こんにちは。uni’que(ユニック)の若宮です。

先月からはじまった、『「ちがい」を活かすチームマネジメント術』

「マネジメント術」とえらそうにタイトルに掲げていますが、自分もうまくできているなんてことはなく本当に試行錯誤の毎日。ほうぼうから「できてないやん!」といわれそうでドキドキしていますが、めげずに連載第2回、謹んでまいりましょう!

「距離感」って難しい

今回のテーマは「距離とベクトル」です。家族もチームでも、「距離感」って難しいですよね…。

いうまでもなく、人との関係は「距離」とともに変化します。

【遠い】と他人事のような気がします。「対岸の火事」という言葉がありますが、遠くから石を投げるときのように、「どこかの誰か」の、その顔が見えないとき、わたしたちは相手の痛みを自分ごととしては感じづらく、気持ちを踏みにじってしまうことがあります。

では【近い】方がうまくいくか、というとそうもいかないのが難しいところです。

近いからこそ苛立ったり、近いからこそ裏切られたと感じ憎しみが生じたり、あるいは近いからこそ過度に思い通りにしようとしたり…。夫婦でも親子でもチームのメンバーでも、「近いからこそ上手くいかなくなる」ということがあるので本当に人間関係は難しいなあと思います。

遠くの人には「共感」しづらいのですが、近くの人には「共感」できます。それなのにどうしてわたしたちはしばしば近しい人を傷つけてしまうのでしょうか。

距離とベクトル

「共感」をもって「近い」存在になれば、より親密に、より「思いやり」をもって、優しい気持ちで相手を理解できるようになる気がするのですが、自分の経験からいっても実際はそう単純ではありません。

ここには「距離」と「ベクトル」、2つのパラドックスがあるのではないでしょうか。

まず、「距離」に関していうと、たとえば「恋は盲目」という言葉があります。「近すぎると見えなくなる」ことを意味することわざです。実際、なにかを見るとき、あまりに近くに寄りすぎるとよく見えなくなることがあります。僕くらいベテランになると大体20cmを切ったあたりから対象のカタチがぼやけはじめます(老眼)。

同じように人間関係においても、近すぎると相手の表情がよく見えなくなったり、相手と相手を取り巻く世界との関係が見えなくなります。すると、実はとてもつらい状況であったり、SOSを出していたりしても気づきづらい、ということが起こります。

画像=本人提供

老眼の例ばかりあげて恐縮ですが、同じ距離ばかりで見ていると特にそれが悪化します。近づいたり離れたり、距離を時々変えてみることが大事です。

もうひとつ、「ベクトル」に関していうと、人と人が最も近しくなったときにベクトルが変化するのですが、これも相手がよく見えなくなる罠。

たとえば、付き合いたてのカップルを想像しましょう。あるいはこれから何かを一緒にしたい、と思うような意中の相手に出会ったとき、初めはお互いがお互いに歩み寄ろうとします。

このとき、意識のベクトルは相手の方に向かっています。相手をじっくりよく見ていて、相手が何を望んでいるか、その視線をよく観察します。

しかし、付き合ったり結婚したり、同じチームになったりするとこれが少し変化します。「わたしたち」という二人三脚になって、意識のベクトルが前を向くのです。

画像=本人提供

すると…

目線が相手に向きにくくなります。よく男性が「釣った魚に餌をやらない」とか「髪を切っても気づかない」と批判されますが、それは相手と「一体」になったと思った後、意識が前方ばかりに向いてしまっているせいかもしれません。

男性に限らず、お互い恋愛をしている頃は「こんなだらしない格好を世界で一番見られたくない」と思っていたのが、「一体」になっていくと「ほかではこんな格好見せられない!」という格好で過ごすようになったりしますよね。

また、ベクトルが同一の方向を向いているときには、「歩幅」についても齟齬が生じることがあります。

お互いに歩み寄っているときには、相手の歩みが遅くとも自分の方に近づいて来る感覚があります。もしじれったく思ったら、自分が歩みを速めれば相手に近づくこともできます。

しかし、同じ方向に向かっているとき、「歩幅」が合わないとフラストレーションがたまります。先ほど「二人三脚」といいましたが、足を結んでいる相手の歩みが遅いときを想像してみると、「足手まとい」のように思えてしまうのです。

しかも、じれったく思って自分が速く進もうとすると、向き合っていたときとは反対に、二人の距離を離すことになりかねません。

ちがう二人が出会って、「共感」によって「一体」になって進むことは素敵なことです。しかし、同じ方向に進むうちに「共感」を超えて「同感」を相手に当然に求めるようになると、その思いが「足を縛る縄」になってしまうのです。

実際僕自身、だいぶ丸くなったはずが近しい人ほど苛立ちで強く当たってしまうことがあります。近しい相手ほど、「いわなくてもわかってくれているはず」→「あなただけはわかってくれるよね?」→「なんでわかってくれないんだ!」と思いや信頼の強さが裏返り、その分かえって自分の価値観や歩幅を押し付けることになってしまうのだと思います。

チームであっても、どれだけ「一体」のように思えても、それぞれ「ちがい」をもつ個の集合体です。協働しつつ、しかし相手に無理強いをしないためにも、「距離」と「ベクトル」を時々見直すことが必要なのではと思います。

今月のやってみよう

せっかく近くなって、同じ夢に向かって一緒に歩めるようになったはずの相手に「共感」しつつも「同感」を強制せず、よい「距離」や「ベクトル」で一緒に歩むためには、どんなことを心がけたらよいでしょうか?

今月も3つのTipsをお伝えします。これが本当に難しいのですが…時々(喧嘩したときだけでも)思い返すと、お互いに少し楽になれるかもしれません。

[STEP1] 相手の状況がよく見えるところまで離れる

相手に不満が出てきてしまったとき、相手を近くで見すぎているかもしれません。相手を取り巻いている環境はどんな状況か、相手がどういう心境にあるか、見える位置まで少し視点を引いて、客観的に相手の状況をとらえてみましょう。物理的に少し離れるのもときには必要です。

[STEP2] 歩みを止めて相手に視線を向ける

一緒に前に進んでいても、歩幅が合っていないときもあります。いつの間にスピードが上がり、相手が息を切らしてぜいぜいいいながらやっとついてきているような状態になっていないでしょうか。

前に進もうとすることは素晴らしいことですが、大事なのはチームで進むことです。相手に視線を向けてみましょう。とくにライフスタイルやスピードの変化があったときには。

[STEP3] ときどき、方向を確認する

一度「あっちに行こう」と決めても、徐々にベクトルやスピードが食い違ってきてしまうこともあります。時々「こっちに進もう」「これくらいのスピードで進みたい」ということをお互いに話して「わたしたち」の進む方向を確認するとよいでしょう。二人三脚でも、声がけって大事ですよね。

繰り返しになりますが、「距離」が近くなること、そして「ベクトル」が揃うこと自体はとても素晴らしいことです。上手くペースが合えば、ひとりでは進めない力強さが出ます。しかし一方で、「一体感」は盲目や押しつけの罠にもなってしまうのです。

「わたしたち」は「チーム」だけれども「ひとり」ではない。

そのことを互いに心がけ、思いやるからこそ、「わたしたち」は「ひとり」ではなく「チーム」たりえるのではないでしょうか。

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