3月上旬、4年ぶりに引越しをした。とはいえ、同じマンションのワンフロア上への引越しで、大きな家具をのぞいて、段ボールは自分たちで台車に載せて運んだ。
それでも、窓からの景色が変わり、生活は一新した。
家にいる日々がつづくが、少し広い部屋になったのが救いだ。
20代の頃は2年ごとにいろんな街や沿線に住んだ。引越し費用もバカにならないが、地方出身の私は“2年間の旅行”と割り切って、住む街と家を変えて、新しく広がる世界を楽しんできた。
当時、1K の一人暮らしの部屋には、おおきな本棚は置けなかったが、大好きな作家やテーマに分けながら、相性の良い装丁と隣合わせに並べた。
こうして引越しする度に、本棚のラインナップは少しずつ移り変わる。次の家にも連れていく本、友だちに贈る本、今の家でいったんお別れする本。荷造りは、自分の価値観を再編集する時間でもある。
「書いた、恋した、生きた」に魅せられて
新しい部屋の本棚から私を眺めているのは、私という人の内面をつくってきた本だ。その一部をちょっと紹介してみよう。
宇野千代、武田百合子、白洲正子。
右下の棚には、時代を超えて愛されるカッコいい文筆家のムックが並んでいる。書き手ながらその存在感も圧倒的で、凛とした佇まいに表紙を見るだけで背筋が伸びる。
「書いた、恋した、生きた——」
2005年、下北沢駅に貼られた世田谷文学館の「宇野千代展」のコピーに惹きこまれ、そのまま宇野千代展へ。すっかり宇野千代さんのファンになってしまった。
宇野千代さんは、「私なんだか死なない気がするんですよ」の名言も遺し、96歳まで生きた。
S N Sが普及しインフルエンサーの言葉も身近になった現代。私自身は若い頃、本やムックを通じて、人間力あふれる女流作家たちの波瀾万丈な人生やライフスタイルを、丸ごと勉強させてもらったのかもしれない。
小さい頃から手袋をさがしていた私
左上の棚には、私のなかで“殿堂入り”した文庫が並ぶ。
なかでも向田邦子さんの『夜中の薔薇』は、何度も手にとり読み返す。どうしたらこんなに美しい文章が書けるのか。記憶と人の縁とアイテムが交錯する結びまで完璧なエッセイを、心のどこかで手本にしている。
この本に収録されている「手袋をさがす」は、まだ何者でもない学生時代の私にひとつの答えをくれた文章だった。
22歳の頃、気に入った手袋が見つからず、ひと冬を手袋なしで過ごした向田さん。まだ手袋をしていないのは、お金がない惨めなこととされた時代のことだった。
ある日、会社の上司に言われたのは、「君のやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題だけではないかも知れないねえ」「男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃すよ」の言葉——。
ここから向田さんの回想が始まる。
たしかに、私は苛立っていました。
(中略)
私は若く健康でした。親兄弟にも恵まれ、暮しにも事欠いたことはありません。付き合っていた男の友達もあり、二つ三つの縁談もありました。
(中略)
にもかかわらず、私は毎日が本当にたのしくありませんでした。
私は何をしたいのか。
私は何に向いているのか。
なにをどうしたらいいのか、どうしたらさしあたって不満は消えるのか、それさえもはっきりしないままに、ただ漠然と、今のままではいやだ、何かしっくりこない、と身に過ぎる見果てぬ夢と、爪先立ちしてもなお手の届かない現実に腹を立てていたんです。
(『夜中の薔薇』の「手袋をさがす」より)
その晩、向田さんは電車には乗らず、自分に納得がゆく答えが出るまで、家に向かって歩く。手袋のない指先が冷えかじかむなか、「やり直すならいまだ」「今晩、この瞬間だ」と思う。だが、結局のところ「このままゆこう」と決めるのだ。
それからの向田さんの脚本家や作家としての活躍は、周知の通りだ。
これは現代の女性が抱える悩みにも通じるのではないか。社会や周囲の声に流されず、自分に正直に生きる先輩から勇気をもらった。
次に収録されている「時間なんて怖くない」も若き日の向田さんの焦燥や葛藤がつづられている名作だ。よかったらぜひ読んでほしい。
『夜中の薔薇』は、いまでも読み返す本だ。スーツケースに持ち込んで海外の旅先で読むこともある。まだまだ私は人生に欲深く、好奇心旺盛でいるだろうか。そう自分自身に問いかけるために。
どう生きるか。読者と私の人生を変えた本
