口内炎ができた。口内炎ってすごく嫌い。食事の楽しみがなくなるし、短時間で大きくなるから常に痛い。
「見て、口内炎できた」と言うと、だいたいみんな決まって「ストレスだね」って言う。あと疲れとか。私はそれがすごく嫌だった。
ストレスとか疲れとか自覚もなければ処方しようもないものを原因にされるのは、テストの解答欄が埋められないときのような変な焦りがある。
特に女性の健康はそんな不明瞭さに振り回されることが多い。
「嫌だこのからだ」産婦人科の先生に本音をぶつけたら…
今週の月曜日、産婦人科に行った。ちょうど1週間前に貧血の薬を貰いにきて、そのまま勧められるがままがん検診を受けていた。その日は検査結果が伝えられる予定だった。
6年前に通っていたのと同じ産院が、院長の息子に引き継がれるタイミングで改築されてどこもかしこもピカピカになっていた。私はくまなく見回して「建物はいいなあ」と思った。人間とは違って老朽化にテコ入れできる。
貧血の薬を1週間飲み続けた結果、数値はだいぶ良くなっていた。医療のことはよく分からないけど「7.0ってヤバいですよ」と言われ続けてきた人生だったので(そもそもなんの数字か今も分かってない)、まるで大きな努力で何かを乗り越えたかのような褒められ方をして面白かった。
「先生、わたし生理がすっごく長いんですけど……」
ずっと気になっていたことを口にした。問診票を見つめながら若い先生が「たしかに」とこぼす。
最終月経を書く欄にこれでもかと半年分遡って書いたのだけれど、私は一回の生理が2週間続きしかも周期も平均15日という「いつでも生理人間」だった。
だから常に可愛い下着は身につけられないし、月のほとんどの入浴をシャワーで済ませている。
けれど、意外に生理痛は重い方じゃない。だから生活に支障はない。
ただ痛くもかゆくもなく血が流れ続けるだけの奇妙な体。
人は誰しもそれぞれの奇妙と付き合っていて、私の場合はそれが生理だった。
「ずーっとですか?」
「ずーっとです。何年も」
「気にならなかったですか?」
「気になってネットで調べたりはしましたけど、なんせ痛くないので」
「そうですか……」
先生はカルテを遡りながら何度もゆっくり頷いていた。「わたし6年も来てなかったのにそんなにデータ残ってるんや」とぼんやり思った。
「でもねえ、がん検診も異常は無かったし、いろんな方法で整えていくしかないですよ」
「いろんな方法?」
「そう、薬もありますしね。あとホルモンバランスとか、ストレスとかも影響してくるからねえ」
出た、ホルモンバランス。そしてストレス。抽象的な言葉にはだいたい拒否反応が出る。
「あの、ストレスは原因じゃないです。だって長期月経はここ何年も続いているし」
「そうですか。じゃあまあ他の原因としましてはね……」
先生はこちら側の理解を優しく促してくれる。私は自分が屁理屈サイコ野郎みたいで申し訳なくなって大人しく話を聞いた。
「すみません。なんか生意気言って」
診察の最後に言った。薬という解決方法を提示されると途端に落ち着きを取り戻すのは、私が極端な人間だからだ。先生はそんな患者に慣れているのか、「いえいえ」と穏やかに笑った。
「ほんと嫌になります。嫌だこのからだ」
ほとんど冗談のつもりでそう笑ってみた。でも先生は首を横に振った。
「付き合っていきましょう。大事なからだです」
待合室には妊婦さんと、月齢健診であろう赤ちゃんがいた。そういえば先週はもっといた。そういう時期なんだろうか。
赤ちゃんを抱くお母さんの化粧っけのない顔を見て、「ちゃんと寝れてるんかな」と余計なことを案じた。「この人は授乳中だからまだ生理が止まってるんだろうか」とかさらに余計なことも考えた。
職場復帰するため、娘が8カ月のときに断乳したのを思い出した。断乳した翌々日に生理が来たときは「は?マジか」とトイレの中で目を丸くしたものだ。「お乳をあげない→次の命の準備」にからだが素早く移行したのかと思うとなんか引いた。
これまで自分の「からだ」をあまり気にせず生きてたんだなあ
私には私のからだが分からない。
考えてみると不思議なもので、世の女性の何十パーセントが今日も股から血を流して生きている。すれ違う女性を毎日そんな目で見ることもなかったけれど。だいたいみんな朝薬を飲んで痛みを抑えたり、会議の後にトイレに駆け込んだりして「からだを気にしながら」生きている。
だから周りが労われとかそういうことじゃなくて。
私はこれまで自分のからだをあまり「気にせず」生きてきたんだなあと思った。だから、だんだんと短くなる生理周期や酷くなっていく月経過多を何年も放っておいたんだろう。
帰りの車で、お腹に触れて考えた。
私というからだ。命宿す箱。女性に生まれた故の一生の持ちもの。
文章を書くことで「こころ」についてはよく考えていたつもりだったけど、「からだ」についてはおろそかだったかもしれない。
「こころ」と「からだ」はすぐ傍にある。私もっと、自分のからだと丁寧に向き合おう。
先生の最後の言葉を繰り返し思い出していた。
血の流れる下腹部じゃなく胸の方が少し痛んだ気がした。
けれどそれは薬の要る不快な痛みじゃない。何かに気づけた幸福なときに感じるいつもの痛みだった。
(本記事は、2020年7月3日note掲載「今日も生理が終わらない」を編集し転載したものです)