illustration:斉藤ナミ

ついこの前まで寒い寒いと言っていたのに、いつの間にか暖かくなって、もう夏はすぐそこ。

冬のニットを片付け、春夏物を整理していると「最近筋トレしてるし、いい感じに着こなせるのでは?」という考えが頭をよぎり、夏服を着てみた。ウエストがしまって、お尻がちょっと上がった私は、去年より断然、洋服が似合っている。

早くこれを着て出かけたいなー、なんて思っていると…んん?あれ?…あれぇー?鏡に映る自分を見て、ある異変に気づいた。

大きく胸元の開いたカットソーを着た上半身をじっと見る。

また一段と胸がなくなっている…?鏡の向こうで呆然と立っているのは少年かな…?

急いで服をぬぎ、ブラジャーを外した。

ぎゃー!!

胸が削げ落ちている!

そこにあったはずの小丘は、ものすごくしょんぼり垂れて、そっぽを向き不貞腐れている。

なんてことだ…何があったんだよお前たち! 

もともとそんなに大きくはなかったけれど、ここまでじゃなかったはず。

授乳を経て、ひと回り小さくなり、ハリも弾力もなくなった。それでも「お互い大変だったよね…おつかれさん」「あとはもうこじんまりと、でも顔だけは上を向いて生きていこうね!」と語り合い、現状維持を目指して慎ましく暮らしてきた。

維持できてないよ!もう卒乳して10年だろ?一体どこまで落ち込むんだよ。これより下がったら、あと数年で腹に到達するんじゃないか?

このままじゃやばい。胸と腹が吸収合併する前になんとかしなきゃ!

ググって見つけた「夏までに3カップアップ」の専門店

「育乳」と検索して片っ端から関連記事を読み漁り、自分なりにバストアップトレーニングや、リンパマッサージなどもしてみた。寝ている間の胸の矯正に良いと言われているナイトブラも買ってみた。

ところが筋トレと違って胸トレは筋肉痛もないし、マッサージもツボ押しも、これで合っているのかどうかイマイチよくわからない…。

尻の奴らは単純で、1週間でプリンと元気になってきたっていうのに。こいつら(胸たち)は、相当しょげてんな…。ごめんな。ずっと放ってきて。

そして私は、ある一つの希望にたどり着いた。

「夏までに3カップアップ!結果を出します★」と、うたっている育乳マッサージ専門店だ。

な、夏までに3カップアップだと…?なんてことだ。

もしかしたら、ここにはネットでは知り得ない情報や、一般人には決してできないゴッドハンド的なマッサージ術があるのかもしれない。

今、BかCだから…ええっ!? EとかFとかになるってこと!?

「そんなまさか…ね。ははは」と疑いながらも、施術風景や顧客のビフォーアフター写真を見ていると、しばらくしてどこからか1通のメールが届いた。

「斉藤さま。本日12時からのご予約承りました。お気をつけてお越しください」

お店の施術予約が完了していた。(人さし指が勝手に…!)

ショゲ乳だって再生する

30分も早くお店に到着してしまった。ワクワクが止まらない。夏までに3カップということは手持ちのブラジャーを総入れ替えしなくてはいけないのでは? 困ったなーもう。

中世ヨーロッパのような外観。重厚な扉を開くと、ボブヘアーで巨乳の綺麗なお姉さんが出てきた。

「お待ちしておりました斉藤さま」

品のある、おっとりとした柔らかい口調だ。

こんなに綺麗で上品なお姉さんに丁重にかしづかれることなんてそうそうない。より一層、胸が高鳴った。

「では、こちらでお着替えをお願いします。施術前にお写真を撮らせてくださいね」

さっそく個室に入り、服をぬぎ、ビフォー写真を撮ることになった。

恥ずかしい…こんな綺麗なお姉さんにみすぼらしいショゲ乳をじっと見られている…。すぐにでもこの惨めな胸を隠してここから走って逃げたいと思った。

だがここで逃げるわけにはいかない。夏までに3カップアップなんだ!必死に言い聞かせて耐えた。

まずはカウンセリングからだ。授乳、加齢、猫背など、このような無惨なショゲ乳が出来上がった経緯を説明する。

すると、穏やかだったお姉さんの目に静かな炎が宿った。

「斉藤さん。私も2人を母乳で育て、斉藤さんのお胸のような干し柿状態を経て、ここまで育てました。私も、無理だと思ってました。でも、大丈夫ですよ!斉藤さんも、絶対ここまで大きくなります。お胸の大きさは遺伝が20%、あとは食事と努力です!クーパー靭帯も、切れたら終わりではありません。必ず再生します!私がさせます!さあ、横になって!」

うおおおおおおおおおおッ!お願いしますッ!!

お姉さんに全てを任せよう!もう抱かれてもいいッ!という気持ちで施術台に横になった。

痛みに耐えるしかない地獄の施術

「あ、うつ伏せで。お胸はもうしまって」

え?うつ伏せ?お胸はしまうの?

小学生が水着に着替えるために使うゴムの入ったバスタオルのようなものを着て胸をしまった。

あれ?ご専門はバストマッサージなのでは…?

