ありのままでいい。ナンバー1よりオンリー1。

テレビやネットで、そんな言葉を目にするたびに胸がチクッとする。

私はものすごく自分と他人を比較してしまう。何かにつけてはすぐにあれやこれやと比べて、自分はこの人よりも…?と、不安になってしまう。もはやライフワークと言っても過言ではないくらい、まるで息をするように、いつでもどこでも誰とでもヒョイヒョイ比較している。

自分には自分なりの良さがあるし、どんな世界にも上には上がいるのだし、いちいち他人と比較して落ち込むなんてバカげている。人間はみんな、その人がその人として存在しているだけで素晴らしい。 

…言ってることはわかる。そうありたいと思うし、そう考えている瞬間もあるし、そうであればものすごく幸せなはずだ。

でも、無意識のうちについつい他人と比べて落ち込んでは「ああ。また比較して無駄に凹んで時間とメンタルをすり減らして…何度繰り返すんだ?バカなの?」と後悔している。

勝手に比べて勝手に負けて、自分で自分を慰める

文章を書くことが好きで、最近は書く仕事もさせてもらっている。そうなると文章を書く人とも比べてしまう。「この人の文章はなんて素晴らしいんだ」と感動するかたわら、「それに比べて私は…」と落ち込んだり「悔しい…」と妬んでしまったり。ジャンルが違うライターや作家でも、経験年数や実績が何十年と違ったって比べてしまう。そもそもクリエイティブは、横に並べて比べるものではないのに。

気持ちがポジティブな時は「あの人みたいに上手くなりたい。ああなりたいから頑張ろう!」と思える。常に前向きに、相手を尊敬して、目標にする気持ちでいられたらいいのに…。

ふと、鏡をみて自分のほうれい線の深さにギョッとすると、次の瞬間から目に入る女性の肌を片っ端からチェックして自分と比べている。「いやいや、この子はまだまだ若いしね。私だって昔は…」「え、この人、同年代?なんでこんな綺麗なの? きっと、もともと肌が強いDNAなんだな」「いやいや、芸能人なんてみんな顔に桁違いの大金使ってるんだから!」

こんな調子で、勝手に比べて、勝手に負けて、自分で自分を慰めている。

SNSでキラキラしている友達が羨ましくて仕方がない

自分のだらしない生活も、SNSで覗ける他人のそれと比べている。「この人、子どもいてフルタイムで働いてるのに、朝からジョギングして、手の込んだ夕飯を作って、休日はスイーツまで手作りしてるの?」

私はだいたい、フレームの外にゴミを追いやって写真に映るところだけ綺麗にしてSNSに投稿している。スイーツ作りが趣味の素敵ママになるぞ!と、しこたま製菓道具を買い込んだ挙句、マフィンを1回作っただけで「買った方が安いし早いし美味いに決まっとる」と1回きりで終了する。マフィン型ばかり4種類も買ってどうするんだ。ベーキングパウダーの賞味期限は2年前に切れてるのにまだ冷蔵庫の奥で眠っている。

友達がたくさんいる人に対して、羨望の眼差しを向けてしまう。「4人でランチってSATCみたい!」「ずっと笑いっぱなしで2時間があっという間だった!友達って最高!」

それはそれは羨ましくてしょうがない。命がけでなんとか友達をかき集め、どうにかランチにこぎ着けたとしても、笑いっぱなしであっという間の2時間なんて生まれてこのかた経験したことがない。全力で楽しい会話を演出するのに、ものすごい疲労感を感じて、30分が永遠に感じられることがほとんどだ。そして疲れすぎて翌日1日は寝込んでしまう。

なんで私はあの人たちみたいに楽しそうで充実した生活が送れないんだろうか。彼女たちの人生と比べたら、私の人生はなんて孤独でつまらないんだろうか。でも、かわいそうだと周りに思われたくないから、私ももっと友達を作らなきゃ。もっと楽しそうで充実した生活を送らなきゃ! 

それは誰のための努力で、なんの意味があるんだ?

