イラスト=斉藤ナミ

「ぐるんぐるんと体を四方八方にぶん回される」、「ゲップが出るとやり直しになる」、「検査後にバリウムが出なくて大変つらい」などなど、昔からその噂は耳にしていた。

毎年しっかりした健康診断を受けさせてくれていた会社を28歳でやめて以来、まともな健康診断を受けていなかった私は、この夏10年ぶりに人間ドックを受けることを決め、初めてのバリウム検査に挑戦することになった。

会社の先輩から聞いていた記憶が蘇る。ずっと受けてみたかったけれど、ゲップなど日常茶飯事で、まるで挨拶のように気軽にゲロゲロと出てしまっている私に、果たしてちゃんと我慢することができるのだろうか?

やり直しになるって、何回までが限界、とかあるのだろうか? 何回やってもゲップが出てしまったらどうなるんだろうか? バリウムやり直し回数の世界最高記録はどのくらいなんだろうか?

「最近はいろんな味から選べるようにもなって昔よりは断然飲みやすくなったけど、とにかく重くて飲みづらい」というバリウム。重いってどういうことだ?

検査後、バリウムが白いう◯ことなって出てくるらしい。出てこないとお腹が痛くなるという話も。ほうれん草を食べまくった息子たちによる緑色のう◯こなら見たことがあるが、白いう◯こなんて生まれてこのかたお目にかかったことがない! 

未知なるバリウム…検査の日程が近づけば近づくほど募るこの想い……!

あぁ、どんなだろう! バリウム検査! 早く、体験してみたい!

バリウム検査を自宅で再現するには…?

とうとういてもたってもいられなくなって、私はバリウム検査の練習をしてみることにした。

すでに体験したことのある夫や、ネットの海からいろいろと情報を得て、バリウム検査を模擬体験できる環境を用意した。

ゲップが出る粉「発泡剤」の代わりにコーラを。「バリウム」の代わりに飲むヨーグルトを。そして、ぐるぐると回転する「検査台」の代わりに車のリクライニングシートを利用することにした。

回転まではできないが、90度〜180度倒すことができ、自分自身が回転すれば、きっと近い体験が得られるだろう。

冷えたコーラ350ml缶を開け、半分近くまで一気に飲んだ。

ゴキュゴキュゴキュ! プハーーッ! うまいっ! 

暑い夏の日のコーラなんてただのご褒美でしかないように思えるが、これはれっきとしたトレーニングだ。気を引き締めろ!

さぁ、おいでなすった! すぐに込み上げてくるゲップ。ネットで学んだゲップを抑える方法を早速ためしてみる。

その方法は、こうだ。込み上げてきたら喉の入り口を舌の根元でグッとふさぐ。顎をひき、唾を飲み込み続ける。

ぐわーっっと胃から押し寄せるゲップ圧。

ぐぐっ、ぐぐっ! 喉で抑える。顎をひき、唾を飲む。ごくり。

…いける。

私はゲップを制圧した。

そして、コップに注いだ飲むヨーグルト。バリウムに見立てて一気に飲んでみる。

ごくごくごく…

ヨーグルトが大好きな私にとってそれは、シンプルにただ美味しいという感想しかでてこなかった。

そして、いよいよ検査台だ。

愛車のラパンの運転席に乗り込む。90度のシートの背もたれをガクン!と180度に倒した。

ほう…こういう感じか。…いや、よくわからない。また、急に90度に戻してみた。急に、といっても自分で操作してるから、実際はそこまで急じゃない。

何度か90度と180度を繰り返してみた。バタン!ギー…バタン!ギー…ゲップが込み上げてくる様子はない。

次に180度になったシートの上で、横回転してみた。狭い運転席で横に回るのは結構難しい。仰向けからうつ伏せへ、うつ伏せから仰向けへ。ぐるぐるぐる… 

横回転をしてみると、三半規管よわよわおばさんの私は、単純に目眩がして気持ち悪いという状態になり、ゲップが出そうになった。

きた! 抑えるぞ!

ぐぐッ! 再び喉をグッと締め、唾を飲み込んだ。

なんと、簡単に抑えることができた。

なんだ…。ゲップってこんなに簡単に押さえ込むことができるんだ。これまでの人生、ゲップを気楽にしすぎていたかもしれない。

これからは、もっと上品な人間になろう。だってこんなに簡単にゲップを止められるのだから。バリウム検査のおかげで、別の思わぬ成長をすることまでできてしまった。

検診当日まで、炭酸飲料を飲む機会がある度にゲップを抑える練習を繰り返し、車に乗る度にリクライニングシートでぐるぐる周り、イメージトレーニングを重ねていった。

いよいよ本番当日

地道な自主練習を積み重ね、完全にゲップを掌握した私は、検査当日、意気揚々と検診センターへ向かった。

常に便秘ぎみのため不安だった検便も、トレーニングによる飲むヨーグルトのおかげでばっちりだった。またしても恩恵に預かることとなった。一体どこまで私を高めてくれるのだろう、バリウム検査よ。

