先日、私は自身のヘアドネーション体験記を公開した。記事中につけたアンケートには10代〜50代まで1900名近くの回答があり、半数以上の方がヘアドネーションを経験していた。

「誰かの役に立つのなら」「親族のがん治療に立ち会った」「ネットで見かけて気になって」「どうせ切るなら寄付してみた」

そこにはヘアドネーションをしたさまざまな理由が綴られていた。

ヘアドネーション団体の方にもこの声を届けたいと取材を申し込んだが、取材に訪れてみると、そこには「ヘアドネーションは本当に生きやすい社会を作っているのか?」と自問自答する団体の姿があった。

2009年からヘアドネーション事業を行っているNPO法人 JHD&C(ジャーダック)代表理事渡辺貴一さんに話を聞いた。

渡辺貴一さん

ーー ヘアドネーションの活動をはじめたきっかけは?

僕は30年以上、美容師でした。37歳で独立を考えた際、美容室はコンビニの約5倍、全国で25万軒ほどあるので、隣の美容室と違うことができないか、何か髪の毛を通じて、髪の毛に恩返しができないかと思ったのが、ヘアドネーションの活動のはじまりです。

「困っているお子さんを救いたい」とかではなく、美容師として髪に携わっているからこそ、髪の毛を活用した取り組みができないかと考えたのです。

1996年頃、アメリカにヘアカラーリストの修行に行っていたんですが、そこでチャリティへの意識の違いを目の当たりにして、カルチャーショックを受けました。

同調圧力ではなく呼吸をするように行動をするし「いいことをした」というような雰囲気もない。

そして1997年にアメリカで「Locks of Love(ロックス・オブ・ラブ)」というヘアドネーションのNPO団体ができました。日本では誰もやっていなかったので、自分がやってみようと軽い気持ちで2009年にスタートしました。

切った髪の毛はゴミですが、ゴミだったものに価値が生まれるものとして真っ先に浮かんだのがウィッグです。誰が一番困っているかを調べたときに子ども向けウィッグが手薄だと知りました。

そこで、ジャーダックでは小児用メディカルウィッグを18歳以下の人に無償提供することにしました。

最初は美容室のホームページに「ヘアドネーションをはじめます」と記載してスタートしましたが、少しづつ髪の毛が届くようになった。髪の毛を送った人たちが自身のブログで周知して広がっていったんです。

ーー 軽い気持ちで始めたとのことですが、実際にヘアドネーション活動を経て心境に変化などはありませんでしたか?

本当に色々ありましたが、すぐに分かったこととしては、ウィッグだけ渡したところで何の解決にもならないということです。

2015年末頃、俳優さんがうちに髪の毛を寄付してくださったことがきっかけでヘアドネーションが急激に広がり、他のヘアドネーション団体も増えました。

そして、そこから良くも悪くもヘアドネーションが「いいこと」に差し替えられて、本質的なものが抜け落ちたまま拡がっていった印象があります。  

ーー 「いいことに差し替えられた」というのはどのような意味でしょうか?

メディアの影響もあります。ヘアドネーションが広がる中で、僕は100回近くヘアドネーション団体の代表としてテレビに出ています。取材で1時間、2時間と話しても、放送される尺としては長くても15秒。

いくら私が感じているヘアドネーションの「真実」を話したとしても取材者側は「ヘアドネーションはいいことだ」という答えを用意して取材に来ます。

「いいこと」を伝えるためだけの素材集めなので、髪の毛が集まっている段ボール、出来上がったウィッグ、できれば、かわいそうな髪の毛がない子の映像を押さえようとする。そして、美談が出来上がっていきました。

でも、僕が伝えたいのは美談ではありません。

ウィッグを渡して問題は解決しているのか?という話なのに、何度伝えてもカットされました。

ーー 私も今回、ヘアドネーションに携わった人たちのあたたかいコメントを基に記事化をしようと考えていました…。でも、それは表面的なことに過ぎないと。

はい。ただ、コロナ以降、新聞やネットメディア、ラジオではきちんと言葉が掲載されるようになった気がしています。

「渡辺さん、昔おっしゃってることと今おっしゃってることが違いますね」と記者の方から言われるんですが、「いや、メディアがあなた達の都合でコメントを切っていただけですよ」と笑い話のように伝えてます。

コロナで世の中の価値観が急激に変わり、読者の意識も変わっているので、メディアとして「何がウケるのか」を考えた結果として掲載される内容も変わってきているのかなと感じます。

本当にウィッグを望んでいるのだろうか?

ーー ヘアドネーションは本質的な課題解決にはならない。それは、どういう部分がそうなのでしょうか?

