2023年6月16日、性犯罪に関する刑法の改正案として「不同意性交等罪」が可決された。罪名が「強制性交罪」から変更になること、構成要件も追加されること。ニュースアプリでそのことを知ったぼくは、iPhoneが軋むくらい強く握りしめた。
“遅すぎる”──安堵よりも歓喜よりもなにより先に湧き上がった本音は、怒りだった。
(編集部注:本記事には、性暴力被害の実態を伝えるため被害の詳細について触れています。フラッシュバックなどの症状に不安がある方はご注意ください)
信頼していた友人から「泊めてもらってもいいかな」
はたちを越えて間もないころ、関西の祖母宅に下宿をしていた。実家は東京だが、その近くの大学に通っていたためだ。
2年生も終わりを迎え、春休みを目前に控えたある夜、ぼくはとあるイベントの飲み会に参加していた。飲み会は2次会、3次会まで続き、気づけば終電はとうに過ぎていた。
ぼくは午前2時ごろに体力の限界が来て、帰宅することにした。3次会の居酒屋から祖母宅までは少し距離があるけれど、頑張れば徒歩で帰ることも可能だ。「眠いから先に抜けるね」と言うと、その場にいたひとりに「悪いんやけど、おれもちょっと限界やから泊めてもらってもいいかな?」と訊ねられた。
そのひとはメンバーの中でも親しくしていたひとりで、信頼していたし、彼から友情以外の感情を持たれていると感じたこともなかったので、すぐに快諾した。
特別断る理由も見当たらなかったし、何より彼はおずおずと申し訳なさそうな遠慮がちな調子でそのお願いをしてきたので、その態度に好感さえ抱いた。
彼とおしゃべりをしながら夜道を歩き、途中コンビニに寄って水やら明日の朝食やらを買い込んだ。その代金は「泊めてもらうお礼」として彼が支払ってくれたので、やっぱりこのひとはいいひとだなあと酔った頭でぼんやり思った。
恐怖から「我慢」を選んだ
祖母の家はすでに廃業した工場の横っちょにひっついている細長い建物の1階で、ぼくはむかし寮として使われていた3階の一室を借りていた。1階から3階へは、外階段を通じてしか行けない。話し声が下に住む祖母の耳に届くこともないので、東京から遊びに来た友人や恋人を泊めることもよくあった。
最初の数時間は、並んで座って雑談をしていたと思う。そのうち彼が眠いと言い出したので、ぼくは来客用の布団を広げようとした。すると彼は、それを止めた。そして当たり前みたいに、ごく自然に、ぼくの座っていたベッドに上がってきた。
背筋が凍りつく。「ちょっと、なにしてんの」と、引き攣った半笑いで訊く。すると彼は「いやいや、部屋に招いてくれたってことはそういうことやろ」と笑った。
とっさに窓と、出入り口に視線を向けた。しかしこの部屋の窓は外に出られる仕様にはなっていないし、出入り口は彼の背後にあった。そこを突破できたとして、玄関を開け、階段を駆け下りて、彼を振り切ることなどできるだろうか。──もしそれが失敗したら、目の前のこの男は態度を変えて、殴りかかってくるんじゃないか。
下手をしたら、殺される。だったらもう、我慢しよう。どうせ数十分かそこらで終わる。そのあいだだけ我慢していれば済む話だ。そんな気持ちで、ぼくは自身の尊厳を放り出した。
フラッシュバックに襲われ、自身を責め苛んだ
その当時、ぼくは性的同意の概念すら知らなかった。だからずっと、「自分がしくじった」と思っていた。自宅に「男性」を招いた自分が軽率だった。はっきり「嫌だ」と言えなかった自分が、拒絶できなかった自分が悪かったのだ。そんなふうに。
“「男性」とふたりきりで一晩過ごすこと”=性交渉への同意、ではない。その事実は浸透しつつあるが、ぼくの行いを「自業自得だ」と非難するひとは少なくないだろう。
それゆえぼくはこれまで一度もこのことについて書けなかったし、だれにも詳しく話せなかった。親しい友人にさえも。自分の尊厳を放り出してしまったあの夜をたったひとりで抱えて生き、ときおりフラッシュバックに襲われては自身を責め苛んだ。
不幸中の幸いは、関東の国立大への編入が決まっていたことだった。通っていた大学は第一希望ではなかったこと、学部も学びたいことが学べる環境ではなかったことなどから、ぼくは3年次編入試験を受けていた。
そのため、あの夜から数カ月後には東京へ帰ること──あの男から遠い場所に行くことが叶った。
