ここ最近、「性についてオープンに語ろう」という動きがよく見られるようになった。
既存の性教育が問題視されたり、ナプキンのパッケージを巡って議論が巻き起こったり。生理に関する記事を目にする機会もかなり増えたように思う。
とはいえ、性に関するトピックは、長年隠され、恥じらいを持つことがスタンダードとされてきた。
いわばタブーであるトピックをいきなりオープンにしようとしても、なぜオープンにする必要があるのか、疑問に思う人も多いと思う。
私は、あるきっかけを通して、生理について、もっとオープンに語られるべきだと切実に思うようになった。
なぜコソコソしなければならないの?
「ナプキンは隠しましょう」、「生理と人前でいってはいけません」そんなふうに学校で教わるわけでもないのに、年頃の女子たちはもれなく生理を隠すようになる。
中学生時代のある日、急に生理になり、慌てて友達にナプキンを借りたことがあった。友達はリュックの中からナプキンを出そうとしたが、ナプキンを入れるポーチが無かった。
私はリュックの中に手を入れて、周りに見えないように、ものすごいスピードでスカートのポケットにそれをしまい、トイレに駆け込んだ。
しかし、それを新任の若い男性教師に、たまたま見られてしまった。挙動不審で、リュックの中身を受け渡す姿は、何か悪いことをしていると思われても仕方のない光景だった。
私がトイレに行っている間、ナプキンをくれた友達は尋問にあって、小声で「女子のアレです」と答えたらしい。
男性教師は友達に謝ったそうだが、それをあとから聞いた私は、なんとも言えない後味の悪さを覚えた。
別に悪いことをしているわけでもないのに、なぜコソコソしなけれなければいけないのか。そして、生理であることを男性教師に知られたことも、多感な女子中学生だった私にとっては、恥ずかしくつらい出来事だった。
寝込むほどの生理痛に悩まされる日々

小学6年生で生理になってから、私は毎月ひどい生理痛に悩まされるようになった。表現するなら、金づちで骨の髄を殴られているような、鉄球を投げ落とされているような痛み。
生理2日目の夜は、必ずと言っていいほど夜中に目が覚め、寝転がっているのもしんどくて、うなりながらのたうち回る。
鎮痛剤を用量の倍飲んでも効かなかった。これが毎月来るなら、死んでしまいたいと思うほどだった。
婦人科に行って検査するも、異常なし。
加えて、生理が始まる10日ほど前から始まるPMSもひどかった。
物事をすべて悲観的にとらえるようになったり、周囲に当たり散らしたりするなどの気分の浮き沈みや、便秘や下痢、肌荒れ、浮腫み、頭痛など、さまざまな症状に襲われる。
そんな体質のまま大人になった私は、もちろん仕事にも影響があった。
「生理痛」を「腹痛」といいたくなくて
その日は突然やってくる。
予定日の1週間前から漢方を飲み始めても、カイロや鎮痛剤を持ち歩いても、日中に痛みのピークが来た日には、どうにもならない。仕事はおろか、座っていることもままならない。
「生理は隠すもの」そう刷り込まれてきた私は、重い生理痛に耐えながら、男性上司にどう伝えるか、いつも考えあぐねていた。
最初は「腹痛がひどいので早退します」とだけ伝えていた。
でもやはり、毎月それを続けるのも気まずい。
上司は、「体調管理も仕事のうち」「多少の無理は仕方がない」というタイプの人で、体調不良ですらいい出しにくい雰囲気が職場にあった。
腹痛、と生理痛は同じようで、私には明確な線引きがある。
ほかの体調不良とは明確に違う点。それは、「毎月訪れる」「不可抗力だ」ということ。体調管理をしても限界がある。
それでも「体調管理ができないやつと思われたくない」——そんなプライドから、「腹痛」と伝えるには抵抗があった。
そこで、私は生理痛が酷いこと、毎月動けない日があることを男性上司に伝えることにした。
心臓が飛び出るかと思うくらい緊張して伝えたわりに、思ったより反応は薄く「わかりました」と短く返されただけだった。
気を失いそうになりながら、ベンチに横たわった日

