けるんだよ」と説明しますね。
「赤ちゃんが欲しくてもできなかったり、直接出会うことができないときは、お医者さんや専門家の力を借りて、卵子と精子が出会えるようにすることもあるよ」
みたいな話をします。
—— 人工授精や不妊治療のことも、きちんと横並びで教えること、とても大事ですね。そしてとてもわかりやすいです。
体の仕組みとして教えるのが基本だと思っています。保護者や他の外部講師の方の中には「お父さんとお母さんが愛し合ってあなたが生まれたのよ」と説明する大人が割と多いのですが、それは私は良くないと思っていて。
極端にいえば性暴力で妊娠してしまうケースもある。また体外受精など、いろんな命の出会い方があります。ですから「愛」とかではなく、女の人の体にある卵子と男の人の体にある精子が出会うことで命ができるということを事実として伝えるようにしています。
性教育で「あなたは悪くない」と言ってあげることの大切さ
—— にじいろさんの授業を受けた生徒たちからはどんな声がありますか?
特に多いのが、大人と同じく「性のイメージが変わった」、それから「自分だけじゃないとわかって安心した」という声ですね。
体や心について悩んでいるのは自分だけじゃなかった。自分だけが変なのかと思っていたけど、大丈夫なんだって気づけた。そう感じている子がすごく多いです。
そして「自分は悪くないんだ」という声もあるんです。
特に中学生くらいの子は思春期特有のモヤモヤが多いので、「こんなふうに悩んだり気にしたりしている自分が悪い」とか、「すぐにクヨクヨしてしまう自分はダメだ」って思っちゃってる子が多いと感じます。性暴力の被害に遭ったときでさえ、自分を責めてしまう子が多い。
だから私は「あなたは悪くない」ということをしっかり伝えようと思っています。そうすることで、子どもたちは自分に対してダメ出ししてきたことから解放されると思います。
—— 自責の念を解放してあげるってすごく大事なんですね。確かに、自分は悪くないと思えなければ、大人に助けを求めたり、誰かに相談したり、病院に行くなどのアクションに繋がりにくい気がします。
はい。この数年間で、ちゃんと「悪くない」と伝えてあげることの大切さを私自身すごく感じてきました。「嫌って言ってもいいって初めて知りました」みたいな感想も多いんです。
例えば、何か嫌なことをされても「こんなに私のことを愛してくれてる恋人(または家族、友達)なのに、嫌だと思っちゃう自分は心が狭いんだ」と感じてしまう。そうではなく、友達や恋人に対しても自分の気持ちを優先して断ってもいいんだってわかってスッキリしたと。
性教育を始めた当初は、性の知識を教えることばかりしていたんですけども、「あなたの気持ち、あなたの体、自分で自分のことを好きになれなかったとしても、その体も気持ちも全部大切なものなんだよ」って、まずは伝えたいなと。
—— 自分は悪くないと気づけた。にじいろさんのメッセージがちゃんと伝わっているように感じますね。
一般的な性教育だったら「ハッキリ“NO”と言うべき」というニュアンスで伝える講師の方もいらっしゃるんですけど、実際には言えないこともあるし、人間の弱さみたいな部分も認めてあげたいです。
「私もそういうの苦手なんだ」と正直に言っちゃうんですけど、それが逆に「勇気をもらった」と言われることもありますね。
知識を教えるだけでは、望まない妊娠や性感染症は防げない
—— 「今のままのあなたが大切」という伝え方、とても素敵だと思いました。にじいろさんは、性教育をする中でそれが大事だと感じたきっかけはあるのでしょうか?