自業自得でも迂闊でもない。悪いのは加害者
部屋に招いたのは、もちろんあの男を友人としてぼくなりに大切に想っていたからだ。
それともうひとつ、ぼくのセクシュアリティもおそらく関わっている。ぼくは生まれたときに「女性」へ割り振られ、現在も戸籍は「女性」だが、ジェンダー・アイデンティティはノンバイナリー(*)である。
(*ノンバイナリーとは、自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめないセクシュアリティを指す)
性的指向はパンセクシュアルで、恋愛/性愛の対象に性別が条件とならない。それゆえか、どうも「男性・女性」という性別に対する意識が薄いらしい。
加えて通っていた中高一貫校では、性別関係なく仲が良かった。たとえば男の子(に見えていたひと)と女の子(に見えていたひと)がふたりきりで下校していたとしても、すぐに「あのふたりは付き合っているのでは」なんていう噂が回ることはなかった。
思春期をそんな環境で過ごしたからか、“「男性」とふたりきりで一晩過ごすこと”が性交渉に結び付かなかったのだ。
自己嫌悪がようやっと薄まったのは、「性的同意」の概念を知ってからだ。あの出来事は自業自得なんかでもないし、自分が迂闊だったせいでもない。
ぼくの厚意につけ込んでセックスに持っていったあの男が最低だっただけなのだ。ぼくがぼくの尊厳を放り出したのではなく、あの男がぼくの尊厳をぐちゃぐちゃに踏み躙ったのだ。
被害に遭ったあと冷静に動けなくても、それは自然なこと
拒絶を示すことのできない状況でセックスに持ち込まれた経験のあるひとが実はぼくの他にもたくさんいるのだと、もっと後になって知ったとき、怒りで内臓が焦げついた。だからいま、ここで、なぜ自分の経験をこうして世界に公開する決断をしたのか、その理由を言おう。
あなたは悪くない。相手を信用してベッドのある場所でふたりきりになったとしても、「やめろ」と言えなかったとしても、あなたは悪くない。
悪いのは「いいよ」と明確な同意を示していないのに、それを無視して行為を押し進めた相手だ。あなたが受けたのは性加害であり、あなたの自業自得でもなければ、あなたに落ち度があったわけでもない。
そして混乱し、自分を責め、すぐに警察へ行けなかったとしても、やはりあなたは悪くない。そうできなかったのはむしろ自然なことだ。
知識があったとて被害直後、冷静に動けるひとなどほとんどいない。それだけの打撃を受けたのだ。適切に動けなかった自分が悪いなどと、けっして思わないでほしい。
また、警察に行っても被害届を受理されず、二次加害を受けたひとも多いだろう。警察官の心無い発言で、自分を責める必要はない。責めを負うべきは、知識の欠如したその警察官だ。だれがなにを言おうとも、あなたは悪くない。
昨今、有名人の性加害が次々と明るみに出ている。そのたびSNSを中心に、ネット上では被害者を叩く声が上がる。
「自分から部屋に行ったんだろう」「そのくらい予想できたはず」「慰謝料目的」「自己責任」「週刊誌に告発して警察に行かないのは筋が通っていない」……こんな具合に。
二次加害のオンパレードで、ぼくも言わずもがなフラッシュバックを起こした。
そんな今だから、ずっと言いたかったのだ。ぼくと似たような状況で被害に遭ったひと、そしてあの夜の自分に。「あなたは悪くない」と、何度でも繰り返し言いたかった。
この文章が誰かにとってのお守りのようなものになったら嬉しい。
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私のカラダは私のものに違いないのに、自分を大切する気持ちが、パートナーや誰が決めたかもわからない社会の声にかき消されてしまうことがあります。
ランドリーボックスでは、「〜らしさ」といった、世の中の当たり前に囚われずに、自分の人生とカラダの自己決定ができる社会を目指し、本特集をお届けします。
自らのカラダとココロをしっかりと自分の手で抱きしめられるように。
そして、私たちと、私たちを取り巻く愛すべき人たちが健やかに過ごせるように。
本特集に際して、「性的同意」にまつわる実態を把握するためのアンケートを実施しています。
みなさんのご意見や体験談をお寄せいただけますと幸いです。アンケートへの回答はコチラから。