イラスト=斉藤ナミ

私の母は、いつも私のいないときに、我が家にやってくる。

「ナミ、明日って家にいる?」「午前中は事務所で仕事してるよ」「お土産持っていくわ」わざわざ家にいない午前中にやってきて、玄関に荷物を置いていく。

炎天下に数時間おかれて、せっかくの野菜がしなっしなになってしまっていることも何度もあった。置き配では済まされない用事の際には、母と再婚した夫が一緒か、我が家に私以外の人物がいるときを狙って来る。

しかしそれももう慣れたし、ずっとそのシステムなので、逆に2人きりでお茶…となると、どんな顔で、何を話していいのかドキマギしてしまう。

「ありがとう。おいしかった。子どもたちも喜んでる」「よかった。どういたしまして」子どもたちがおいしそうに食べている写真を添付してLINEでお礼をする。子どもを挟むと会話がしやすい。

私と、私の母の関係は、少し変わっている。

「普通」とは少し違った私たち

猫とビールと中日ドラゴンズと中森明菜が大好きな母。

中森明菜のことを「明菜はね…」とまるで友人のように名前で呼び、彼女の登場がいかに衝撃的だったか、その才能がいかに素晴らしいものだったか、最後にはその存在が世間の圧力によって潰されてしまったかという一連の話を、今までに何万回も聞かされた。

「私にはあの子の気持ちがわかる」と、特別な絆を一方的に感じているようだ。今も、彼女は元気でやっているのかを、友人の立ち位置でいつも心配している。

イラスト=斉藤ナミ

中日ドラゴンズについては、選手全員を子どものように思っているようで「ヒロト、昨日の疲れ残ってないかな〜。大丈夫かな〜」などと、こちらも当たり前のように名前で呼び、その日の全選手の体調を把握して、心配してソワソワしている。

どうやら気に入った人に対しては、途端に身内の目線になる傾向にあり、名前を呼び捨てにして距離感を詰めていく習性もあるらしい。そういえば昔、私がお付き合いしている男性を紹介する時も、気に入った人は初対面でもすぐに名前でよび、気に入らない人は何カ月経ってもかたくなに「◯◯さん」と呼んでいた気がする。

母とは、仲が悪いわけでは決してない。2人きりで会わないだけで、くだらないLINEなどはたまにするし、美味しいものを見つけたら多めに買って贈ったりもするし、お盆と正月には家族で泊まりに行ったりもする。

私が長男を産んだときには、里帰りも数週間した。初めての育児を手伝ってくれたり、身の回りの世話をしてくれたりもした。母にとっては初孫であり、一緒に過ごせることを喜んでくれていたと思う。

しかし、普通の母と娘のように、2人でショッピングへ出かけたり、ランチをしたり、お料理をしたり、温泉に入ったりはしたことがないのだ。母の裸など、見たことがない。一体、どんな形状なんだろうか?大体のフォルムから察して、もういろいろとデロンデロンなんじゃないかと想像はしている。

街で、SNSで、友だちのような母と娘を見るたびに、少し胸が痛む。

母もそうなんだろうか?

借金まみれの家。いろんなものに逃げた母。私は母に手紙を書いた

母は、若くして私を産んだ。新卒で銀行に就職した直後、職場でイケメンに恋をしてしまい、すぐに結婚してしまった。箱入り娘だった母にとっては、それはあまりにも早すぎた。世間のことを何も知らないまま結婚して、母になってしまった。

私の父は、顔だけ良くて中身がとんでもないダメ男だったのだ。いつからダメなのかは知らないが、私の物心がついた頃には、もう立派にダメ男だった。

父は、同僚だった母まで巻き込んで顧客や会社を騙し、私がまだ小さい頃に銀行をクビになった。それからはあちこちで借金を作りギャンブルばかりする毎日。少し働くようになったかと思えばまた借金をして、引っ越しを何度も繰り返していた。

私と弟は、ねこまんましか食べられない日々を過ごしたり、親の喧嘩する声を聞きながら眠れない夜を過ごしたりすることも多かった。そして、そんな男と結婚してしまい、子どもまで産んでしまった母は、現実から目をそらし、宗教や男や酒に走ってしまったというわけだ。

家にいない父、ドラマで見るような借金まみれの家、いろんなものに逃げる母。何もできない私と弟は、母のすがった宗教の教えのもと、ヘンテコな少年少女時代を送ることになった。

誕生日やクリスマス、祝日などを祝えない。校歌は歌えない。食事の前は、どこであろうと神に祈りを捧げないといけない。学校帰りに集会で学び、土日は近所を訪問して普及活動をしないといけない。転校ばかりしていたため友だちも少なかったけれど、同級生の家に当たってしまうのは本当に恥ずかしかった。

中でもクリスマスが祝えないのは寂しかった。サンタさんがプレゼントを持ってきてくれる、なんて羨ましいんだろう。部屋にツリーを飾って、チキンを食べて、翌朝のプレゼントを待って寝るって、どんなに幸せな気持ちだろう。なんで私は、よその子と違って、クリスマスも祝えないし、友だちも作れないんだろう。

本当にハルマゲドンなんて来るのだろうか?悪いことをしたらムチで叩かれる毎日に耐え、聖書の教えを守って生きていたら、本当に天国にいけるのだろうか?