とても新しく綺麗な検診センターで、胸部レントゲン、血圧、腹囲、視力聴力、身長体重、血液検査、マンモグラフィ、乳がんエコー、子宮頸がん検診…と順調に検診を受けていった。

マンモグラフィや乳がんエコーなども初めての体験だったが、最後にバリウム検査を控えている私にとって、それらは前座扱いだった。

夢にまでみたバリウム検査がもうすぐそこまで迫っている…。ドキドキ。

名前を呼ばれ、待合室で座って待っていると、「初めての方へ」というバリウム検査を受けるにあたっての注意書きが書かれたファイルを渡された。

ひと通り目を通したが、すっかり予習済みの内容が記されていた。「熟知していますよ…」静かにパタンとファイルを閉じ、目を閉じ、厳かに順番を待った。

…この日のためにどれだけトレーニングを積み重ねてきたと思ってんだ。

「斉藤ナミさーん。検査室へお入りください」

…いよいよ勝負だ。

中へ入ると、星野源さんに似たお兄さんが待ち構えていた。

あんたがここの検査技師さんかい、お手柔らかに頼むぜ…。

「今までにバリウム検査をされたことはありますか?」と聞かれ、「いいえ…初めてです」と厳かに答えた。

それに応えてくれるかのように、星野源は丁寧に説明をしてくれた。

「まずは胃を膨らませるための発泡剤を口に含んでから、こちらの水で飲んでいただきます。水に触れるとすぐに発泡しますので、舌の先の方ではなく喉の奥の方に発泡剤を置いて、一気に流した方が飲みやすいかと思います。ゲップが出そうになりますが我慢してくださいね。たくさん出てしまうと、やり直しになりますよ」

ほんだしみたいな粉の入った小さいカップと、一気に流させる気ある?って聞きたくなるくらい、ほんのちょっとの水が入った、おちょこみたいなカップを渡された。

おいでなすった…これがあの発泡剤!

よーし、やってやんよ! かかってこい! 完全に押さえ込んでやっかんな!

言われた通りに、喉の奥の方へ置く感じで発泡剤を口に含んだ。ぼふぉ、と吹き出しそうになるがグッと堪える。ノールックで水をとり、一気に流し込んだ。

ごくっ… (水すくな!)

…!!

発泡剤が水に触れるやいなや、喉の下の方でしゅわわわわっっっと発泡しながら上がってくるのを感じた!

しゅわわわわわ! 

ぐわわわわわわーー! 

わー、パンパンに膨らんでくるっ!!

すごい! コーラなんて比じゃないよ、こりゃあー!

「げるぁぁっ!!」

……ん? 

え?

お兄さんも「え?」

え…出た…よね?

普通にゲップしちゃった!

え、なんで? なんで普通にゲップしてんの? めちゃめちゃナチュラルにゲップしてんじゃん、私!

「なんですか? ゲップですけど?」みたいな顔して普通に出てきた! ゲップ!

ねぇなにやってるの!? 暑い中、車の中で繰り返し練習した時間はなんだったの!?

発泡剤の膨らみようの凄さに全てが吹き飛んで、普通にゲップをしてしまった。ばかばか! 私のばか!

これは…やり直しか?

恐る恐る星野源の顔を見ると、明らかに苦笑いをしていた。す、すいません…。そんな顔にもなりますよね。

しかし「もう我慢してくださいねー」といいながら、すぐさま、どでかいボトルを渡してきた。

「…では、このバリウムで胃の形状を撮影していきます。焦らなくていいので全部飲み干してくださいね」

え、やり直さなくてもいいの? 

よかったー! どうやらセーフみたいだ。もう出さないようにしなきゃ!

気を取り直してバリウムと対峙する。とうとう夢にまでみた、本物のバリウムを飲むぞ!

ゴクリゴクリ。

本当だ! ヨーグルトっぽいと言えばヨーグルトっぽい気もするけれど、美味しくはない…! とにかくモッタリしていて飲みにくい。ペンキみたいだ。

重い、とみんなが言ってる意味がやっとわかった気がする! 感動だ!

ん? …ちょっと待て、味うんぬんより、量がたっぷりすぎるんだけど、バリウム!

飲んでも飲んでもなくならない。飲むのにもたついているうちに、星野源はすでに操作室みたいなブースにスタンバイしている。

一面がガラスになっていて、私が飲み終わるのをめっちゃ見ている。わかったわかった! 今飲むから!

なんとかかんとか大量のバリウムを飲み干すと、スピーカーから声が聞こえた。どうやらブースの中からマイクで指示を出してくるスタイルのようだ。

「では、空き容器はそこにおいて検査台に乗ってください。横の手すりに捕まってください。台、動きまーす!」

今まで乗っていた台が動き出し、立った状態から水平にまで90度回転する。

始まった! ここからが本番だ!

