
1985年頃だっただろうか。『洗濯屋ケンちゃん』というビデオが日本中で話題になった。
と言っても、それを話題にしていたのは、18歳以上のすけべえな人たちだけだったが。
若い人たちのために説明しておくと、『洗濯屋ケンちゃん』とは、当時まだ珍しかった裏ビデオの走りの作品だ。
20歳前の私は、このビデオのおかげで、中学生の頃から常に頭から離れなかった、自分の体に関する悩みが解決したのだった。私にとって『洗濯屋ケンちゃん』は大いなる恩義を感じる忘れられない作品なのである。
男の身体になってしまうかもしれない不安
小陰唇が発達し始めたのは、小学校6年生のころだったと思う。
ある日、ふとお風呂で股の間を覗き込むと、小さな「きんたま」のようなものがぶら下がっていることに気がついた。
父の股の間にあるブラブラしたものの縮小版のような「それ」に、もしかしたら自分はこのまま男の身体になってしまうのかもしれないという不安を感じた。
いや、待て。
はがれた絆創膏でもくっついているのかもしれない。
そう思って手で引っ張ってみたが、やはりそれは自分の身体の一部で間違いない。
放っておけばカサブタのように剥がれるのかもしれないと楽観的に考えてもみたが、それは日に日に大きくなるばかり。気持ちが悪いので、ハサミで切ってしまおうとしたこともあるが、とても痛いので、切ってはいけないものなのだと悟り、諦めることにした。
この小さな「きんたま」状のものはなんだろう。
誰にも聞くことができず、打ち明けることもできないまま「ミニきんたま」はすっかり私の身体に居座り、外科手術でもして取らない限り、一生こいつが私の股にくっついたままで生きていかなくてはならないのだと悟り、そのまま年月が過ぎて大人になった。

ビデオ鑑賞会で長年の身体の悩みから解き放たれた
初めてのセックスのときも「ミニきんたま」が気になってしかたがなかったが、彼は特にそこに言及することもなかったし、自分から聞くのも恥ずかしくてスルーしてしまったが、いつか聞いてみようと思っていた。
その長い間の疑問が、『洗濯屋ケンちゃん』で解消したのである。
今どきはネット上で、誰でもいつでもエロ画像や映像にアクセスできるが、当時はエロを映像で見ようとすると映画館に行かなければ見られなかった。
ピンク映画専門の映画館でセックスシーンを見ることができるとはいえ、性器までもろ出しということはなく、カラミのシーンもすべて演技だった。
そんな時代に自分以外の女性の性器の実物を見る機会はなく、強いて言えばストリップ劇場が唯一の場だったが、その頃のストリップ劇場はとうてい若い女性が1人で入れるような場所ではなかった。
そんなある日、知人が話題のビデオを手に入れたので鑑賞会をしようと誘ってくれた。
これは神が私に与えてくれたチャンスだとばかりに、ビデオ鑑賞会に参加した。
何回ダビングを重ねたか、考える気にもならないほどの低解像度の映像に、数人のいい大人が食い入るように張り付く。
いよいよその場面がやってきたとき、私の目は、出演している女性の性器に釘付けになった。
そこには私を長いこと悩ませ続けてきた「ミニきんたま」と同じものが不鮮明ながら映し出されていたのだった。
私のまんこ、普通だったんだあああ!!
脳内では歓喜の涙が止まらなかった。
ビデオを見ていた周りの男性が「この子、ビラビラが薄いね」などと言っているのを聞いて、どうやら「ミニきんたま」はすべての女性に付いているものらしいと知って、長く自分を縛っていた呪縛から解き放たれたような気分だった。
今の若い人たちは、わからないことがあればすぐにググれるし、ネット上に性器の画像なんて当たり前のようにある。
「白鳥麗子でございます!」というマンガのなかでも、主人公が自分の性器を鏡で見て衝撃を受ける場面があるが、そんな光景はもう過去の時代のものだと思うと、ネットのある時代に生まれた人たちが心の底から羨ましくなってしまうのである。