家にいる時間が長くなり、退屈だから本でも読もうかと積読の山からためしに一冊手にとって開いても、私の視線は整然と並ぶ活字のレーンを規則正しく泳ぐことができない。2、3行読んでは打ちあがり、戻っては打ちあがり、最後は宙を泳ぎ出して過去や見えない未来をぼんやり見つめている。
疲れているのだ。もう一冊を開いてみたとき、私はようやく気付いた。
思えば、このところ何もしていないのにけだるくて、2~3時間原稿を書いてはすぐに眠ってしまい遅れすぎた寝正月のような生活を数週間続けていた。
Twitterのタイムラインを流れていく日々変化する情勢も、それに適応していく人たちも、“妥当な”怒りも、私には身が切れるほどに速すぎる。人も文字も何もかもが受け入れられない。苛立ちにも似た自分への焦りを抱えきれず、カーテンを引くように私はブラウザを閉じた。
本を読む時間は、私にとって自分を取り戻すための居場所だ。編みかけたマフラーの続きを編むように、読む本が変わっても読書に戻れば、私は新たな自分を編み続けていられた。
本を読めなければ、自分に戻ることすらできないのではないかと絶望する。しかし、疲れから活字が読めずにストレスを溜めている本の虫は私だけではないだろう。
今回ご紹介するのは、そんな同胞たちに届けたい、疲れていても読める栄養になる3冊だ。
143編の天才たちの生き方から「お守り」を探す
まずご紹介したいのは、『天才たちの日課 女性編』(フィルムアート社)。ココ・シャネルや草間彌生、ニキド・サンファルをはじめとした著名な作家、アーティスト、クリエイターの試行錯誤の記録が143編収録されている。
手に取ったときの図鑑のような厚さに圧倒されるけれど、怖がらなくて大丈夫。本書の構成は、年代順でも、アルファベット順でも、表現のジャンル別でもない。「ちょっと変」とか「思いがけない心の揺らぎ」とか「あきらめと安堵」などプロフィールに基づくテーマで分けられている。
だから、いまの気分にぴったりくる章から読み始めればいいし、好きなエピソードだけをお守りのように繰り返し読むのもいい。
似た構成の『才女の運命 男たちの名声の陰で』もおすすめ。
『天才たちの日課 女性編』の試し読みはこちら。
自炊を「自分の調子を知る良い手段」と捉えて、心を軽くする
家にいる時間とともに自炊の機会も増えたけれど、毎食つくるのも飽きて疲れてきてしまったという人には、『たすかる料理』(リトルモア)をぜひ読んでほしい。
東京・代々木上原で「按田餃子」を営む按田優子さんによって書かれたこの本はとても“へんてこ”で、料理の本なのにレシピが後ろのほうにひっそりと載っているし、料理に関するスタンスが書かれたエッセイも良い意味で気が抜けていて独特だ。
「鏡を見るように自炊する」という章では、こんな一節が書かれている。
私にとって自炊は自分の調子を知るよい手段です。鏡で自分を見るのと同じように、どんなものを食べたいか、と心に尋ねてみる。それを今の私ならどうやって作るのか、自分で自分を観察する。そうすると、どんな流れの中に身を置いていたいか知ることができます。
(中略)
料理の仕事とは別に自炊が好きなのです。
(『たすかる料理』より)
書店や服屋さんに行き、気になる本やいいなと思う服を手に取ることで、心がホッとするように、自炊も自分の“現在地”を知るための方法のひとつだと思うと、なんだか肩の荷が降りる気がする。
特に、外出自粛中で服や本と偶然に出会うことが少なくなってしまったいまの生活では、自炊が、心の羅針盤になってくれるかもしれない。
しかも、按田さんは“料理家なのに”「塩を測れ」とか「工程通りにつくれ」などと、読者に強く指示することはない。
チチャロンという焼き豚をつくるときも「ここで出た煮汁をそのままスープや炊き込みご飯に使えます」「ここで作業をやめたらお肉はサンドイッチの具などにできますが、もう少し加熱すると常温で5日間持ちます」などと、余白を残しておいてくれる。
