海外の問題だと思われていた「生理の貧困」。それが日本にもあることが、ようやく認識され始めた。連日テレビで取り上げられ、SNSでは生理用品が手に入れられない人たちがいることに対する驚きの声と、当事者の声が投稿されている。生理用品を寄付をしたいという声も集まっているなか、防災備蓄用の生理用品の入れ替えにともない、無償配布を決定した自治体も現れた。

一方で、「スマホが買えるのにナプキンが買えないの?」「貧困問題なのに生理だけを特別に取り上げる必要があるのか」といった、疑問の声も散見された。

この、短期間で起きた大きなうねり。新しい概念が現れると、咀嚼に時間がかかるのは当然だし、変化が起きるときに反発はつきものだ。

生理の貧困に関する報道が加熱し、あまりにも急激に言葉だけが広がったため、正しく認識されず、誤った捉え方や、一面的な見方から生理の貧困叩きともとれる反応が大きくなっていることに、私は危機感を抱いている。

そこで、今回は、生理の貧困をもう一度整理し、この問題の複雑さを書いていく。

生理の貧困は経済的困窮のみから起きるわけではない

そもそも「生理の貧困(Period Poverty)」とは、生理用品を買うお金がない、または利用できない環境下にあること。発展途上国のみならず世界的に問題視されている社会問題で、諸外国では、生理用品の無償化や、行政のサポートが開始されるなど近年大きな動きが見られる。

2021年3月4日、「#みんなの生理」という団体が、日本における生理の貧困についての調査結果を公表した。

#みんなの生理は、2019年の消費税改正にて、生理用品を軽減税率の対象に入れることを求める署名活動を続けてきた団体で、日本における「生理の貧困」の可視化を試みた、パイオニア的な存在だ。

その調査で、生理用品の入手に苦労したことがある若者の割合が20.1%にのぼることが明らかになったのである。

この調査結果が報道されると「生理用品を買えないほどの貧困に陥る人がそんなにいるのか」と驚きの声が広がった。

その反応はもっともだが、取材する身として強調しておきたいことは、生理の貧困は経済的困窮のみから起きることではないということ。

貧困家庭が削る「固定費」には生理用品購入代も含まれる

生理の貧困の裏側には、生理用品を手に入れられない複雑な事情があることが、当事者を取材してわかったことだ。連日Twitterに寄せられたメッセージと当事者の声を集めてきた中で見えてきた要因は、以下のようなものがある。

(1)経済的困窮

(2)ネグレクトや虐待、生理ヘイト

(3)父子家庭で生理用品が用意されず、必要だとも言い出せない環境

(4)性教育の不足、知識不足

生理の貧困に陥る人と聞くと、1パック300〜400円ほどのナプキンも買えない状態、つまり絶対的貧困(生きるうえで必要最低限の生活水準が満たされていない状態)にある人を想像する人が多いのではないか。

しかしそうなると、「そんなに母数は多くないはず」と誤解されてしまう。

そもそも毎月の生理にかかる費用は、昼用・夜用ナプキン、人によっては鎮痛剤や漢方薬なども必要になることもあるため、実質1000円ほどかかる場合も少なくない。

また、相対的貧困(世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態のこと)の状態にある人が、何を削るのか?と考えたときに、生理用品がその対象になってしまう人が多い。毎月の出費である時点で固定費であり、そこを削ろうと考えるのは正常なことだと思う。

このようにこの問題は、相対的貧困への理解が必要で、絶対的貧困の人のみの問題ではない。

家庭内の生理の貧困は可視化されないという事実

Photo by Chirag Saini on Unsplash

また、当事者の話を聞く中で、経済的困窮以外の、(2)や(3)の理由も多いことがわかってきた。

経済的には余裕があるにも関わらず、ネグレクトや虐待などが要因となり下着や生理用品を親に用意してもらえない状況下にある女の子たちもいるのだ。

信じられないと思うかもしれないが、初潮を迎えた娘に、「けがらわしい」となじったり、母親が男友達の前で「この子生理になったのよ」と批判するなどの、嫌がらせをされた、という体験談もあった。

このように子どもの第二次性徴に嫌悪感を抱き、さらに適切な物資の供給をしない親がいるという事実には私も衝撃を受けた。

思春期で、しかも家庭の事情であるため、「周りにSOSを出せなかった」と当時を振り返る人は多い。その結果、可視化されてこなかったというのが日本における「生理の貧困」のリアルではないだろうか。

(3)の、父子家庭で育ち、父親が生理用品やサニタリーボックスを用意せずに困った経験のある人もいる。父親に恥ずかしくて「買ってほしい」と言えず、少ないお小遣いから捻出して購入したり、ほかのもので代用してしのいだ、というケースもある。

もちろん、父子家庭だからといってかならずしも生理用品が手に入らないというわけではないが、初潮が来ても父には相談できなかった、という声は多く寄せられている。

初潮が来たら、「赤飯」よりも「知識」や「生理用品」を

いくら男性とはいえ、娘にいつか生理が来ることくらい想像できそうなものだが、性にまつわることがタブー視されてきた歴史の中で、女性たちが生理を隠し、男性は生理に触れることなく生きて来た——そんな社会が生んだ結果なのかもしれない。

