私の最後の生理は、2015年の12月、ちょうどクリスマスの頃だった。
地方都市に仕事で宿泊し、宿泊先で2日目という、憂鬱な出張。いつものように夜用のナプキンと昼用のW使いで眠り、ホテルのシーツを汚していないことにホッとして仕事に行った。
最後の生理になるとは思わなかった、いつもどおりの生理中の生活。あれが最後だとわかっていたなら、経血で汚れたナプキンの標本を残していただろう。(やらないと思うけど)。毎月来ていた頃は煩わしくてたまらなかった生理も、来なくなると寂しいものである。実際に女性ホルモン量も低下しているのであろう、性欲がなくなってしまった。
30代から40代にかけて、20代の頃よりも性欲が強くなり、セックスの快感も強く得られるようになった。女盛りとはよく言ったものだと思いながらも、楽しんできた性的生活が40代終盤から楽しめなくなってきたことには焦燥感を覚えた。自分の女が、更にいうと、生きる楽しみがなくなっていくような寂しさを覚えた。私がセクシャルな表現の自撮りを始めたのは、そんな寂しさを埋めるためだった。
20代の頃にもセルフでヌード撮影をしたことがあったが、そのときは、プリントした写真を衆目のもとに晒す=自分の裸体を晒すという意識が強く働き、セルフヌード撮影が、自傷行為のようであった。
だが、49歳の私は、自分のヌードを撮影するという行為を、客観的に捉えていた。世に若い女性のセクシーなビジュアルが蔓延する中で、50歳になろうという閉経女のセクシャルな表現を成り立たせるには、当たり前のことをしていては面白くない。人から評価をもらうためにやることでもないのだから、自分で面白いと思えるものにしようと取り入れたのが「昭和のエロ」だった。
リアルに男性から性の対象としての目を向けられていた頃の自分だったら、この表現は到底できなかっただろう。幸薄げな女性が、楽しそうに脱いでいるとは思えないヌードグラビアの上に踊っている文字は、現代のエロ雑誌とは比べ物にならないほど、女性の人格を蹂躙したものばかり。そんな表現を用いることがどれだけメンタルを傷つけるか、男性諸君にはわからないだろう。性の客体として消費されることが、どれだけ傷つくことか、考えていただけたら有り難い。
そんな表現を面白いと思って取り入れることができるようになったのは、肉体的に自分が「女」でなくなったからなのかもしれない。
初潮を迎えたときに「女になった」と言われ、閉経を迎えることは、「女が終わる」ことだと考えてきた。生理は、自分が女性であることの徴(しるし)だった。
それを失うことに大きな喪失感はあったが、実際に失ってみると、より強く自分の「女」を意識するようになった。
人が女であることは、肉体が女であることではない。精神が女であることだ。ボーヴォワールが「人は女に生まれない、女になるのだ」と著していたが、その言葉が理解できたのは、女の徴を失ったときだった。
今、自分が精力を傾けているセルフポートレートは、自分が死ぬまで女であることを意識し続けるための作業でもある。私はずっと女でいたい。肉体が枯れ果てても、精神は女のままの自分で在りたいと、そんな思いでカメラを自分に向け続けている。