このゆったりとした料理観は、家にいる時間が増えて大きくなった自炊の割合に潰されそうな人をやさしく包んでくれることだろう。
按田さんの世界観を好きになった人には、より具体的なレシピが載っている『食べつなぐレシピ』(家の光協会)を読んで、自炊の時間をより心地の良いものにしてみてほしい。
毒の効いた恋みくじで、今日をちょっぴり前向きに
人命が最優先の緊急事態でこんなことを言うのもなんだが、私は世の中に存在した“恋たち”の安否が気になって仕方ない。
恋人関係ならばまだしも、「いい感じ」だった人がいた人は正直なところ気が気ではないはずだ。命と心、そして恋愛は天秤にかけるものではない。ときとして命よりも大事な恋があることも知っているし、恋の痛みについて「こんな状況なのに」などと申し訳なく思う必要はない。
というわけで、恋に関して絶賛お悩みの方には『四畳半みくじ』(芸術新聞社)をお届けしたい。この本の著者である齋藤芽生さんは画家でありながら、文学にも造詣が深く、ビジュアル(絵画)とテキスト(文学)を組み合わせた博物館学の手法を用いた作品を多く手掛けている。
この「四畳半みくじ」もそうした作品群のひとつで、「みくじ」という体裁をとってはいるものの、落とし込まれたテキストは毒の効いた文学だ。
何色の愛に乗りたいの
と訊かれる
カラフルすぎる観覧車
獲物 キザすぎて憎めず
駆引 歯が溶けるような甘い言葉ばかり
欲望 心ゆくまでおとぎの国の住人
切掛 騙されていると知りながら
(『四畳半みくじ』より)
短いことばながらときにドキリとせられ、くすりと笑わされる。ウインクしながら舌を出す著者が目に浮かぶような元気の出るテキストだ。
運勢を占いたければ、「一のくじ」と「十のくじ」という、いわゆるあみだくじの結果をもとに算出された番号のページに書かれているおつげを読めばいい。
ちなみに、私が好きな一節は、第六十五番のみくじ。
誰かの女に
なろうとするのはよせよ
自分の夜を生きろ
獲物 誰にでもすがろうとするな
駆引 泣顔の嘘臭さを鏡に映させるべし
欲望 一人では眠れないとの思い込み
切掛 居場所のなさ
(『四畳半みくじ』より)
毒々しい世界観の虜になったら、架空の花を集めた画集『徒花図鑑』(芸術新聞社)でよりディープに浸ってみてもいい。
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本が居場所になっている人間にとって、活字が読めないことは屋根のない場所にいきなり放り出されたような心もとなさがある。そんなときは読みやすく、少しずつ摂取できる栄養になる本でこころの調律をしながらリハビリをしてみてほしい。1週間も続ければ、あなたはきっと“わたし”の居場所を取り戻せるだろう。
いまも外に働きに出ている人のこと、安心できない環境にいる人に想いをめぐらすことは素晴らしいけれど、何もできないと自分を責めて、あなたの心がボロボロになってしまってはいけないと思う。
大事な人の無事が確認できるだけで安心できる感覚を知っているなら、まずは自分をいたわることで、あなたを大事に思ってくれる人に安心をおすそ分けすることも十分、いまできることのひとつだと思えるはずだ。
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自宅で過ごす時間が増え、部屋の隅に積み上げられた本にようやく手をつけ始めた人もいるだろう。
おうち時間が増えたからこそ、自分とカラダ、そしてココロに向き合うこともできるかもしれない。
1946年4月10日は日本の女性が初めて選挙権を行使した日。それから女性週間と名付けられた。
ランドリーボックスでは、「#お家で読みたいワタシの本」をテーマに、それぞれが選んだ道をエッセイでお届けします。
手ばなせない本、自分を変えた本、置き去りになった本を手にとって——。
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