昔ながらの狭い性教育から、包括的な性教育へ考えが変わったきっかけが、中学3年生の子からの質問でした。
性教育を始めてまだ1年目で、当時はとにかく知識ばかりを教えていました。知識があれば子どもたちを守れるんじゃないかと思っていた私が、ガーンと頭を打たれたような出来事でした。
授業で中3の子が「こうやって避妊や性感染症について学んでも、なぜ、妊娠したり性感染症になる人がいるんですか?」と質問してくれたんです。
知っていても防げないじゃないかという意見ですね。「ああ、なんと深い質問だ」と思って、そのときの私はすぐに答えられませんでした。
次の日に別の高校に招かれて、学食で集まる高校生に聞いてみたんです。「中学生にこんなことを聞かれたんだけど、どう思う?」と。
「習っても忘れちゃうからじゃない?」、「授業では自分のことだと思わないから」など、いろいろな意見がありました。
これについて高校生が一緒にたくさん考えて、意見をくれました。
「そもそも、避妊とか感染症の予防について話ができるような関係性じゃないからじゃない?」
「1人がいいって思っていても、もう1人は嫌やったんちゃう?」
もう、その通りですよね。すごく納得しました。
例えば、「コンドームをつけて」と言ったけど相手がつけてくれなかったとか、「コンドームをつけて」と言い出せずに相手に合わせてしまったんじゃないかとか、自信がないから断ると嫌われると思ったんじゃないか、とか。
これはまさに人間関係や、同意の話ですよね。
私は中学生の質問と、高校生たちの話を聞いて、「ああ、知識を教えるだけじゃダメなんだ」と強く思いました。人と人の関係性についてみんなで考えていかなければならないんだなと。
そのときの私はまだ、包括的性教育という言葉を知らなかったんですけど、相手を大切に思う気持ちや、自分を大切にしていいと思うこと。体だけじゃなく心や人間関係に向き合うことを大切にしようと、方向転換しました。

性的同意は「写真のSNS投稿」や「消しゴムの貸し借り」を例に
—— 昨年ごろから特にメディア等で、性加害・性被害の報道などから「性的同意」の問題が議論されています。子どもたちにはこのトピックをどのように教えていますか?
性的同意は大事なテーマで、中高生向けに話をするのですが、いきなり「性的同意」という言葉は使いません。身近なことだと知ってもらいたくて、日常生活の例をあげて話をすることが多いです。
例えば、誰かと写真を撮る、それをSNSに載せたい場面で、友達や恋人だと「まあいいや」とか「付き合っているんだし」とつい確認せずに写真を撮って載せてしまうことがあるかもしれない。親しい関係だと自分がいいから相手もいいと思い込んでしまいがちです。
でもどんな関係性であっても、自分は良くても相手はしてほしくないとか、自分だったら嬉しくても相手は嫌かもしれない。きちんと声をかけて、相手の気持ちを確認したり、相手がちゃんと断りやすい状況をつくったりしないと、いい関係とは言えない。
相手がもし「No」と言ったら、受け止められるようにするといいよねって。
そういった例を出して「同意」の必要性を話します。
—— なるほど。とてもわかりやすい例ですね。
中高生ならSNSの話が伝わりやすいし、小学生なら消しゴムの貸し借りを例にあげたりします。
「No」と言われると、もしかしたら嫌われたような気持ちになる人もいるかもしれない。でもそのことが嫌だという意味で、あなたのことが嫌いという意味ではないよ。もちろん自分がされて嫌だったら「No」って伝えていい。
「性行為は特別な行為だからこそ、お互いが望んでいい関係の中でできたらハッピーになるかもしれないけど、同意がなければ、それが暴力になって相手を傷つけてしまうことがあるんだよ」という感じで、性的同意の話に繋げます。
—— 自分ごととして、性的同意が理解できるお話ですね。
そうですね。性的同意の話から入ってしまうと「自分には関係ない」と思う子が多いので。
でも、みんな何かしら日常のモヤモヤを抱えているんですよね。
例えば家族に大事な日記を見られたとか、自分の持ち物を勝手に捨てられたとか、そういう経験ってありますよね。このモヤモヤはなんなんだろう?と考えると、同意がなかったからなんだって、自分の経験と重ねて考えやすいんです。
「ああ、わかるわかる」という感じの反応をしてくれます。
今では芸能人の性被害・性加害のニュースも見聞きしているので、それに少し触れることもあります。
「別に暴力しようって思っていたわけじゃないかもしれないよね。家で2人きりになったからOKだと思い込んでしまった。でも相手の気持ちを確認していなければ、それは同意が取れたことにはならないよね」と。
「もし2人の関係が対等じゃなかったらどうだろう?嫌って言いづらいよね?」と、人間関係のパワーバランスの話も絡めながら伝えます。


—— 消しゴムの貸し借りで考えたら、同意を取ることはとてもシンプルに思えますが、昨今の報道を見ると、性的同意についてなかなか理解できない人が、大人にも多いんだなと感じます。
本当にそうですよね。もちろん加害者をかばうわけではないんですが、もしも子どものときからちゃんと性的同意も含むような性教育が当たり前になっていたら、こんなことは起きていないんじゃないかなと思う事案が多いです。
明確な悪意を持った性犯罪もありますが、ただ本気で相手が同意してくれていると思い込んで加害してしまっている人がたくさんいると思うんです。
プライベートゾーンはなぜ触れたり触れさせたりしちゃダメなの?
