昔から、女性として見られることが大嫌いだった。

母が買ってきたワンピースは床に投げ捨て、青くてかっこいい自転車がいいと泣きじゃくる。「おしとやかな子になってほしい」という親の思いから通うことになったピアノ教室は、毎週憂鬱すぎた。外に出て男子と鬼ごっこをしている方が100倍楽しいのだから。

両親はきっと、これは小さい子特有のワガママで、いつかはかわいくておしとやかな娘に成長すると信じて疑わなかったはずだ。でも、大きくなればなるほどボーイッシュさには磨きがかかり、いつしか両親が望む姿とは真逆な人間が爆誕した。それが私、下山田志帆である。

写真=本人提供

「お赤飯を炊かなきゃね」という母の言葉に、生理的に「無理だ」と思った

私自身、好きになる性が“普通ではない”と感じたのは中学生の時。同級生が学校の男子に騒ぎ立てる中に、どうしても入っていけない自分がいた。その後、女子校へと進学し、女性同士の恋愛がアタリマエの世界の一員になる。そこで、同性を好きになることは“普通じゃない”のではなく“世の中一般の普通と違う”だけだということに気がついた。

一方で、自認する性に関しては長い間、揺らぎつづけることになる。

「女性として扱われることはずっと大嫌い。でも、自分は男性になりたいのかな。あ、そもそも男性に“なりたい”と思ってる時点で、トランスジェンダーではないのかも」

そんな風に、自分自身の性は一体どこにあるのか分からず、自分の性のあり方を飲み込めるようになるのはだいぶ後の話である。

さて、そのように自分の性に不安定さを感じながら学生時代を過ごした私にとって、生理は「自分が女であること」を突きつけられる代表的なものだった。

初めて生理がきたことを報告した時の母の嬉しそうな顔。「お赤飯を炊かなきゃね」とホクホクした声で母は言った。私はゾゾゾと背中が冷え、生理的に「無理だ」と思った。

今までは、かっこいい服も青い自転車も、外で男子と泥だらけになることも、(少々駄々をこねる必要はあったけれど)望めば選択することができた。それは、裏を返せば「女性らしいとされるものを選択しない」という選択ができたということ。その「選択をしない」という選択を、今まで両親は悲しんできただけに、生理がきたことを一層喜んでいたのは一目瞭然だった。

両親の生理への反応に「”生理はいらない”と選択することは不可能だ」ということをより強く突きつけられた気がした。有無を言わさずに毎月生理を迎えなければいけない。絶望した。

生理用品を「選ぶ・買う・持ち歩く」ことは、無理やり女性として行動させられているようで苦痛だった。

高校生までは実家暮らしをしていたので、母がトイレの横のボックスの中にストックしていた生理用ナプキンを使用していた。

ピンク色の包装紙、テープ部分にあしらわれた花柄やリボンの絵。そんなデザイン、とっとと引き剥がして股に挟んでしまえば誰にも見られないのだけれど。ボックスの中に広がる女性の世界から、かわいらしいデザインを選択せざるをえないのはいつもストレスだった。

今までなら、欲しくない着たくないと拒否してきたものを、自分の手で選びとらなければいけない苦痛。それは、大学に進学して1人暮らしを始めてから、さらなる苦痛を味わうことになる。

生理用品を、自分自身で購入しなければならなくなったからだ。

ピンクや紫の包装紙がずらりと並ぶ生理用品コーナー。そこの前を通り過ぎるのも気まずいのに、立ち止まってどれにしようか悩まなければいけないのである。しかも、それを持ってレジにいけば、店員さんに生理用品を買っていることを知られてしまう。生理用品が入った銀色の袋を手に歩く帰り道も、なんだか落ち着かない。最悪だ。

生理用品を「選ぶこと・買うこと・持ち歩くこと」は、無理やり女性として行動させられているようで、私にとってものすごく大きな心理的苦痛だった。

スポーツをしていると、生理用ナプキンの不快感はマシマシ。

生理用ナプキンをつけることで身体が楽になったりリラックスできたりするのであれば、生理に対するつらさも軽減するのかもしれない。

けれど、実際はその逆で、不快感ばかり。特にスポーツをしていると、その不快感はマシマシだ。

サッカーというスポーツは、夏の暑い日も雨がザーザー降る日も、基本的には練習も試合も行われる。となると、生理日の練習や試合は生き地獄だ。汗で生理用ナプキンが蒸され、ショーツの中はモワモワ状態。雨の日には水分を吸って重くなるし、時には粘着力を失った生理用ナプキンが剥がれ落ちることだってある。水分と混ざり合った経血が、ユニフォームのパンツに漏れてしまうことも。白いユニフォームの日なんてTHE ENDだ。

正直、生理用ナプキンをつけていてよかった思い出なんて1つもない。むしろ、大好きなサッカーの時間を不快な時間にされるのだから、たまったもんじゃない。

そうやって、生理によって心理的にも身体的にも苦痛を感じていた学生時代。私が生み出した生理からの逃げ出し方は「生理を意図的に止める」ことだった。

写真=本人提供

生理を意図的に止めることに成功!パフォーマンスもあがり、最高の日々

大学3年生の夏、あることに気がついた。

ちょうどその時期、私はパフォーマンスを上げるための身体改革を行っていて、60kgを超えていた体重を57kgまで落とした。体が重くキレが悪いと感じていたので、体重そのものを落としたのである(今考えると、2〜3カ月で一気に体重を落とし、除脂肪体重まで減らしていたので正しい行為だとは思えないのだけれど)。

それによって体脂肪率が16%前後にまで落ち、その結果、生理が止まった。そう、あの忌々しい生理を止めることに成功したのである。

絞られた身体と、キレのある動き。そして止まった生理。完璧だった。パフォーマンスも上がり、毎月生理によってモチベーションを下げられることもない。スポーツをする上で最高な状態になったと思っていた。

今までは「“生理はいらない”と選択することは不可能だ」と思っていたけれど、この方法なら自ら生理を止めることができる。そう気がついてしまったのである。

「生理が止まって楽になったんだよね」

そんな話をチームメイトや親に話すと、決まって周りは「将来、子供が産めない身体になるよ」なんて言葉をかけてくる。そんなこと知ったこっちゃない。自分が妊娠出産をするなんて想像できないし、したくもない。妊娠出産のために生理があるのなら、あらためて不必要だと感じた。

だから、生理が止まってからの約半年間、私は意図的に体脂肪率をキープすることで生理を止め続けたのである…。

次回、大学生の下山田志帆の身体を襲った出来事とは…!?

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