妊娠してから産後の生活をぼんやり想像し始めると、比較的すぐに立たされる岐路がある。
「母乳か?はたまたミルクで育児するか?」だ。
はじめて妊娠した瞬間から出産〜育児に至るまで、私たちはあらゆる選択を迫られる。
自然(無麻酔)分娩か無痛(麻酔)分娩か。総合病院か個人産院か。保育園か幼稚園か。
無数の選択肢から正解のない「自分にとってのベスト」を導き出していかないとならない。それまでほとんど無縁だった世界の情報が、ある日を境に雪崩のようにスマホの画面から流れ込んでくる。
産院選びと計画無痛分娩に関する私の選択は、こちらの記事にまとめた。
痛い、母乳推奨、食事が合わない…「こんなお産は嫌だ」からたどりついた、私のベストな産院選び
出産の痛みはどこまで軽減できるのか。「無痛」分娩で経験した心身の痛みの記録
「母乳育児か否か」で育児スタイルに違いが出てくる
中でも「母乳育児か否か」はなぜか妊娠報告と同時に第三者から尋ねられることも多い。
おそらく古の時代から妊娠・出産している人に対するちょっとした挨拶がわりに使われてきた常套句なのだろうし、聞く側に深い意図はないのだろう。
けれど、そこまで信頼関係が築けているわけではない人から、いきなり自分のおっぱい事情について質問されるのは少々面食らう。と同時に、私も過去に似たようなことを誰かに聞いていたかもしれないと思うと背筋がひゅっと凍った。
たとえ人からそんな質問を受けなかったとしても、「完母(※1)」”か「完ミ(※2)」かはたまた「混合(※3)」かのいずれかを選ばなくてはいけないし、それだけで育児スタイルはけっこう変わってくる。
※1 母乳だけで育てること。完全母乳の略、※2 ミルクだけで育てること。完全ミルクの略、※3 母乳とミルクどちらも与えて育てること
だって産後半年くらいの間、1回20〜30分はかかる授乳を多いときは1日6回以上(新生児期なんて10回以上)しなければならないのだ。離乳食が始まってからもしばらくは食事は主に「食べる練習」で、栄養は母乳/ミルクで補う場合が多い。
生活のなかなかたくさんの時間を占めるではないか。
母乳とミルクのメリットとデメリット
調べてみると栄養面以外でもそれぞれのメリット/デメリットが見えてきた。
母乳のメリット
・お金がかからない
・家の中であれば与えたいタイミングにすぐ授乳できる
母乳のデメリット
・外出先では与えられる場所が限られる
・母親しか授乳できない
・乳腺炎になると授乳が困難になる
・母親が食べるものに気を遣わないといけない場合がある
ミルクのメリット
・液体ミルクの場合、外出先で場所を選ばずにすぐ授乳できる
・母親以外でも与えられる
・母親の飲酒や食事などの制限がない
・母親の体調に左右されない
ミルクのデメリット
・毎回のミルクを作るのに多少時間がかかる
・哺乳瓶の消毒や洗浄をしなければいけない
・月に¥8,000〜¥10,000ほどかかる
・ストックを切らさないように注意しなければならない
こればかりはそれぞれの生活スタイルによって何に重きを置くか全然違うので、もちろん正解なんてない。
母乳スタート時の痛みは「靴ずれと同じようなもの」
そもそも私は産後の肥立ちに問題がなければ1カ月ほどで仕事を再開したいと考えていた。その場合、完母はほぼ無理なので、近い将来完ミか混合になることは確定していた。
問題は、仕事復帰するまでの1カ月間をどうするかだ。元々完母へのこだわりはまったくなかったので最初から完ミでも構わないのだが、「せっかく母乳が(もし問題なく)出るなら試しにあげてみてもいいかなぁ」程度の気持ちが芽生えてきた頃だった。
妊婦仲間の友人に勧められた川上未映子さん著の妊娠から出産、育児までを綴ったエッセイ『きみは赤ちゃん』の一文に釘付けになる。
「基本的には、靴ずれとおなじだって、考えてほしいの」
これは産後に母乳でスタートしたところ、赤ん坊に噛み続けられる乳首が傷だらけで出血➡︎かさぶたが乾く間もなくまた授乳…の繰り返しで意識が朦朧としてきた頃に相談した看護師さんから言われたひとことなのだそう。
その看護師さんいわく、ものすごく痛くても「母乳でいくならここは乗り越えないといけないところ」で「二週間くらいしたら慣れてぜ〜んぜん痛くなくなる」のだと言う。
いやいやいやちょっと待ってくれ、母乳ってそんな激痛プロセスを踏まないといけないものだったの…!?