背中一面を温かいオイルのようなものでビチャビチャにされ、マッサージが始まった。モミモミ、グリグリ…

うーん、気持ちいい。ガチガチに凝っている首や肩のマッサージが始まった。

しかし、気持ちいいのは最初だけだった。

徐々に下に手が移り、肩甲骨あたりに到達した時、それは起こった。

グリグリー!グッグッグーー!グリグリグリィーーッ! 

「いででででーーーっ!!」痛いっ!何やってんの!?

めちゃくちゃ痛い!こ、この人、素手で私の背中の肉を剥ぎ取ろうとしてる!

グワー!グイー! グイグイグイグイー!! 

どうやら肩甲骨をグワッと持ち上げてグイグイ揺らしているようだ。こっから胸に持っていくってことか!?

「痛いですねー。筋膜が癒着してますねー。頑張って剥がしましょうねー」

お姉さんは朗らかな声で言い、一瞬もペースを乱すことなく背中から肩甲骨やら肉やらをもぎ取り続けた。

グリグリ〜!グリグリ〜!! 

もぎゅっ!もぎゅっ!もぎゅゅぅぅっ!!

「い”い”い”い”い”い”いいいい!!」

「お胸、大きくなりますよー?ふふふー」お姉さんは絶対に笑っていない声で、一糸乱れず背中の骨や肉を引きちぎり続けた。

illustration:斉藤ナミ

痛ければ痛いほど、胸が大きくなりそうな気もする。この店を出る頃にはDカップになっているかもしれないと思いながら施術に耐えた。

施術の間、お姉さんはずっと育乳に良い食べ物や、生活習慣などについて説明してくれていた。しかし、そのほとんどはネットで得た知識と同じものだ。

そして会話の中になにやら不穏なセリフがちょいちょい挟まれていることに気がついた。

「うちで売ってる鉄分のサプリが本当にお胸によくて…」

「うちのオリジナルの補正下着をつけるとお胸に本当によくて…」

「うちのバストアップクリームを塗ると、お胸が大きくなって…」

…あれ…?これって…?

施術の効果やいかに

60分の施術時間のうち50分くらいの時間を費やして背中側の肉をもぎ取られたのち、仰向けのターンがきた。今度は手や腕を揉まれる。

しかし、これは一体どうなってるんだ?顔の上にタオルを置かれたので、何をされてるのか全然わからない。

このお姉さん指が何本あるんだ?脇の下なんか数十本の触手でピロピロされているようだ。そして、そこもめちゃめちゃ痛い!涙が出そうだ。

最後にようやく胸の施術にうつった。それまでの痛さのせいで感覚がバカになっているのか、全く痛くなかった。

というか本当に触ってる? 胸の真ん中あたりのツボを押して、鎖骨の下あたりをふわふわ〜っと触って「おつかれさまでしたー。ゆっくり起き上がってください」と、声をかけられた。

へ?胸、こんだけ? 

私はゆっくり起き上がった。

ちょっと待ってくれ。

あんな痛い思いして、肝心の胸はこんなんで……って、

うおーーーーー!! ふっくらしてる!

ショゲていた胸たちの上部がもっこりしてる!

おまえたち、帰ってきていたのか!!

なんてことだ…私の胸たちは、全部背中に逃げていたのか…!

久々の再会に感激した。惨めで恥ずかしく、痛く辛い思いに耐えた甲斐があったのだ。

お姉さんごめん!途中でちょっと疑っちゃったけど、お姉さん、あんた本物だよ!すごいよ!

ここ、通います!

「すごい…本当に変わってる」思わず素直に感動が漏れてしまった私に「ね!ふっくらしてますよね。さあ、下着をつけてみてください。サイズどうかなー?」と言うお姉さん。

お姉さんお姉さん、みなまで言うな。あんたもわかってるくせに。自信たっぷりって感じやがな!

ニヤニヤしながらブラジャーをつけた。

すかさず「失礼しまーす」と、お姉さんが私のブラジャーにガバッと手を入れて、背中や脇の肉を横からグイグイーっと持ってきて、ぎゅうぎゅうとカップに詰め込んだ。

「うわー、すごーい!盛れてる盛れてるー。お胸がキツそうー!カップから溢れてますー」

そう言いながら勝手にパシャパシャとアフター写真を撮った。

なるほど、こうしてあの症例写真が出来上がるわけか。しかし無理矢理入れ込んでいるとはいえ、確かに施術前よりもふっくらしている。

illustration:斉藤ナミ

鏡に映る自分の胸にうっとりしていると、お姉さんが、ここだ!と言わんばかりに必殺技を繰り出してきた。

「斉藤さん。ブラジャーが合ってないですね。今、Eカップくらいあります。小さいのをつけてると、小さくなっちゃいますよ?」

そして何やら奥からとっておきのアイテムを持ってきた。

テテーン!(効果音)

「これ、当店オリジナルの美バスト矯正ブラのEカップなんですけど、試しにつけてみますか?」

「え!イイイEカップ!?」

私、今Eカップなの!?まさか…!1回の施術で3カップもアップしたの!?そんなバカな!