—— 最近は保育園や幼稚園でも、「プライベートゾーン」について子どもに教えてくださるので、子育てしている親としては大変ありがたいと感じています。その上で、なぜプライベートゾーンに触れたり、触れられたりすることがいけないことなのか。うまく理由が伝えられなくて悩むことがあります。にじいろさんだったらどのように伝えますか?
プライベートゾーンの話に入る前に、まず、「あなたの体は、頭からつま先まで全部大切」と伝えます。
それからもし小学生だったら、体の仕組みや“命の始まり”のことを話すんです。
「パンツを履いて見せない部分は、体の中につながっていて、命の始まりとも関係がある場所なんだよ」
「だから特別に大切な場所で、普段はパンツを着て守っているし、清潔にしなくちゃいけないし、同意なく人に見られたり触られたりするのも、他の場所以上に嫌な気持ちになる人が多い場所なんだよ」と。これも同意の話と繋がりますね。
プライベートゾーンじゃないところは、触っていいの?と疑問に思う子もいるかもしれない。だからこそ、「頭からつま先まで全部大切」という前提はちゃんと伝えたいところですね。
プライベートゾーンはみんなの共通の場所だけど、「ここはいいけどここは嫌」っていう場所は皆それぞれにあるし、人によって違う。「自分が隠したいとか、触られたくないと思うところは、自分で決めていいんだよ」と伝えています。
—— 人によって感じ方が違っていて、はっきりした正解があるものではないからこそ、丁寧に言葉を尽くすことが大切なんですね。子どもに伝わる言葉で言語化してくださってとても勉強になりました。
子どもが疑問をもったり、誤解されやすいポイントは、小学校の授業を実践していく中で、子どもたちの発言から自分も学びました。
だから正解をこちらで決めるんじゃなくて「これはどうなんやろうね?」と子どもと話をするようにしています。

—— 素敵な考え方だと思います。にじいろさんが性教育を通して、目指していることはなんですか?
子どもたちが、「自分が自分であっていいんだ」と感じてもらえたらいいなと思っています。
自分を好きになろう!みたいな考えを持ってもらうことを、私は目指していなくて。私自身がそういうことを言われるのが苦手な子どもだったんです。
だから極端な話、自分や自分の体が嫌いでもいいし、自信が持てなくてもいいけど「今のままでもあなたは大切な存在なんだよ」ということを私は伝えたいです。
この体、この心のままの自分とこれからも付き合っていけたらいいかなと。そして体や心について知っておくと、いろんな選択肢があって生きやすくなるよ。そうやって子どもたちが生きやすくなることを願っています。
恥ずかしがらず、怖がらず、からだの仕組みを学んでほしい

—— 現在の性教育は「生命(いのち)の安全教育」などで、プライベートゾーンを触らせないという話になると、大事なこととはいえ、怖いものだと感じてしまう子もいるんじゃないかというのが気になります。
ランドリーボックスでは、体の構造の知識だけではなく、対話を促していくような機会を提供したいという思いもあって「Ba-Vulva(ばあばるば)」を制作しています。にじいろさんは外陰部の構造を知ることの大切さについて、どのようなお考えがありますか?
にじいろさん:外陰部は隠されているものなので、恥ずかしさもあって「おまた」のひと言で終わり。それさえ言うのが恥ずかしいというのが現在地かなと思うんです。
学校では、まだまだ難しいテーマなんだなと感じます。というのも子どもたちは、赤ちゃんがどこから生まれてくるか意外と知らない子が多いんです。中高生でも、おしっこの出るところと、生理になったときに血が出るところは同じだと思っている子も結構います。
大切な場所だからこそ、清潔にしなければならないし、そのために洗い方も教えたいけれど、仕組みがわからないと洗い方もわからないと思うんです。Ba-Vulvaのようなパペットがあると、説明しやすいですし、子どもも怖がらずに聞いてくれそうですね。
—— 貴重なお話をありがとうございました!