宗教画なんかでよく見かける、聖母が女神様みたいな微笑みを浮かべて赤ちゃんに授乳するやつ、ああいうのじゃないの!?
その後も母乳にまつわる痛みについて、さすがは作家さんの迫力ある文体でそれはリアルに綴られていて呆然としてしまった。
お産がいかに壮絶かは古今東西語り継がれてきたが、母乳に伴う痛みをここまで誰が教えてくれただろうか。(特に新生児期の)母親と子が離れられないが故に生じる睡眠不足も想像以上のものだった。
この痛みを、出産で交通事故並みのダメージを受けた直後から背負わないといけないのか…?
仕事復帰までの1カ月のためだけにそこまでするのはどうなんだろう、と気が遠くなりかけた時にふと新たな選択肢が頭をかすめた。
「そういえば搾乳器ってあるよな…?」
調べてみると日本では胸が張っているにも関わらず赤ちゃんが母乳を飲んでくれないときや眠ってしまったときなど、比較的ちょっとした緊急時に使われることが多いよう。
しかしアメリカでは、搾乳器の購入やレンタルにかかる費用は多くの場合保険適用になり、職場には搾乳室の設置を法律で義務化しているほどカジュアルに使用されているのだそうだ。
もし搾乳器を駆使できるようになれば母乳の「母親しか授乳できない」という弱点をカバーできるうえ、産後の「靴ずれで出血し、かさぶたも乾かぬ状態」での激痛も回避することできるのではないだろうか。
そう考えると俄然やる気が湧き起こってきた。
自分とわが子のたった1カ月のためだけなら最初から完ミでいいかと思っていたが、未来の母乳をあげたい人々の睡眠時間の確保や痛みを軽減できるかもしれないのなら、検証してみる価値はある。
「搾乳器」をレンタルすることにした
そうして調べ始めると、日常的に使うなら手に入れるべき搾乳器が自然としぼられてきた。
電動で両胸同時搾乳のダブルポンプ式である。
片胸を搾乳するには大体20分ほどかかる。これを毎回手動でやるとおそらく簡単に腱鞘炎になってしまう。さらに片胸ずつだと40分かかることになる。
当時調べたところ、日本では「両胸同時搾乳ができ音が静かな医療用の搾乳器」はレンタルのみということがわかった。確かに使用する期間は限られているし、そのほうがこちらとしても助かる。
ということで、私はメデラ社のシンフォニーという機種を退院後にすぐ使えるようにレンタルした。ちなみにこれは多くの産院に置かれているので、産後すぐは入院先で貸してもらえた。
すぐに仕事復帰をすることを見越して、ミルクと半々の混合を選んだ。そこから1カ月半ほど、私の素晴らしき搾乳器ライフは幕を開けたのだった。
搾乳器育児の良かったところと要改善ポイント
実際に使用してみて個人的に感じた、搾乳器育児の良かったところと要改善ポイントを挙げてみる。
【良かったところ】
①睡眠時間の確保、痛みの回避は本当に可能
いちばん検証したかった部分がクリアできたので、これだけでもレンタルする価値はあったと思う。ただ、睡眠時間を確保できたのはそもそもほかに授乳をお願いする人がいる場合に限られる。
常にワンオペで、夜間授乳も母親がひとりでやらなければならない場合はいくら搾乳ができても十分に眠ることができない。
私の場合は新生児期、夜間は夫とシフト制にしていたので自分が寝る前に搾乳を済ませておき「泣いたらこれあげてね」と言い残してはふらふらと寝室にこもることができた。
夫が育休を取れたり、里帰り出産で家族にお願いできる環境の人にはおすすめだ。
痛みに関しては(母乳開通時の激痛は避けられないものの)、授乳は哺乳瓶を介しているので当然噛まれたり血が出る心配がない。ちなみに搾乳器は赤ちゃんが母乳を飲むリズムを再現しているそうだが、まったく痛くなかった。
②最初から哺乳瓶に慣れさせられる
混合や途中からミルクに切り替える場合に苦労する可能性があるのが、赤ちゃんが哺乳瓶を嫌がることだという。