髪の毛って自分の意思で伸びていると思いますか?髪の毛は、無意識に、勝手に伸びていますよね。

「ヘアドネーションのために頑張って髪を伸ばしました」と誰かのためを想い、我慢して髪を伸ばす行為自体は美しいですし、感謝しかないです。でも、髪を切って落としたら、それは正直、ゴミなんです。

なのに、それが「いいこと」に変わる理由は、「ウィッグが手に入れば髪の毛がない人は喜ぶに違いない」という思い込みですよね。

でも、髪の毛がない人たちは、できれば自分の毛を生やしたいんです。だけど、それができないから、仕方なくウィッグを用意する。それは、髪がないと社会生活が困難だと感じるからです。

病気の治療で髪を失ったら、「学校でいじめられるんじゃないか」と心配で、親がウィッグを用意します。つまり、ウィッグは自分を守るためのツールでもある。

もちろん、無料でウィッグを受け取ったほとんどの人は喜びます。

ですが、その人たちの本当の気持ちに触れていくと、違う側面が見えてきます。ウィッグを使うということが、「負けたような気持ちになる」という人もいます。

ーー ウィッグを望んでつけているわけではないと。

ここは、髪の毛がある人がほとんどの社会なんです。

呼吸しているのが当たり前だから、呼吸できていることに感謝をしている人がいないのと同じで、99%くらいの方が髪の毛があるのが普通の社会で、髪の毛があることを意識している人はほとんどいない。

そのような社会において、髪の毛がないということは圧倒的なマイノリティーです。これは髪の毛に限ったことではないですが、それが今の社会です。

ーー ウィッグをつけたいということと、ウィッグをつけなければならないということは異なるということですね。

もちろん、表現の自由でウィッグを着けて外を歩きたい人もウィッグでおしゃれをしたい人もいますが、ウィッグをかぶらなければならない状況はおかしいですよね。

髪の毛がないというマイノリティーの人たちのために髪の毛を集め、ウィッグを作る。運営側はそんな風に思っていないですが、「普通に買ったら50万円ほどする人毛ウィッグをタダでどうぞ、さあ被った方がいいですよ」という構図に結果的にはなっている。

圧倒的マジョリティーがマイノリティーに対して、ウィッグが必要だという無意識の押し付けになっているんじゃないのかと。

一生懸命髪の毛を伸ばして、「私はヘアドネーションをしました、いいことをした」は本質的な解決ではない。

ジャーダックでは「髪の毛に恩返しをする」という活動としてドネーション事業を行なっているためウィッグは人毛100%である。現在ヘアウィッグは、人工のものやハイブリッドのものもある。手入れのしやすさや価格も考慮した上で、必ずしも人毛がいいというわけではない。

「善意」が無意識のバイアスを広めているのかもしれない

ーー 確かにそうですね。とはいえ、「髪がなくて困っている人がいる」という情報に対して純粋に髪を提供したい人たちと、純粋にウィッグを受け取りたいと思う人たちの選択肢にもなっています。

もちろん1人でもウィッグを求めてくれる人がいれば活動は続きますし、ウィッグも提供します。

でも、この人たちの生きづらさは、少数派というところから派生している。自分に責任がないことに対して、ただただコストを負わされている。

ウィッグを買わないといけない、学校に伝えないといけない、プールの前には担任に相談しないといけない。「うちの娘、息子は脱毛症です。ご配慮をお願いします」とずっと教師に申し送りをしないといけない。

なぜこの人たちがずっとこのコストを負わないといけないのか。

私たちは、彼らがウィッグが欲しいから買っていると思っていますが、そうでしょうか?ウィッグを買う、そのコストって一体何への対価なのか。

社会の大多数に髪の毛が生えているから、マジョリティー側の人たちに、マイノリティの人が自分を寄せていかなければならない。この社会は非常に歪んでいますよね。

ヘアドネーションすらできない人に対して、その行為自体が、無意識に彼らに「髪の毛があることは素晴らしい」というマウンティングのジャブを打ち続けている。

ーー 良かれと思っている善意が、かえって彼らを傷つけている可能性があると。

コロナを経て、生理の貧困もそうですが、これまでなかったこととされていた人たちが声を上げはじめました。私たちも、今の世の中において、自分たちが感じている違和感について口を閉ざすことはできません。

僕らはヘアドネーションをスタートした運営者です。僕らにはその”無意識なバイアス”を広めたという罪があります。

だからこそ、是正できるのであれば社会に正しい情報を伝えていきたい。だから今は、とにかく伝え続けるしかないと思っています。

この国には家父長制をはじめとした無意識の差別が存在します。とりわけ男性からは、自分が誰かを差別しているとは思ってもいなかったと言われます。

生まれた時から下駄を履いていることに気づかないこともある。

理解を広げるには非常に時間がかかると思います。

インタビュー後編 「無意識の差別をなくすことはできるのか?ヘアドネーションがいらない社会を目指して」はこちら

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