でも試しに…「つ、つけてみようかな?」

再びお姉さんのハンドがすばやく伸びてきて、私の自前のブラジャーをペッと剥がし、ご自慢のオリジナル矯正ブラ(Eカップ)に背中肉と脇肉が合体した肉をぎゅうぎゅうと胸に押し込んだ。

「うん。やっぱりEですねー。自分で測ってた方って、間違えて小さいのをつけてる方、多いんですよ。今はまだ移動したお肉が定着してないので、外すと解散しちゃいますけど施術を続けて、この下着で支え続けてあげたら、お胸、ずっとこの形になりますよ」

「これ買います!」

間髪入れずに大きな声で、はっきりとそう告げた。チョロすぎる。

「ありがとうございますー。2万4000円になります」

たっかッ!!

果たしてこの勧誘から逃げ切れるのか

高すぎる補正下着はお店に在庫がなく、入荷しだい連絡が来ることになった。

あーどうしようかな…高すぎるし、やっぱやめようかな?でも実際大きくなったし、ここは本物かもしれない…とモヤモヤしているうちに「では、お着替えされたら呼んでください」とお姉さんは去ってしまった。

着替えを済ませて声をかけると、お姉さんが再びやってきた。何やら分厚いファイルやサプリやクリームを小脇に携えて…。

あれー…なんか持ってんなー。

怪しすぎるピンクのグッズたちから目を逸らして、一目散に逃げたくなった。当然、逃げられなかった。

「まだ1回目なので、お胸も数日で元に戻ってしまいます。もったいないですよね。個人差があるけど3〜6カ月くらい通っていただけるとちょっとずつ定着していきます。しかも、斉藤さんの場合、まだまだ大きくなりますよ。楽しみですね!」

そう言ってにこやかにファイルを広げた。施術中に散々聞かされた、食事療法、セルフマッサージの仕方、オリジナルサプリ、バストクリーム、下着などの紹介が次々と繰り広げられた。

あー、このパターンは…。

「へぇ〜。ほうほう。なるほどー。ふーん」しらこい相槌を打ちながら、どうやってこの地獄から逃げるかについてばかり考えていた。

そして最後のページをめくると…

「3カ月6回コース、24万円。6カ月12回コース、30万円。12カ月24回コース、45万円。各種クレジットカードでのお支払いも承ります!」

やっぱりねーー!!

施術中から、うすうすそんな気もしていた。というか思い返すと、ホームページにも「初回のみ1万円」みたいなことが書かれていた気がする。

やはりここは「お試し体験で釣って、バカ高いコースを契約するまでしつこく勧誘するパターンの、ちょっと怪しいお店」なのかもしれない。

「そ、そっかー。一回ごとに払うんじゃダメなんですねー」のらりくらりとしらこい返しをしていても「お胸」「大きくなる」「もったいない」という単語を繰り返し巧みに使って、なんとかコース契約を成約させようとしてくるお姉さん。

あんた…おっとりしてると思いきや、実はめちゃめちゃ早口やん。超たたみかけてくるやん。

あんなに素敵に見えた中世ヨーロッパ風の建物が、ダンジョン内の恐ろしい呪いの館に見えてきた。暖炉のオブジェの奥から「ケッケッケ。情弱な貧乳のカモがまた一人釣れたなー。ここの維持費のためにどんどん金を払えぇー」と聞こえてきたような気がした。

しかし、その幻聴のおかげで「もしかしたら本当にここの施術で、胸と、これからの人生が変わるかもしれない」とチラリとよぎった考えもじきに消え、なんとか冷静になることができた。

こんな胡散臭いサプリやクリームを買わなくても、自分でできるはず!とにかく背中や肩甲骨を柔らかくして、肉を持っていけばいいんだろう?それから、体を温めて、水分と食事に気をつけて、マッサージや筋トレも頑張ろう。

二度とこのお姉さんには会わないし、もう嫌われてもいいや!

意を決し、奥の手「帰って夫に相談してみます」を繰り出し、ようやく勧誘地獄から抜け出した。

ごめんね、お姉さん、今日はありがとう。あんたの施術、よかったよ。ちょっと大きくなって嬉しかったよ。これからは自分なりに頑張ってみるよ。きっと胸を張って生きていくよ!あんたも頑張ってな!

敵に敬意とエールを送りつつ、店を後にした。

「ご検討よろしくお願いしますね。本日はご来店ありがとうございました」「あ、下着の方は、入荷しだいご連絡しますねー!LINEします♡」

下着取りにこなきゃいけないんだったーーー!!

しょうがない…心を無にして、たっけえ下着を取りにこよう。

え? 待って?

私、Eカップのブラジャー買ったよね? 私って、本当にEカップなの? それともあれはただのセールストークだったの? 私、これから何カップを買えばいいの? お姉さん、ちょっとそれだけ教えてもらえない!?

家に着くやいなや、急いで鏡の前に立ち、ブラジャーを外してみた。

おっぱいたちは、一目散に解散していた…。ですよね。

おしまい

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