以前、本の編集をしていた私は、猫から鉄道までいろんな本をつくった。
担当した作家で経営ストラテジストの坂之上洋子さんの『PRESENT 世界で1番大切なことの見つけかた』は、プロセスも含めて心に残る本のひとつだ。
何度か打合せをした後、「本出すのやめましょう。ごめんなさい!」のメールが届いてから、仕事がキックオフした(笑)。断られても私が全然慌てず諦めなかったのは、よーこさんが昔書いた名ブログ「怒メールには返信しないで」を読んでいたからだ。
よーこさんの研ぎすまされた愛のある言葉と、グレース・リーさんの挿画によって、人生の岐路に立つ女性(妹たち)に、やさしく凛としたエールを贈る一冊になった。
どう生きるかは
誰と仕事するか
誰と遊ぶか
誰を愛するかの
集大成だよ
建築家、Webマーケター、経営者を経て、ビジネスから政治、NPOまでさまざまな領域の戦略立案や危機管理までプロフェッショナルとして活躍するよーこさん。打合せで、多彩なキャリアと幅広い友達の話をしながら、大切なのは「はみ出すこと」と語ってくれた。
そのひと言のおかげで、後に私はニュースメディアの記者に転身した。
佐野洋子さんが遺した『死ぬ気まんまん』
最近は、新型ウイルスの影響で、ほぼ家で過ごしている。
いま本棚を眺めて、目を引くのは、『100万回生きたねこ』で知られる絵本作家で作家の佐野洋子さんの作品だ。
大嫌いな母親の介護を綴った『シズコさん』や『ふつうがえらい』『神も仏もありませぬ』『役に立たない日々』など、大嫌いなことまで真っすぐに正直に描ききる子どものような“大人”のエッセイは私の宝物だ。
遺作となった『死ぬ気まんまん』を手に取る。すごいタイトルだ。
「死ぬ気まんまん」と潔く断言できる人生はカッコいい。
佐野さんは、がんの再発を告知された日に「最後の物欲」でジャガーを買い、自ら運転して通院した。友人に嫌味をいい絶交しながら、うつ病や自律神経症失調症も経験し、家族や隣人に本音をぶつけて、社会に怒りの声をあげて、自分にとことん正直に生きた。
一方、私はまだまだ何にもしていないな、と気づかされる。
なかには、余命二年と公表した後、腫瘍マーカーの数値が下がり「通常人」と同じになったときのエピソードがある。
余命二年と言われてから、私の下手なマージャンにタケエモンはずいぶん付き合ってくれた。
それで、私が余命二年ではなくなったとタケエモンに言ったら、「バカヤロー、死なねえのか」と笑って、それから誘っても、来てくれなくなった。ガンは暴力なのだとその時思った。(『死ぬ気まんまん』より)
時間に限りがあるかないかで、人の態度は変わってしまうのだ。
身近な人たちが、いつ新型ウイルスに感染するかわからない。何度か肺炎を経験している私も恐怖を抱えている。人との向き合い方はこれからも同じでありたい。
終わりの見えない日々、仕事や先行きに不安を抱える人もいるだろう。佐野さんの言葉は力をくれる。
すっげえ貧乏をした。私が学んだのは全て貧乏からだった。
金持ちは金を自慢するが、貧乏人は貧乏を自慢する。
みんな自慢しなければ生きていけないんだな。
(中略)
「一番大事なものはお金で買えない」
私にとって一番大事なものは何だったのだろう。
「情」というものだったような気がする。(『死ぬ気まんまん』より)
人生の最期に、佐野さんは一番大事なものを「情」と表現した。
人の心は見えないが、たしかに存在する。まるでウイルスのように。
………
引越しを機に本を選んでみたら、新しい時代をつくってきた日本の女性たちの本ばかりになった。彼女たちは、自分の足で立ち、自分の言葉を持つカッコいいフェミニストでもあった。
本棚を眺めて、数冊を手に取るだけで、心が落ち着いた。
無理に、新しい映画を観たり本を読んだりしなくてもいいのかもしれない。
もう一度、大切な本を開くことで、“自分の現在地”を知るじかんが生まれた。
自宅で過ごす時間が増え、部屋の隅に積み上げられた本にようやく手をつけ始めた人もいるだろう。
おうち時間が増えたからこそ、自分とカラダ、そしてココロに向き合うこともできるかもしれない。
1946年4月10日は日本の女性が初めて選挙権を行使した日。それから女性週間と名付けられた。
ランドリーボックスでは、「#お家で読みたいワタシの本」をテーマに、それぞれが選んだ道をエッセイでお届けします。
手ばなせない本、自分を変えた本、置き去りになった本を手にとって——。