昨年、人生ではじめて出産を経験した。
私の当時の年齢ではすでに高齢出産(※)に区分されたが、幸運にも大きなトラブルに見舞われることなく、予約していた産院で予定していた日に無事に産むことができた(※日本産婦人科学会では、「35歳以上の初産」を高齢出産と定義している)。
私が経験したのは、計画無痛分娩という方法らしい。
出産は自然分娩と、麻酔を使って陣痛などの痛みを軽減する無痛分娩に分けられる。
その中でも、計画無痛分娩とは、あらかじめ分娩する日を決めておき、その日に陣痛促進剤を使って陣痛を起こし、人工的にお産を始める無痛分娩の方法。同じように麻酔を使う無痛分娩でも計画無痛分娩と通常の無痛分娩とでは誘発陣痛か自然陣痛かという違いがある。
麻酔をかけてもらいながら促進剤を服用するので私の場合は陣痛はゼロだったし、分娩時も痛みは感じなかった。生まれてきた子どもは生きていくには充分な大きさだが決して過熟児ではない、「産みやすい」といわれるサイズ感だと個人的には思った。
だけど「楽なお産だったか」と聞かれれば、私は「はい」とはとても答えられない。
出産で痛みをどこまで軽減できるのか、試してみたいと思っていた
経験してあらためて思うのはこの「無痛分娩」という名称、現実と齟齬があり過ぎるのではないか?ということである。
妊娠する前から、子どもを授かることができたら絶対に無痛分娩にしようと決めていた。
私自身が痛みを我慢したくないのはもちろんのこと、出産で痛みをどこまで最小限にできるのか、自らの経験をもって模索してみたい気持ちがあった。
私は振付師という職業柄、たくさんの年下の女性と出会う。生理や体づくりについて質問されることも多い。最初の教え子だった世代は徐々に既婚者が増えてきた。
彼女たちから何かアドバイスを求められたとき、体にいちばん負担の少ない方法を教えてあげられたらいいのにと考えていたのだ。
ただ、「無痛分娩は無痛じゃない」というのは経験者からよく聞くフレーズではある。
一体どういうことなのか。
そもそも陣痛〜分娩時に麻酔が効いていたとしても、妊娠中も産後も体は絶え間なくヘビーなのだ。
出産時の体のダメージの度合いはよく「交通事故に遭ったのと同じ」と喩えられることが多いが、その比喩で言うならば無痛分娩は車に轢かれる瞬間の痛みは抑えられても、轢かれたことに代わりはなく、麻酔が切れたあとがつらいのである。
その上、本来の交通事故とちがい、妊娠した瞬間から約8カ月後には車に轢かれることがほぼ決定している。
あまりにもハードモード過ぎる……。
それでも私の経験はほぼ完全な「計画無痛分娩」と呼ばれる。
なんて素晴らしく軽やかな響きだろう。
実際にどういうお産だったか、これから無痛分娩を検討する人々のためにも時系列で書き残しておきたい。
そもそもの、私の産院選びについての考え方は過去の記事を見てもらいたい。
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*編集部注:この記事は個人の出産の場合の体験談です。産院やケースによって、処置はさまざまなので、出産される場合は担当の医師に相談することをおすすめします。
私の無痛分娩の経緯
・臨月に入ってから出産予定日を決定
お腹の子が順調に育っていると診断されたところで、計画出産の予定日を決定する。
私の産院では本来の予定日の2週間前に入院し、促進剤を使用して翌日には出産をする。この産院では、小さめに産むことで(但し2,500グラム以上)母子の負担を軽減させるそうだ。万が一それよりもさらに早く陣痛が来てしまっても即入院して麻酔を打ち、無痛分娩をさせてもらえる。
※産院によっては24時間365日麻酔医が常駐していない場合もあるので、絶対に無痛分娩がいい人は予約時にまず麻酔医の対応可能時間を確認することがおすすめ。場合によっては予期せず普通分娩に切り替わってしまう例もあるため要注意
・計画分娩予定日の前日昼に入院
