生理中にお風呂から上がると、太ももを血がつたう

スーパーで生理用品を買うと、なぜいつも紙袋か、真っ黒のビニール袋に入れられるのだろう。しかも、まるで汚物か見たくないものに蓋でもするかのように。

そんな疑問をもつようになったのはごく最近のことだ。生理が始まってから思春期はずっと、それが当たり前のことだと思っていた。生理は女の子の秘密で、その秘密はずっと維持されなくてはならないのだと信じていた。

私にとって生理は、毎月来るのがとにかく憂鬱なもの。そしてそれは残念ながら今もそんなに変わらない。

生理前になると、顔はむくみだし、待ってましたとばかりにニキビが増えだす。スイッチが入ったように過眠、過食になる。生理中にお風呂から上がると、太ももを血がつたう。生理痛を抑え込むために、ポーチに入れた痛み止めを血まなこで探す。これが毎月である。

なんてクレイジーなシステムをデフォルト装備にしてくれたんだ。女性というだけで。

重い腰を挙げてピルをもらうために産婦人科に行ったけれど、毎月行くのが億劫だ。なぜ薬局で手軽にピルを買えないのだろう。

とにかく、生理に関してはネガティブな感情しかない。

それでも、今は「紙袋はいらないです」とレジではっきりと断っている。そしてその瞬間だけは、すがすがしい気持ちになれる。そんな自分に至るまでの3つのブレイクスルーについて書いてみたい。

1.新しい風が吹いた、ジェンダー学との出会い

大学2年生のとき、全学生が受講できる講義形式の授業で、なんとなくの気持ちでジェンダー学を受講した。「(女性/男性)だから我慢しなくてはならない」「しょうがないこと」が、なぜ当たり前で我慢しなくてはならず、しょうがないのか、授業を通して学んだ。社会の決まりやルールを解読するこころみをしたのははじめてだった。

「性と生殖に関する健康と権利(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)」について知ったのもその授業だった。私自身の身体や生殖に関することは、国家にも、他者にも、誰にも侵されてはならない、ということをはじめて自覚した。

そして同時に、性について語ることが特に日本においてはタブー視されてきたということもはじめて知った。性に関することをはじめて聞いたときは、いけないことを聞いているようで気まずい感覚があった。

性について語り、考えることをタブー視していると自覚できたこと、そして語っていいものなのだと知ったこと。ジェンダー学を学んで、自分の中に新しい風が吹いた。

2.生理を隠さず自然に話す、大学院の仲間との出会い

Photo by AC

それから私は、ジェンダー学をさらに深めたいと思い、大学院に進学した。中国出身の友人の家に遊びに行ったとき、彼女の冷蔵庫にあるものが気になった私は、「これは何?」と聞いた。彼女は、「これはレーズンやドライフルーツ。生理中の不調を改善したくて食べているよ」とさらりと言った。

その場にいる友人のなかには男性もいたので、私は一瞬びっくりしたのを覚えている。彼女は男性がいることも全く気にせず、あまりにも自然に話していた。「ああ、これでいいんだ」と拍子抜けした。

別の同期は、グループLINEでの、「今日授業行く?」という問いに、相手が男性であろうがなかろうがかまわず、「生理がつらいから今日は行けない」と言っていた。彼女もまた、生理のことは全く隠さなかった。生理痛だから我慢するのではなく、「休む」という選択をしていた。

私は、生理のことを過度に隠さない、我慢しないというスタイルに慣れていった。

3.生理用品や女性器をアートで表現。デンマークでの出会い

Photo by Kaori Kitayama

最後の大きな出会いは、デンマーク。大学院の長期休暇中、ずっと興味を抱いていたデンマークに留学し、フォルケホイスコーレという、教育機関に滞在した。

そこでは一部の学生たちが、3月8日の国際女性デーにちなんだイベントを行った。朝のミーティングでは、ジェンダーの不平等について問題提起しプレゼンテーションが行われ、学校の廊下には、「ボディポジティブと生理」に関する展示。

午後に開かれたワークショップでは、なんと自分の女性器に好きな色のインクをつけて紙にスタンプをし、アートを制作していた。

Photo by Kaori Kitayama
Photo by Kaori Kitayama

私は、彼らの積極的な取り組みを見て、「きっと政治に関する授業が多いから、この学校では毎年行っているのかもしれない」と思い、先生に聞いてみた。すると、「学生自身で疑問を持ち、全て学生主体で行っているんだよ」との回答が返ってきて、心底驚いたことを覚えている。学校全体で、女性の身体について考えることをタブー視する空気がなかったのだ。

Photo by Kaori Kitayama

白い壁にさまざまな色や、きらきらのラメで塗られたナプキンやタンポンが展示されているのを見て「ああ、こういう文化がある場所も確かにあるのだ、忘れてはいけない」と思い目に焼き付けた。

「紙袋いりません」これからの生理との向き合い方

Photo by AC

上記の経験を通して、私のなかの生理へのタブー視や、植え付けられた呪いは、少しずつ溶けていった。

生理のときは休んでもいいし、ナプキンも、生理そのものも隠す必要はない。生理は汚いものではない。そして、やっと私は、スーパーのレジでナプキンを買ったときに「紙袋はいらないです」と言えるようになった。

それでも会社で、ナプキンをもってトイレにいくとき、同僚の男性にわからないように、こっそりとそれを行っている自分がいる。

これからも、毎月来る生理の憂鬱さは変わらないかもしれない。生理についての恥ずかしさやタブーが、劇的に変わる特効薬はないだろう。けれど少しずつでいいから今よりもうまく生理と付き合っていきたい。過度な神聖視もタブー視もせずに、身体の「現象」のひとつとして、フランクに向き合う。それが私のこれからの目標だ。

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