ゲームもオモチャもなく、いつも本ばかり読んでいた私は、その後ほどなくして宗教の実態や、母の弱さに気づいてしまった。そして、荒れた。

私が15歳の頃、とうとう父はいなくなり、家族がバラバラになることになった。

私は、いろんなところにピアスを開け、髪を染め、盗んだバイクで走りだし、漫画みたいにわかりやすい形で荒れていった。不良だけれど趣味は読書で文学少女という、まさに漫画のキャラみたいな状態だった。

そしてある日、何かをきっかけに自分の境遇への不満が大爆発し、持てる最大の力を注いで母に向けて手紙を書いた。

「最悪の人生。産んでなんて頼んでない。勝手に産むなら、もっと幸せにしてよ。こんな親の元に生まれるのなら、産まれたくなかった」

どういう文字をつづったら一番効果的に母を傷つけることができるだろう。何度も推敲を重ね、そればかり考えてしたためた。この世で一番醜い手紙だ。

悪いのは父なのに、目を逸らすことしかできなかった母を責めることで、私も逃げたのだ。

書いただけで、渡すつもりはなかった。破片が20枚以上になるほどビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。

それを、後日、母の部屋で見つけた。

ゴミ箱に捨てられていた破片を集めて、セロハンテープで修復していたのだ。鏡台の引き出しの中にあるそれを見た瞬間、胃の下あたりがヒュッとした。

あれだけ傷つけたいと思っていたのに、現実にあの文章を読んだ母が、どれだけ傷ついたかと想像すると、途端に後悔の大波が押し寄せた。

イラスト=斉藤ナミ

とんでもないことをしてしまった。

あの人は死んでしまうかも…! と真っ青になった。けれど、そのときの私は、その手紙をどうすることもできないまま元の場所に戻すことしかできなかった。

部屋に勝手に入ったことも、鏡台の引き出しの中に、捨てたはずの手紙を見つけたことも、いまだに話せないでいる。

私は高校に行くのをやめ、美容師として都会でバリバリ働くことに決めた。決して、母のようにはならない。1人でも強く生きられる女になろうと、心に誓って働き出した。地元の美容院で働きながら夜間学校で免許を取るまでの3年間は、なるべく母に顔を合わせないように過ごした。

弱い母が嫌いだった。父なんか捨てて、好きに生きて欲しかった。

それでも、母が父じゃない男の人と会っている気配がするとイライラしたし、母が家に帰ってきたドアの音が聞こえると、嬉しく思う自分にもイライラした。

結局、いくら強がっても私は子どもで、壊れていく家族に対して何もできなかったことにイライラしていたのだと思う。

あれから20年。母はその後、心療内科などでケアしながらも、宗教や依存をやめて暮らせるようになった。とてもいい人と出会って再婚し、今では中日ドラゴンズの母となり、落ち着いている。私も、散々荒れはしたものの都会で失敗したのちに地元に帰ってきて結婚し、子どもを産んで母となった。

自分も母になり、朝早く起きて半分寝ながらお弁当を作る大変さ、体調が悪くても家事をしなくてはいけない大変さ、果てしない闇の向こうまで永遠に毎日の献立を考えなくてはならない大変さもわかるようになった。

母は、世間知らずで弱かったかもしれないけれど、あの状態でも私たち2人を育てることを諦めなかったことが、どれだけすごいことだったのかもわかった。そして、あんな手紙を子どもにもらったら、立ち直れないくらいに傷つくだろうということも。

いつの日か、あの頃の話をするときが来るのかもしれない。「実は捨ててあった手紙を読んだ」と言い出されたらどうやって反応しようか、何パターンも考えてある。

母から言い出されなくても「本当はあんなこと思っていない。あのとき、一番辛かったのはあなたなのに、悪いのは父なのに。支えるどころか傷つけてしまってごめんなさい」と、謝った方がいいかもしれない、と思うこともある。

「今では、あなたにこそ産んでもらえてよかったと思っている。あなたには感謝してもしきれない。荒れていたときも、がむしゃらに働いて疎遠だったときも、ずっと心の奥では感謝していたし、謝っていたし、あなたのことを助けたいと思っていた。これまでのぶんも、これから先は、死ぬまでずっと幸せでいてほしいと思っている」

今、伝えるならこんな言葉かなと、持てる最大の力を注いで日々推敲を重ねている。

もしかしたらもう辛い記憶を思い出したくないかもしれないし、今は幸せなのだから、わざわざ蒸し返さない方がいいのかもしれない。しかし、このまま一生言わないとしたら後悔するかもしれない…。どうしようかな。耐えず、この気持ちを喉に引っかけたまま過ごしている。

母も、あのときのまま、ずっとなんだか気恥ずかしい状態のままでいるのかもしれない。

人には言えない過去を胸にしまい、乗り越え、ようやくお互いの幸せを想い合う余裕ができてきた。こんな風にいつまでも気まずく照れくさいのは、女同士だからかもしれないし、意地っ張りで子どもっぽいところがそっくりなせいかもしれないな。

でも、私は知っている。母は酔うと周りの人に毎回こう吹聴していることを。

「ナミはね、頭がいいんだから。お金さえあれば◯◯大学だって行けたんだから!今だってインターネットで記事書いてるんだから。そのうちきっと本だって出るよ!あの子の本が出たら100冊買ってみんなに配るからね」

それから、私の夫にも結婚した直後には、酔うたびに「ナミのこと幸せにしないと殺すからね」と言っていたことも知っている。

そして、私と弟にしてやれなかったぶん、今、私の子どもたちにクリスマスプレゼントを毎年3つも4つも買って、あの頃できなかったサンタの役を一生懸命してくれていることも。

私たちは、これでいいのかもしれない。友だちのように仲良く過ごす母と娘でなくても、お互いの幸せを静かに嬉しく想っているというのが、私たちなりの理想の母娘の形かもしれないと今は思っている。

さぁ、今年の母の日は、何を贈ろう。
去年は無骨なマッサージ機だったから、今年はちょっとかわいらしいものにしようかな。

猫のモチーフの小物なんかがいいかな。またLINEで聞いてみよう。

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