内診室でバルーン(子宮頸管を押し広げる医療器具)を挿入
➡︎入院する個室に移動して出産着に着替え
➡︎分娩室に入ってNST(ノンストレステスト。胎児の心拍と妊婦のお腹の張りをグラフ化する装置)をつけ、点滴用の針を刺す。促進剤を1時間に1錠飲む
➡︎局所麻酔をして麻酔を入れるための管を背中に入れる
➡︎麻酔を少量ずつ入れ始める
➡︎夕食
➡︎ここまでで促進剤を5〜6錠飲み、自室で就寝
このように出産前日といってもただの前乗りではなく、出産に向けて必要な処置を着々と進めていくのである。この日でいちばん痛いのは点滴用の針だと思う。ここまでは我慢できる範囲だった。
・入院2日目、予定日に計画出産
なんと通常は翌日は早朝3時から分娩室に入る。
ところが私は初産の緊張と促進剤でお腹の張った感じが気になり就寝できなかったので、前夜から分娩室に移動させてもらった。いくら麻酔を打ってもらうとはいえ、これから交通事故並みのダメージを受けることが決定しているのだ。まともに寝られるわけがない。
促進剤を飲みながら麻酔を入れてもらい、破水を待つ。
ここからお腹の張りを確認してもらいつつ、子宮口の開き具合を時々チェックしてもらう。
麻酔がなければ、この間も陣痛にもがき苦しみ叫んでいただろうから「医療バンザイ…!」と心の中で感謝し手を合わせた。
ただこの状態が絶好調かというとそんなわけはなく、刺しっぱなしの点滴の針は痛いし、NSTを何時間も巻いた私のお腹は湿疹だらけになりただれていた。そもそも臨月なんてどこもかしこも体がしんどい。
どんなに医学が発達しても、出産直前の妊婦がストレスフリーの状態になるなんてほぼ不可能なのだと思い知らされる。そんなこと、人間が卵を産んで体外で胎児を育てられるようになるまでおそらく無理だと思う。
前夜はほとんど寝られなかったため、うとうとしながら子宮口が開くのを9時間ほぼ同じ体勢で待った。
いざ、いきみ始めてからは丸1時間、腹筋をしているような感覚だった。上体を丸めていきみ力を抜く。これを数百回、子どもが生まれるまで繰り返す。確かに陣痛はない。会陰切開されている間も痛みは感じない。だからといって壮絶なことに変わりはないのだった。
腹筋耐久レースで頭の血管が切れるんじゃないか?と思った矢先、吸引分娩などあの手この手を使って、ズルズル〜〜〜〜〜という衝撃とともにわが子は生まれた。
大きめの赤ちゃんでもないのに、こんなしっかりとした生き物が私の内臓を押しのけて鎮座していたのかと思ったら思わず「え、でかっっ!?」と声が漏れてしまった。
そりゃ妊婦さん、みんな歩くだけでも疲れるわけだよ……。
出産後に大人3人がかりでお腹を押す「後産」がめちゃくちゃ痛かった
ホッとしたのも束の間、今度は後産(あとざん)といって母胎に残った胎盤などを体から出すために再びいきむ。自然に出てくる人もいるそうなのだが、私の場合は手助けが必要で医師と助産師さん2名がお腹を押してくれることになった。
これが今思い出しても鳥肌が立つほど痛かった。
想像してみてほしい。1時間腹筋した後に大人が3人がかりでお腹を揉みしだくのだ。わかっている。頭では必要なプロセスだと充分理解していても、あまりの痛みに感謝してもしきれないはずの医師たちに反射的に手が出そうになったほどだ。ごめんなさい……。
地獄の後産が終わってからは、糸が切れたようにぐったりして眠りに落ちた。これは無痛分娩に限ったことではないが、麻酔を使った術後は一時的に熱が出るそうだ。
泥のように1時間ほど寝て、起きると今度は異様に食欲が湧いてきた。「生きなきゃ」と体が叫んでいるようだった。
痛み止めが追いつかないくらいの会陰切開の痛み
そしてここから徐々に麻酔が切れ始め、会陰切開の傷が燃えるように痛みはじめた。
もちろん痛み止めはもらって飲んでいる。でも、薬の効き目が追いつかないのだ。
用法容量を守っていたらこの燃え盛るような痛みを到底鎮められそうになくて、怖くて涙が出た。