イラスト=斉藤ナミ

人と比べて安心している自分にうんざり

逆に、他人と比べることで安心したり、幸せを感じたりもする。

全然友達がいない人だってこの世にはたくさんいるだろうから、その人よりはマシ。あの人よりは仕事ができる。収入がある。あの子はいつも素敵な彼氏に素敵な友達がたくさんで、毎晩遊びに出かけていて羨ましいけれど、私には家族がいる。それに私は今のところ健康だ。病気がちな人に比べたらそれだけでも十分に贅沢だ。

自分より優れていると思ってた人が、失敗しているのをみると、安心したり、嬉しく感じたりもすることもある。

「ダメ人間 惨めな主人公 作品」と検索して映画を観ることもある。ブリジット・ジョーンズに比べたら……いや、最後には弁護士と結婚しとるし、みんなに愛されてるからやっぱり私の方が負けだわ。

だったら『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のセルマはどう?貧しい、失明、不幸な事故、冤罪、そしてあの結末。彼女に比べたら、私はめちゃくちゃ幸せじゃない!?と、架空の人物とまで比較している。

今、これを書きながら自分にうんざりしている。こんな人間、最低だ…。

見えてる所だけ見て、それが全てだと思い込んで、勝手にこの人は私より幸せ。幸せじゃない。とジャッジしている。

そして、そんな風にしか幸せを感じられないことが、情けなくて、恥ずかしくて、ひた隠しにして生きてきた。

お金持ちで美人の友人。パーティなんて誘われない私

ミキ(仮名)という小学5年生からの友人がいる。彼女は実家がお金持ちで、昔からずっと羨ましい友人のうちの一人だ。貧乏で引っ越しを繰り返し、友達もいなく、読書とお絵描きしかしてなかった私にも優しくしてくれて、たまに彼女の家に遊びに行ったりもしていた。

初めて家にお邪魔した時は衝撃的だった。玄関にでっかいワシ(剥製らしい)がいたし、一つ一つの部屋がドッジボールができそうなくらいにデカかった。

イラスト=斉藤ナミ

廊下で迷子になりそうだったし、1階のトイレは私の部屋と同じくらいの広さだった。トイレとは思えないくらい上品なイイ匂いがしたし、なんとトイレなのに私の部屋にもまだないテレビがついていた。もはやミキんちのトイレに住みたかった。

こんな家に住んでいたら、そりゃ優しくて上品なお嬢様になるよね。私のことは、可哀想な野良犬みたいに見えてるんだろうな、と思っていた。

中卒で働くことになった私は、当然ミキとは中学卒業とともに離れ離れになったわけだが、なぜだか彼女は定期的に私に連絡をくれ、その後もたまに会った。

ミキはいい大学に入り家庭教師のバイトをしながら優雅に暮らしていた。キレイな洋服を着て高価なバッグを持ってホテルのパーティに繰り出し、煌びやかな彼氏を見つけて、よく海外旅行へ行ったりしているようだった。ホテルのパーティって一体なにをしてるの?社交ダンスとか?

ショップ店員さんのわけのわからない売り文句「ちょっとしたパーティにも着られますよ」は、もしかしたら彼女になら刺さるのかもしれない。

かたや私はその頃、万年ボロボロかつ貧乏の美容師見習いだった。休みの日には部屋に引きこもって読書か映画鑑賞かゲームをしていた。これまで付き合った人たちは揃いも揃って全員貧乏だったし、まとまった連休もないので海外旅行なんてとてもじゃないけど行ったことないし、パーティなんてもちろん誘われない。

彼女は新しいバッグや彼氏を手に入れるたびに私の働く美容院にきて、シャンプーとセットの施術の間中、自慢話をした。カットやカラー、パーマは、行きつけの美容院で…と決めていたらしく、私は6年間の美容師人生のうちで彼女の髪にハサミを入れたことは一度もなかった。

育児中なのに洗練されたインテリア。手作りパンの衝撃

結婚してもやはりセレブで、優雅に子どもたちを育てていた。私の長男と彼女の長女は同い年で、お互い同じタイミングで出産をしたことも相まって、その頃は特に密に連絡をとっていた。生後半年くらいで初めて会いに行った時は打ちのめされた。

ミキは顔も髪も美しかったし、彼女の家は生後半年の赤ちゃんがいても、インテリアが洗練されていて完璧に清潔だった。その上、私がパン好きだということを私のブログで知ったらしく、なんと手作りのパンを焼き、コロンビアだかどこだかのいい豆のコーヒーを淹れて待ってくれていたのだ。

乳児がいて、死ぬほど面倒臭い手作りのパンを焼くということが、どれほど大変なことか!

…え?大変じゃないの?普通なのっ?私が怠けすぎなの!? 