ポスティングの仕事をしていた、ある猛暑の日。
仕事を開始してすぐに下腹部に鈍い痛みが走った。しばらく我慢しながら続けていたものの、耐えられなくなり、男性上司に「生理痛で早退したい」旨を電話で伝えた。
「すみません、生理痛が酷くて、立っていられないんです」
事前に生理痛が酷いことは伝えていたし、きっと帰らせてもらえるだろうと思った。しかし、上司の返答は、予想外だった。
「うん、生理痛ね、痛いよねえ。近くに公園あるでしょ。そこで少し休んでいいから。よくなったら再開して」
淡々と発される言葉ひとつひとつに驚き、悔しさで涙が滲んだ。
「痛いよねえ」といわれても、男性である上司に、私の痛みなど、わかるはずもないのに。38度の炎天下の中、公園のベンチで横たわりながら、わたしのなかで何かがはじけた。
「生理=隠す」が生む無知と無理解
怒られることを覚悟で仕事を切り上げた私は、後日上司と話し合いの場を設けてもらった。理解されないのなら、理解されるまで話すしかない。そう思ったのだ。
その上司は既婚者だった。しかし「奥さんは、生理痛があってもバリバリと働いていたから、生理痛は少し休めば再開できるもの」と思っていたとのことだった。
私は自分の生理の症状を細かく上司に説明した。それからは、生理痛がひどいときは断りを入れて、仕事を切り上げることにした。
どう思われるか不安で、相手の顔色をうかがうようなことはもうしないと決めた。
痛いものは痛い、休むとはっきり伝える。それがお互いのためになると思えるようになった。
そもそも今までなぜ私は、「生理」の2文字を切り出すのに、ここまで勇気が必要だったのだろう。
生理は恥じらい、隠すべきものというスタンダードが、潜在意識にべっとりとこびりついていたからなのだろう。
その上司の場合、唯一生理について知る手段が、奥さんだった。
その奥さんがたまたま生理が軽かったのだから、生理痛の重い人のことなど、想像することなどできないだろう。
生理を家庭内では夫や息子に隠し、会社では男性の上司や同僚に隠し、そうやって守られ受け継がれてきた、「生理は隠すもの」というスタンダードは、確実に生理への知識不足と無理解を生んでいる。
私はいわざるを得ない状況に追い詰められたからこそ、男性上司に打ち明けた。だけど最初は、隠し、自分のできる努力を尽くして我慢し通すことに全力を注いでいた。
そういった”隠して我慢するのが美徳”という考えによって、女性は自分で自分の首を絞めてきたのも事実なのだ。
自然に話せば、意外と受け入れてもらえる

私はそれから、男友達にも、仕事で関わる男性にも、生理のことは隠さなくなった。
積極的に話すわけではないが、男性がいる場でも、友達とPMSで悩んでいることや、婦人科に行った話も普通にするようになった。
それを聞いた男友達は「知らなかった」「そんな感じなんだ」、とごく普通に返してくれる。女性側が自然に話せば、案外受け入れられたりするものなのか、と拍子抜けする。
もちろん最初は面食らう人もいるかもしれないが、こちらが恥ずかしがらず「今日歯医者行ったんだー」「風邪ひいちゃってさー」くらいのノリで言えば、慣れてくるだろう。
最近になって、生理休暇を毎月取得しているという30代の女性2人と話す機会があった。
生理というのが恥ずかしい、ずる休みと思われたくないといった理由から、生理休暇をとりづらいと感じる人は多い。
しかしその2人は、男性ばかりの営業部で、毎月きっちり生理休暇を申請していたし、日報の翌日の予定の欄に「出張」、「休暇」などと同じように「生理休暇」と書いていたそうだ。
それくらいオープンにしていれば、生理について話すハードルも下がり、人によっては仕事に支障が出る場合もあるという理解も広がるだろう。
恥じらい、隠すことで、生理はないものにされる。
無知からくる無理解は、再生産されつづけていく。
生理は本当に隠すべきもの? ぜひ一度、考えてみてほしい。