それに加え、夜にかけて子宮の収縮で腹痛が襲ってきた。8カ月ほどかけて(※妊娠期間は厳密には十月十日ではない)スイカほどの大きさになった子宮は産後、急激に小さくなる。
そのときに「生理痛の酷いとき」みたいな、あの、爪でキリキリと子宮を握りつぶされているような痛みを感じた。
おまけに産後3日間ほどは悪露(おろ)の量がひどくて、生理用ナプキンのドでかバージョンのようなパッド(産褥パッド)を使用するのだが、それもほどなく真っ赤になる。シャワーを浴びようにもショーツを脱いだ途端に床を血だらけにしてしまい、産後の不安定な精神状態ではこんなことでもいちいち落ち込む。
私は産後、入院中はいつでも子どもを預けられる産院を選んでいたが、病院によっては産んですぐに母子同室になるところも多い。自分の体がボロボロな中でいきなり生まれたばかりの命を預けられるのはどんなに不安だろう。この世のすべてのお母さんたちのことを思ったら、また涙が出た。
母乳開通時の痛みと不安で泣いた
そして退院前夜、それは当然やってきた。母乳開通の儀である。
どこで聞きつけたのか、私の出産が済んだことを私の体が嗅ぎつけ、母乳を準備し始めたのだ。みるみるうちに胸が自分のものじゃなくなったみたいにカッチカチの石のようになっていく。
激痛で腕をちょっとも上げることができない。顔が痒くても掻くことすらできない。
うつ伏せはもちろん、横向きにも仰向けに寝ても痛くて、その日は座ったまま寝た。いつこの痛みがおさまるのか分からなくて怖くてまた泣いた。
こんな思いを、出産した人はみんな経験してきたなんて。
子どもができるまで、お産がいかに壮絶かは耳にすることがあっても母乳にまつわる痛みなんて聞いたことがなかった。
おそらくみんな、陣痛がつらすぎてほかの記憶が霞んでしまっているのではないだろうか。
私は無痛分娩にしたことで、そのほかの痛みがよりクリアに感じられたのかもしれない。
結局、母乳開通の痛みは2日くらいで落ち着いたし、子宮収縮の痛みと悪露も退院する頃にはだいぶマシになっていたが、会陰切開の痛みがおさまるには1カ月半かかり、それまでは円座クッションがないと座ることもできなかった。
これが私の経験した「計画無痛分娩」の一部始終である。
*編集部注:この記事は個人の出産の場合の体験談です。産院やケースによって、処置はさまざまなので、出産される場合は担当の医師に相談することをおすすめします。
「普通」分娩や「自然」分娩という呼び方に疑問を感じる
確かに陣痛がないだけで普通分娩より遥かに体への負担は少ないだろう。
実際にどちらも経験した友人によると、無痛分娩だと普通分娩と比べて産後の体力回復の速さが段違いだったと言う。
だけど私は「無痛」という響きにどうしても違和感を持ってしまう。
体や心に痛みをまったく伴わないお産なんてあり得るのだろうか。
麻酔を使わない出産を「普通」分娩や「自然」分娩と呼ぶことにも疑問がある。
もちろん妊婦自身が望んで選択した場合は良いが、「普通」や「自然」という言葉の響きから「みんなが耐えてきたことだから」と選択せざるを得ない、同調圧力になってはいないだろうか。
妊婦以外で(例えば夫や実母や義母で)「自然分娩で産んでほしい」という人たちは、「無麻酔分娩」と表現を変えても同じことが言えるのだろうか。
「自然な」お産とはなんだろう。
たとえば歯の治療でもほかのどんな手術でも「麻酔を使うか使わないか」わざわざ選択肢を用意されることはほとんどないのに、こと出産となると「自然であること」は賞賛されやすい。無痛分娩を選択することを後ろめたく感じる女性も少なくない。
もちろん、分娩時に麻酔を使うリスクは多少なりともある。ただ不思議なことにその逆の、無麻酔で出産することのリスクはあまり語られることがない。
大切なのは、分娩の方法を妊婦自身が納得して選択できること。
どうか出産する本人がいちばん望む分娩方法を、のびのびと選択できる社会になりますように。
どんなお産でも命懸けなことに変わりはないのだから。