髪も顔もボロボロで、家なんてもちろんぐちゃぐちゃ。加えて、子どものダサいおもちゃや、ベビー用品で溢れかえっていた。生活感たっぷりすぎるというか、むしろアンパンマンと、割れないプラ食器と、生活感しかないような部屋で、5枚100円の食パンを食べ、インスタントのコーヒーを飲みながら、来る日も来る日もブログを読んだり書いたりしかしていなかった自分が、完全に負け犬に思えた。

彼女の焼いてくれたパンは美味しかったし、嬉しかったけれど、その日ほど彼女と自分を比較して落ち込んだ日はなかった。

比べることはない。彼女は彼女。私は私。私はこの暮らしが幸せだし、フジパン本仕込みだって、ブレンディだってめちゃくちゃ美味しいんだから、これでいいんだ! 必死に自分に言い聞かせた。

それからもたまには会うこともあったけれど、次第に年賀状や誕生日のメールのやりとりだけになっていった。その写真でも、常に彼女はセレブで私は…と、見るたび思い知らされていた。きっともう会うことはないだろうな…と思っていた。

数年ぶりに、突然かかってきた電話

ところがつい先日、なんと彼女から電話がかかってきたのだ。

突然の電話がなによりも嫌いな私。スマホに表示される彼女の名前を見て、胃がひっくり返った感じがした。数年ぶりにいきなり電話って何の用?遊びの誘い?やだ、どうしよう!なんでメールじゃないの?

スルーしたってどのみち気になりすぎて、解決するまでずっとご飯の味がしなくなる!腹を決めて、電話に出た。

「みき?ひさしぶりだね…どうしたの?」

おそるおそる…でも、 緊張はバレないように、慎重に声を出した。

「ナミっ!?ブログみたよー!また復活したんだね!ずっと待ってたよ!すごいね!?大活躍だね!」

…え?ブログ?

そうだった…。私は、先日ふと思い立って、5年ほど前に休止したブログを再開させたのだった。

彼女は、それを見つけてくれて…?

「10代の頃からずっとナミのブログのファンだから!5年ぶりに新着記事更新したってメールが届いたから、びっくりしちゃって!ひさびさに読んだら、やっぱりめちゃくちゃ面白かったよ〜!」

あのミキが。子どもの頃から、羨ましくて妬ましくて仕方なかった彼女が、ずっと私のブログを読んでくれてたのだ。面白かったって、わざわざ伝えたくて電話をしてきてくれたのだった。

…なんて酷い人間なんだろう私は。

勝手に比べて、勝手に劣等感を感じて、それを隠していい顔してずっと付き合ってきてしまった。

彼女は「ありのままの私」を認めてくれていた

そういえばミキは、子どもの頃からずっと「ナミはすごいね。こんなに絵がうまくて、こんなに文章を書けて。私、漫画が大好きだけど、ナミみたいに描けないから。本当に尊敬するよ」と言ってくれていた。

小5の頃に流行っていた「白鳥麗子でございます!」という漫画が読みたかった。でも買うお金がなかった私は、本屋さんで全冊の表紙を見にいっては、ちょっとずつ自由帳にトレースして、勝手に作ったセリフを喋らせ、オリジナル白鳥麗子コミックを制作していた。

今考えると、教室で1人で黙々とそんなもん作っているなんて、オタクど真ん中の相当ヤバイやつだ。それを見たミキが「すごい上手いね!私もそれ大好きで、全部持ってるよ!」と話しかけてくれた。それが友達になったきっかけだった。

彼女は、私が私のままであることを、最初から認めてくれていたのだ…。

イラスト=斉藤ナミ

自分で自分のいいところを認められないで、ダメなところばかり他人と比較して…私は本当にバカだ。彼女の裕福なところ、素敵なところだけを見て、ずっと羨ましく思っていた。同じように彼女もその部分を比較して、私を見下しているに違いないと思っていた。

そうじゃなかったのかもしれない…。

自分に自信がないから、ありのままでいられない。他人に認めてもらったり、他人と比べることでしか自分を評価できないし、幸せを感じられない。

たくさんの人に好かれたい、評価されたいと思って自分を偽って良く見せる振る舞い。そんなものは偽物だと分かってるのにやめられない。

私は誰?それで得られる賞賛が、本当に嬉しいの? 

自分で、自分を「よし」と、認められるようになりたい。自分の内側だけで、幸せを感じたい。

3年前の自分よりも、去年の自分よりも、文章も上手く書けるようになってるじゃないか。なんとかここまで生きてきたじゃないか。自分なりに、頑張っているはずじゃないか。自分と誰かを比べるなんて無駄な行為は、もうやめよう。

美味しい食べ物を食べられるの、幸せじゃないか。かわいい子どもたち、優しい夫と、楽しく暮らせて幸せじゃないか。ゆっくりブレンディを飲みながら、一人で読書してる時間は至福じゃないか。自分の外に、幸せを求めるのはもうやめよう。

今、自分が「わたし」を精一杯に生きていられるだけで、奇跡みたいに幸せなんだ。

もうそろそろ、自分で自分を認めてあげよう!

New Article
新着記事

Item Review
アイテムレビュー

新着アイテム

おすすめ特集