生まれてすぐ直接母乳をもらっている赤ちゃんからすれば、いきなりちがう感触の哺乳瓶に馴染めないのは当然のことかもしれない。搾乳器だと、はなから哺乳瓶を使用するのでその点は助かった。
ちなみにわが家の場合は最初から混合だったが、ミルクと母乳で特に子どもの反応は変わらなかった気がする。
③冷蔵、冷凍保存ができる
メデラ社のサイトによると、健康な赤ちゃんに与える場合、搾乳した母乳は室温(16〜25℃)で最大4時間ほど保存が可能らしい。また、冷蔵でも最大3日ほど、冷凍だとなんと最大半年ほどの保存が可能なのだそう。
*NICUや小児科病棟などで治療中の赤ちゃんは保存可能期間が異なる場合があります。
*冷蔵・冷凍保管の場合には、専用保存パック・容器の説明書を参考に保存期間を確認しましょう。安全な母乳保存の方法・哺乳瓶の扱い方はこちらも参考にしてください。
母乳の出る量、赤ちゃんが飲む量によっても差は大きいと思うが、私の場合は搾乳したものはわが子が24時間以内に飲み切ってしまうことがほとんどだったので冷凍するまでもなかった。
【改善されてほしいところ】
①ワンオペ育児の場合、搾乳時間を確保できない可能性がある
搾乳器を使ってみて、これが最大の課題だと思った。
いくら電動の両胸同時搾乳タイプでも終わるまで最短で20分ほどかかる。実際に育児をしてみて分かったことだが、寝ているとき以外で赤ん坊がひとりで20分も待ってくれることなんてほぼないのだ。
私の場合は仕事復帰までの1カ月、夫とほぼツーオペだったので搾乳するときは「いまから20分間、ここを離れられなくなります」と宣言してその間に子どもが泣いてもぐずってもお任せしていた。
これを1日の間に少なくとも3〜4回は行うので、ワンオペの母親ではほぼ不可能ではないかと思われる。日本ではいまのところ電源をコードで繋ぐタイプの搾乳器しかないからだ。
ところがアメリカやイギリスにはなんとワイヤレスタイプの搾乳機が数年前から登場したらしい。それならブラジャーに搾乳器を突っ込み、ハンズフリーで搾乳ができるので子どもをあやすことも軽い家事や作業もできてしまうそうなのだ。
正直、搾乳の20分間くらいなにも考えずぼーっとさせてほしいのが本音だが、ワンオペ育児や職場で仕事をしながらの人にとっては希望の光だと思う。
②洗いものが少し増える
電動両胸同時タイプの搾乳器はレンタル品の本体レンタルのほかに母乳を吸い上げるためのポンプセットを一部購入する。母乳を吸い上げるための搾乳口、コネクター、母乳ボトルなどだ。これらで胸や母乳が触れた部分に関しては使用後毎回洗浄しなければならない。それがわずらわしいと感じる人もいると思う。
搾乳器で「男も母乳を与えられる」ことで選択肢も広がる
私は搾乳器を使っての母乳と粉ミルク半々の割合で混合育児から始まり、徐々にミルクの割合を増やして産後1カ月半で完ミに移行した。ミルクの量が増えてくると不思議と母乳の分泌が減るので無理に断乳することもなかった。
完ミで育てて1年以上。実感するのは「正直これでなんの問題もないなぁ」ということだし、私自身も母乳が嫌いで粉ミルクばかり飲む赤ん坊だったそうだが38年間、体は人より丈夫なほうである。
けれど母乳で育てたい人はたくさんいるだろうし、私もたった1カ月ほどだがいい経験になった。授乳について、育児をする人がさまざまな選択肢を知り、それぞれのライフスタイルに合う授乳方法を見つけられればいいと思う。
今年の10月1日からは改正育児・介護休業法により「産後パパ育休(出生時育児休業)」や「育児休業の分割取得」が施行された。
それでも男性育休取得率はまだまだ低いが、徐々に育児に積極的な男性は増えつつあり、経験者からは「男にできないことは母乳をあげることくらい」といった声も散見される。
だからこそ、「搾乳器を介せば母乳すら男にでも与えられる」という事実がもっと周知されるといいなと願っている。