この生理コラムも第3回を迎える。

前回の対談も我ながら濃厚な回になった気がする。ひと昔前だったら女性はおしとやかでなければいけない、という印象があった。今となってはヒゲダンディーなマッチョマンになってるだなんて、僕が生を授かった昭和時代、誰に想像ができただろうか。

しかしこれは令和に始まった話でも平成に始まった話でもないのだ。我々と同じような想いを持った人は昭和時代にだっていたはずである。

「生理」と関係のない存在でいたかった僕たち

前回の話の中でもあった、いわゆる「FTMあるある」。

必ずしも皆ではないだろうが、多くのFTM(トランス男性)に共通しているのかなと思うのがやはり【生理用品を買うのが苦痛】という想いだろう。

Photo by Emi Kawasaki / Laundry Box

僕もお店に入ってから出るまでの間、ほかのお客さんや店員さんがどんな人で、どんな表情で、どこにいて何をしているのか……。そんなことまで考えながら、できる限り人目に付かないようにコソコソと買ったものだ。

できれば、無表情で淡々とレジ作業をしている、目さえ合わせないようなドライな女性スタッフがいい。誰もレジに並んでいない隙を狙って、店内をウロウロしながら様子をうかがう。

今だ!というタイミングで、さっと「ブツ」を手に取りそのままレジへ直行した。

なんでこんなにコソコソしなきゃいけないんだろう、なんて思うまでもなく、ただとにかく誰にも見られたくないし、「僕」は「生理」と全く関係のない存在でいたかった。

月経カップ「スクーンカップ」と感動の出会い

そんな僕にとって約1年半前に、大きな出会いがあったのだ。それは月経カップ。月経カップはナカに挿入し、カップ内に経血が溜まるようになっている、医療用シリコンで作られた生理用品だ。

同じような人も多いかもしれないが、僕は本当に昔からイベントごとがある度に生理と被ってばかりだった。その時も、毎年恒例の仲間たちとのイベントの直前になってしまった。イベントではみんなでお風呂に入ることもあるので、生理であることを周りにバレてはまずい。男性のお風呂に入るのに、そんなわけにいかない。

絶望的な気持ちになりながら、どうにかせねばという一心でインターネットを検索した。「生理 遅らせる方法」「お風呂 生理」「旅行 生理」などなど。

Photo by Natsuki Hamamura / Laundry Box

そうしてたどり着いたのが月経カップの「スクーンカップ」。どういう種類があるのか、誰かが使ってみた感想なんかも教えてくれて、そのまま買い物だってできる。インターネットがある時代に生きていてよかったと思った瞬間だった。

誰にも見られることのないPCの中だけで買い物が完了し、到着次第使い始めた。

ナカに何かを挿れたりというのに抵抗があるFTM(トランス男性)は多いようだが、元々タンポンの経験もあったので、僕は問題なく使用できた(あえて「ナカ」という表現にさせていただきます)。

タンポンより交換頻度も少なくて、衛生部分を気をつけていれば継続的に使えるので、都度生理用品を買い足さなくて済む。

ナプキンを使用していたときは男性用トイレに捨てる場所がなく困っていたが、これだと捨て場所にも困らない。そしてナプキンを使うときの開ける音や、捨てる音ももう気にしないで済む。

最初は漏れたりしないか不安だったがすぐに慣れた。ちゃんとハマっていないと漏れてしまうこともあるが、奥の方にフィットさせられれば安心して使える。シリコンで柔らかい素材なので痛みもないし、生理中であることを忘れるほどだ。月経カップを挿れているとき「僕は生理と全く関係ありません」という顔をしていられるのだ。

「無いもの」を欲するより「在るもの」を大切に。自分のカラダとしっかり向き合う

Photo by Emi Kawasaki / Laundry Box

世の中の人はこの画期的なアイテムを知っているのだろうかと思った。少なくても僕はもっと早く知りたかったよ。FTM含めいろんな人にぜひオススメしたい。

スクーンカップに出会って、僕の中の「生理」というボリュームが大分小さなものになった。なんだか「せいりちゃん」って好きになれないんだよなって敵対視していたけど、そんなに嫌なヤツじゃなかった。という感じかもしれない。

月に一回「お邪魔します」って数日家に泊まって行くけど、「はいどうぞ、ご勝手に」って感じで、今は程良い距離感で付き合っている。

スクーンカップに出会う前は、「せいりちゃんちょっとマジで迷惑なんですけど、本当に嫌なんですけど」と、ひたすら怪訝な日々を過ごしていたのかもしれない。

開発してくれた人に感謝を述べたい。本当にありがとうございます。

最近、今まで向き合いたくもなかったし見て見ぬ振りをしていた「生理」という存在と向き合うことが増え、自分の中の「どうしようもない部分」を今一度抱きしめたいような気分になっている。僕は一生懸命、自分やカラダと向き合ってきたんだなとしんみり考える。

自分にもみんなにもハードルを下げて、持っているものをそのまま受け入れる。「無いもの」を欲するより「在るもの」を大切にしたい。

ダイバーシティ&インクルージョンなんて難しい言葉のように感じるが、その一歩はこういうことなのかなと、ふと感じた。

多様性という言葉はよく使うが、そんな簡単に使えない言葉だとも思う。それぞれ受け入れられないことも許せないこともあるからだ。でも受け入れられなくても許せなくても多様性は既に存在している。

昔、彼女と添い寝をしていたときに、布団を汚してしまったあの夜を……。あのときの自分を、心の中で抱きしめてあげよう。

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