それは、(4)の性教育の不足、知識不足が要因のひとつだと考えられる。学校で生理に関する授業はあったが、いざ生理が来ると動揺し、誰にも頼れなかったという声も聞かれる。

また、人よりも早く小学校低学年で初潮を迎えるケース、逆に人よりも遅く中学3年生で迎えるケースなど個人差があり、小学校高学年で1度だけ授業で習うくらいでは、たいして役に経たないという場合も多い。

「使用済みのナプキンはトイレに流すものだと思っていた」、「生理痛の対処法に鎮痛剤があることを知らなかった」、「夜用ナプキンやサニタリーショーツの存在を知らなかった」、「親が生理用品を買ってくれなかったから漏れるのが常態化していた」、という声も寄せられた。

Photo by Natracare on Unsplash

それだけではなく、親や養護教諭でさえ、月経には個人差があることに無知・無理解なこともあるようだ。経血が多く、保健室で昼用2枚もらいにいったのに「昼用ナプキン1枚で足りるでしょう」と返されたり、親に「少ない枚数でやり繰りしなさい」と言われた、という体験談も。

学校の性教育で生理について教えるのは1度きりでは不十分であるし、ナプキンやタンポンなどの交換頻度や、漏れないためのアイテム、生理痛や無月経への対処など、もう少し踏み込んだ教育が必要なのではと思う。

以上のような体験談を聞き、初潮が来た女の子たちに赤飯を炊くよりも、生理に関する正しい知識を伝えたり、昼用・夜用ナプキン・サニタリーショーツなど必要最低限のものを贈ることが伝統になって欲しいと願う。

女性の社会進出に影響を与える人権問題にも

生理用品が手に入れられない以外にも、生理痛やPMSがひどいのに病院にかからず放置してしまう人たちがおり、私は婦人科にかかれないことも、広義の「生理の貧困」であると考える。

私も経験したが、10代での無月経は放置すると将来の骨密度にも影響を与える可能性があると言われているし、生理痛には子宮内膜症といった病気が隠れていることもある。

生理痛やPMSで日常生活に支障が出たり、無月経だったりするのに、高くて医療機関やピルなどにアクセスできず、放置してしまう人は少なくないと感じる。

”経済的困窮”からナプキンさえ買えない人が増えている、という一面的な報道のしかたには、一抹の違和感を覚える。事実ではあるが、経済的理由だけでおきるというイメージが付き、当事者の母数が実際よりかなり少なく捉えられ、問題を矮小化する原因になりうる。

また、生理の貧困が絶対的貧困状態にある人だけの問題と捉えられれば、問題は生理用品が買えないことではなく、経済的困窮そのものだ、と問題をすり替えられてしまうだろう。

生理用品がなければ勉学や仕事に影響が出るのはもちろん、日常生活を送ることさえもままならなくなるほどの生活必需品であることは間違いない。そうであるにも関わらず、生理用品が不足しても我慢してしまったり、性にまつわる問題であるがゆえに「隠したい」という心理が働き、周りに助けを求めにくく、可視化されづらいという点が、生理の貧困が深刻な理由だ。

隠れた場所で、当事者は強烈な不快感や痛みと闘っているのである。

勉強や仕事のパフォーマンスにダイレクトに影響を与える点で、女性の社会進出にも影を落とすような実に深刻な人権問題ともいえる。

日本では、生理の貧困への取り組みは始まったばかり

生理の貧困が話題になるにつれ、自分も生理の貧困だったと気づく当事者が増えつつある。

実際取材した当事者たちは、当時を振り返り「それが普通で何が異常なのかわからなかった」と口を揃える。

生理用品の無償提供はすでに一部で始まっているが、「経済的理由でナプキンが買えない人への支援」という文言が使われており、その他の理由で入手困難な人がこぼれ落ちることを考慮し、「様々な理由で、生理用品が手に入らない人」と形容するほうが適切ではないだろうか。

フランス在住のライターである髙崎順子さんは、下記のようにTwitterに投稿している。

生理用品を入手できないことは貧困問題の一現象であると同時に、それ自体が女性の社会活動を制限する保健・人権問題なので、それ単体で改善に取り組む意味があります。

生理の貧困の要因や背景を知れば、数ある貧困問題の中でも単体で語られる必要性が見えてくるのではないだろうか。

先に生理用品の非課税化や無償配布が行われている諸外国でも、女性の人権問題として声をあげ、闘い続けた人たちがいた。日本もこれから議論が加速し、生理の貧困が人権問題として定着していくことを願っている。

やっと可視化され始めた日本における生理の貧困。市民レベルで行われる寄付だけではなく、行政レベルで議論されるべき問題であることは言うまでもない。

国が軽減税率化・非課税化に向けて動き、教育機関公共施設への設置に予算が組まれる必要があるだろう。近い未来、トイレにはナプキンが設置されているのが当たり前の光景になってほしいと願う。

ランドリーボックスでは、「生理の貧困」に関する国内外の情報を集めています。自治体や教育機関、企業、団体などが取り組んでいる施策、無料配布が行われている地域など情報をお持ちの方はぜひ、こちらのフォームにご記入ください。

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