(写真提供=ソルーナエスペランサ:左から鈴木翔也さん、井浦友空さん)

前回、自己紹介と僕の生理についてのお話をしてみて、なんだか恥ずかしかったが僕のありのままを披露できた部分においては清々しさがあった。あらためてセクシュアリティ含め自分と向き合い、小さくも大きくもない自分がそこにいた気がする。

さて第2弾、今回生理の話をどう繰り広げていこうかと考えたときに、頭に浮かんだ2人組がいた。ソルーナエスペランサの井浦友空さん・鈴木翔也さんのお2人だ。

『ソルーナエスペランサ』は、LGBTの人たちが快適に生きられることを願って、2人が立ち上げたジェンダーフリーのアンダーウェアブランド。トランス男性(FTM)をはじめとするセクシュアル・マイノリティのために開発された『エスパン』は、パンツ前面にフロントポケットを備えている。

LGBTQや同じFTM(トランス男性)の中でも本当に様々な方がいる中で、僕とはまた違ったワイルドな雰囲気で優しいお兄さんという印象の2人。2人のやんちゃでキラキラした笑顔に、昔見ていたごくせんやルーキーズなどの青春ドラマを不意に思い出す。

老若男女年齢問わず、来てくれた人が皆で楽しめるような交流イベントを企画するなど、活動の幅を広げている2人はいつまでも青春風を吹かせ、心から人生を味わい謳歌しているように見える。

「LGBTQは目には見えない」という言い方をしたりもするが、端から見たら元々女性だなんて全く見えないお2人。女性として生きていた過去、男性として生きている今に迫りたいと思う。

ボーイッシュな女の子だった

カツオ:まずはお2人がどんな幼少期を過ごして来たのか教えていただけますか?

友空:僕は裸足で外を駆け回っているような活発な子だったかな。髪は肩くらいあったけど、年子の兄と服をシェアしたり同じような格好をしてました。

翔也:僕はクラスのガキ大将的なキャラクターのような感じでしたね(笑)。兄弟が5人居て、待望の女の子だったので髪も長くして見た目はボーイッシュな女の子という感じかもしれません。

カツオ:そうなんですね!僕も活発でとにかく外で遊ぶのが好きでした(笑)。では、いつくらいに性に違和感を覚えたのでしょうか?

友空:中学2年生のとき、ドラマ『金八先生』で性同一性障害(今で言う性別違和)の役柄の生徒がいた影響でした。ドラマは当時、学校でも話題になっていて、いかに話題を逸らすかということを考えてました。いま考えると周りの友達に勘付かれていたかもしれない……。

(Photo by kyo azuma on Unsplash)

翔也:僕も同じく『金八先生』なんですけど、年齢としては小学校3年生のときでした。見た瞬間これは自分だ!って思いましたね。自分がどういう人間なのかを早々に知ることになって嬉しかったです。でも現実はドラマのように上手くはいかないと思い、自立して人に何を言われても大丈夫になるまでは誰にも話さないでおこうと考えてました。

なので初めてカミングアウトしたのは18歳のときでした。それまでは女子を演じてみたりというのはありましたね。

カツオ:そんな早い時期だったんですね!僕もお化粧をしたりパンプスを買ったりして女子っぽい振る舞いをした経験があります。

友空:僕は女子に扮するようなことは全くしなかった!幼少期・小学校・高校の写真とか見てもずっと変わらない(笑)。スカートとかも大暴れで拒否して、基本的にはズボンで後頭部も刈り上げだった。

傷付くのが怖くてバリアを張っていた

カツオ:両親へのカミングアウトはいつ頃でした?

友空:19歳でホルモン注射を打つ時に、やはり許可を得てからと思いカミングアウトしました。高校時代にネットで色々調べて資料を作って母に渡しました。でも友達に先にカミングアウトしていて、親同士仲良かったので話が伝わっていたようで「知ってたよ」と言われた。おそらく幼少期からの様子を見て「そうだよね」と思っていてくれたみたいです。

翔也:僕は高校を卒業した3月にカミングアウトしましたが、理解して欲しいとかではなく、もし反対された場合は縁を切る覚悟で話しました。「誰も受け入れてくれなくて当たり前」「否定されたとして、だから何?」と逆ギレのような心境で。いま考えると傷付きたくなくてバリアを張っていたので強さではなかったと思います。

