子どもができない人がいる。「不妊」「体外受精」という言葉も聞いたことはある。
20代の頃の私は、その程度の認識でした。
会社の先輩が結婚したときも、「子どもは作らないんですか?」と当然のように聞いていた私。
それから数年後。30歳のとき、私は不妊当事者になりました。そして、今までの自分が無意識に投げかけていた言葉を思い出したとき、それらがそのまま私の心に突き刺さりました。
自分の何気ない言葉がこんなにも相手の気持ちを暗くさせるのだ、と初めて気がついたのです。
不妊の夫婦がどのような悩みを抱え、その状況にどう向き合い、将来のことをどう考えているのか。周りの人との関わりで彼らが困っていることは何なのか。
20代の頃の私は、そんな当事者の悩みを1つも想像できていませんでした。
そう。当事者になるまで、「不妊」とは私にとって「他人事」だったのです。
「当事者と非当事者の間には壁がある」のは本当か
私が不妊治療を始めたのは30歳のときです。
そこから体外受精の治療に進むと、私は治療を優先するあまり、仕事や私生活が後回しに…。一方、「いつ妊娠するかわからない不確定なものに何もかも投げ打ってしまっていいのだろうか」という葛藤も感じていました。
そんなあるとき、ひとつの出来事が。
子育て中の女性の上司が、「仕事は大事だけど、赤ちゃんも欲しいもんね」と言ってくれたんです。
その言葉を聞いたとき、思わず涙がポロッとこぼれそうでした。当時の私の気持ちをそのまま表したような言葉だったからです。
「不妊当事者同士」という狭い世界でしか「理解者はいない」「分かり合えない」と思っていたのに、「世の中には理解者がいるんだ」と急に明るい未来が見えた気がしました。
不妊に限らず、社会的な困難を抱えた人はたくさんいます。その人たちの話を、寄り添う姿勢で聞くことができているのか。
当事者の声をそのまま尊重する人が増えれば、世の中はもっと明るくなると思います。
マイノリティの声は届かないのに、マジョリティの声はすぐに大きくなって拡散していく
厚生労働者の調査によると、今の日本では5.5組に1組の夫婦が不妊の状態あるいは、不妊の検査を受けていると言われています。
不妊は増加傾向にありますが、この社会ではまだまだマイノリティです。
結婚しても子どもがいない不妊当事者の私も、「既婚者子なし」「不妊」というマイノリティの枠に突然入れられました。
今まで生きてきた社会で、自分だけ急に目の前に線を引かれたような、なんとも言えない居心地の悪さ…。
「少子化なのに子どもを産まないなんて身勝手」
「夫婦ふたりで贅沢だね」
「子育て経験がない人は未熟」
世の中はどうしてこんなにも「子なし」に冷たいのでしょう…。
「電車で妊婦に席を譲らないのは不妊の人」「公園の子どもの声がうるさいと苦情を出すのは不妊の人」という話も聞いたことがあります。不妊に対するあまりのイメージの悪さに驚きました。
マイノリティの声はなかなか届かないのに、マジョリティの声はすぐに拡散して大きくなる。
子どもを産む理由は聞かれないのに、子どもがいない理由は初対面でも質問されるから、あらかじめ答えを用意しておかないといけない。どうしてでしょう。
結婚したときも同様です。
例えば、「子どもが欲しくない」と答えると、「どうして?将来寂しいから子どもはいた方がいいよ」という他者の言葉が2つも3つも重なってきて、産む本人や育てる夫婦の気持ちは否定されてしまう。
そのまま受け止めてくれる人の少ないこと。
自分とちがう生き方を認めるのは難しいでしょうか。相手の人生を肯定したからといって、自分の生き方が崩壊するわけではないので、「私とはちがう生き方の人もいるのね」と思ってくれたら、マイノリティはどんなに楽でしょう。
マイノリティがどう生きるか、マジョリティが決めていいわけではありません。どちらも自分らしく生きていけばいいんです。
他者の意見や経験を知ることで、知識が広がり思考のアップデートにも繋がります。そんな会話こそ、ひとりひとりの人生の味わいに触れられるのではないでしょうか。
マジョリティの側に立っているときこそ、できることは何かを考える
2019年、私たち夫婦は特別養子縁組で息子を迎えました。
私たちは日々、穏やかに暮らしていますが、ほとんどの親子が血がつながっていると思われるなかで、私たち親子はこの社会では超マイノリティになります。
息子は、「養子」というマイノリティの側面と「養子の当事者」として直面する困難にいつか悩むことがあるかもしれません。生みの親に会いたい気持ちや、「どうして自分は養子に出されたんだろう」と疑問を抱くことです。
私たち夫婦は全力で彼をサポートしますが、息子自身が向き合っていくことでもあります。
また、当事者が向き合うこととは別に、息子だけでなく、全国の養子がマイノリティであることで生きづらさを感じないよう、大人が率先して社会の理解を求め、マイノリティが生きづらいと感じる環境を変えていく必要があります。
自分がマイノリティとしての苦しみに気づいてから、他者の苦しみに気づくなんて遅すぎですが、もし不妊を経験していなければ、私はずっと誰かに「よかれと思って発言」や「普通はこうでしょ発言」をマジョリティの側から発していたかもしれません。
不妊はつらいことが多いですが、私に学びと気づきのきっかけを与えてくれたのも不妊でした。
そして、私は「不妊」という点ではマイノリティですが、「結婚している」という点ではマジョリティになります。
自分ひとりの中にも当事者と非当事者の部分、そしてマイノリティとマジョリティの要素が混在しています。
当事者の声は、もっともっと耳を傾けて大事にしたい。そして、自分がマジョリティの立場に立っているときは、マイノリティに負担となる言葉をかけていないか。これを心に留めて、私はマイノリティの力になっていきたいです。