台が水平のベッド状態になったところで、「では、指示する通りに動いてください。ゆっくりでいいですよー。まずは右回りに3回転してくださーい」

「右? 右ってどっち?」「あ、こっち!」右に3回転する。ゆっくりと言われても、なるべく速やかに美しく回りたい! 私の持病の「他人によく思われたい病」により謎の使命感が湧いてくる。

「次はうつぶせになってくださーい」「はい、OKでーす! 次は左に45度くらい向いて、止まってくださーい」「はい、では反対お願いしまーす!」

だんだんどっちが右でどっちが左かわからなくなってくる。ついでにうつ伏せってどっちだっけ? ともなってくる。

「じゃあ台動きまーす。左右の取手をつかんで踏ん張ってください」取手を力の限り握りしめて踏ん張ると、台は斜めになったり、逆さになったりした。なんだこれは! リクライニングシートとは全然違うじゃないか! 逆さになるなんて聞いていない! 必死に取手につかまった。

「じゃあ今度は少しお尻をあげてくださいー」「もう少し傾けてくださいー」さまざまな角度、さまざまな方向で踏ん張った。

しかしマイクごしに指示する星野源の声は、どことなく軽やかで楽しそうだ。

それがスピーカーから大音量で聞こえたり、台の動くウィーンという音がしたり、こちら側は頑張って体を動かして要求をクリアしていくというアクション要素も加わることで、なんだかテーマパークのアトラクションのように感じて、私もだんだん楽しくなってきた。

「ほんのちょっとだけ手前に戻って止まってください」「ほんのちょっとだけ!? このくらい? どう? いい感じですか?」「いいですよー」

ですよね? いいですよね? 私、上手ですよね!?

だんだんと自分の検査され具合を評価されたくなってきた。彼の軽快な「はいOKでーす」の声が「いいね! 斉藤さん、すごくいいよ!」に聞こえてきて、私にはもしかしたらバリウム検査の才能がすごくあるんじゃないかとすら思えてきた。

そして、最初の小ゲップ以降、新たにゲップが出ることもなく、とうとう全てのミッションをクリアした。

「はい、終了でーす。お疲れ様でした。ゆっくり台から降りてください」

やった! 勝った! 私は無事、バリウム検査を乗り越えたぞー!

長年憧れてきたバリウム検査が終わった。やり切ったという充実感と、安堵が私の心に満ち溢れた。

初めてにしては、きっと素晴らしい乗り手だったに違いない。

あぁ。どうしても褒めてほしい! この空間で私を褒めることができるのはたった一人!

興奮さめやらぬ中、部屋から出ようとするところで勇気を出して星野源に聞いてみた。

「あの! 私、上手でしたか……!?」

「え…あ、はぁ、まぁ…」

そ、そんなかんじー…?

なんだ、全然褒めてくれないじゃないか。こんな結果になるなら聞くんじゃなかった。盛り上がった気持ちは一気に冷めた。

「なんだ?こいつ…」という変な雰囲気の中、設置されている水飲み場でバリウムを排出するための下剤を渡され「今ここで飲んでください」と言われ、星野源が見ているその場で2錠飲んだ。

そうだ。検査後のことを忘れていた。家に帰って白いう◯こが出るところまでが遠足だ。

しゅんとした気持ちを少しだけ盛り返した。

しかし、盛り返したこのバリウム熱も、まもなくして急激に盛り下がるのだった。

楽しみにしていたアレは…?

結果からお伝えしよう。

そのあと私は、楽しみにしていた白いう◯こと対面することにはならなかった。なぜなら、慣れない下剤が効きすぎてすぐに下してしまったからだ(汚くてすみません)。

家に帰る頃には、もうお腹がピーピーと悲鳴をあげており、まるで「紙粘土のよう」だの、「石膏のよう」だのと言われていた幻のホワイトう◯こは、その形状を保つことなく、儚くも滝のように私の体から排出されて行ったのだった…。

なんだよもう〜! 写真撮りたかったのにー! 

こうして、私のバリウム初体験はなんだか煮え切らない形で幕をおろした…。 

そして後日

すっかりバリウム体験が思い出になった秋の日の午後、肝心の検査結果が届いた。そしてなんと「ピロリ菌感染の疑いあり」とE判定が下されていたのだった。

バリウム初体験なんかに浮かれていた自分は、なんてバカだったんだろうか。本来は胃の健康状態をチェックする、重要な検査であるというのに。

これからは、もっとまじめに健康診断を受けよう。

というわけで、今度は胃カメラでの検査を受けることになりそうだ。

胃カメラか…。人生初だな。今度はどうやって練習をしようかな…。

おしまい。 

(みんなも、定期的に健康診断を受けようね!)

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