カツオ:僕も先に友達や先生には話してたけど、親には言えないという状況が2年くらいありましたね。高校3年生のときに感情が爆発してしまったような形で、ブワーッと話した記憶があります。カミングアウトはバトンを渡すようなものと表現されたりもするので、親にも色々な葛藤や心配があったのではないかと思うけど、注射や手術に反対されていた期間も長かったように感じてます。

友空:僕は当時、まず自分が受け入れられていないのに、周りに「わかってくれ」と求めて「なんでわかってくれないんだ」と責めてしまったこともありました。誰かのせい、周りのせい、何かのせいにしてしまってましたね。

今思うと当時は当事者でさえ無知なのに、無知なだけの友達を責め、卑屈になり悲劇のヒーローを演じてたのかもしれません。いま若い子たちの中に同じように思っている子もたくさんいるのかなと思います。

カツオ:僕もそんな時期がありました。いま考えると、友達もわかろうとして模索してくれてた中で違うコミュニケーションの取り方があったんだろうなと思うけど、自分の葛藤や困惑の当てどころがなくてどうしていいかわからなかったんだよね。

友空:そういうこと本当に沢山あったよね!

生理とホルモン療法

(Photo by Reproductive Health Supplies Coalition On Unsplash )

カツオ:そして生理の話もお聞きしたいのですが、NGあったら言ってくださいね!

友空:僕らは大丈夫です!僕は遅かったのかもしれないですが、中学1年生のときに初めてきて、生理用品を買いに行きたくないからお姉ちゃんとかお母さんに買って来てもらってた。開けるときに音がしてしまうから、咳払いをわざとしてバレないようにしたり、それさえ嫌で基本同じものを1日中付けっぱなしでしたね(苦笑)

野球部の先輩たちに「そろそろ来たか?」って茶化されたときは「うるせー」ってごまかしてましたが、精神的にはズーンとなりうつ状態に近かったかもしれないです。19歳でホルモン療法を始めてから、すぐに生理が止まったので本当に嬉しかったのをいまでも覚えています。

翔也:僕の場合は小学校5年生で、男女に分かれる性教育より前に来てしまったんですよ。衝撃と悲しみで初めてのときはグチャグチャに泣いた覚えがあります。小3で性自認が男性と自覚していたので、その分辛かったかもしれないです。

カツオ:僕は性自認を自覚する前だったけど、また翔也は全然違っただろうね……。

友空:そうそう!俺らは制服でスカートも履いてたし、女性だとは分かっているからいつか来るんだろうなって思えていたけど、それとは違うよね。

翔也:当時、感情的になり泣きながら「俺は男なのに」とノートに思いのまま書き殴った覚えがありますね。包丁をトイレに持ち込んで、胸をナイフで切り落とせないか考えたりもしました。生理の症状としては重くて、量も多い方だったので一日中漏れてないかひたすら不安が付きまとっていました。ホルモン療法を18歳で始めて本当に解放された気持ちになりました。

ですが2年ほど前、ホルモン療法を続けているにも関わらず定期的に生理が来てしまっていた時期が1年半ほどありました。「来ちゃった」と思ってすぐにまた病院に行き、注射を打ってもらっても止まらなかったんです。

精神的なストレスなどもあったのかもしれませんが、髭も生えて男性化しているのに出血があり、鏡をみて見た目と噛み合わないのが自分でも気持ち悪くなり、吐き気が……。辛かったけど、ちゃんと検査に行きました。ホルモン療法をしているトランス男性は、少しでも不安があったら、ちゃんと検査に行ってほしいと、自分の経験からも思っています。

友空:一度終わったと思って、また来るの辛いよね……。

カツオ:そんなことがあったんだ。そういうときに俺らが気軽に相談できる医療機関がもっと分かりやすくなればいいね。やはり、身体の変化において「生理が止まる」って大きかったよね!

翔也:声が変わったのと同じくらい大きかった。生理が止まるという変化はハッキリ分かるのでそのときのことは覚えていますね。

 *

2人がどうやって自分を受け入れ、ブランドを立ち上げたのかは、インタビュー後編でお届けします。

New Article
新着記事

Item Review
アイテムレビュー

新着アイテム

おすすめ特集