「見て。今はこんな生理用品があるんだよ」

先日、母にシンクロフィットを見せた。

Photo by Ayako Tanigaito / LaundryBox

餃子のような形状のアイテムを前に「?」になる母の顔。使い方を説明したところ、

「へぇ〜今の時代はこんなものがあるから便利ね。お母さんの時代は、ナプキンの作り方を授業で習ったわよ」

「作り方!?」

普段から母親に生理の愚痴を延々と聞いてもらっていた私。でも、母が子どもの時にどう生理の時期を過ごしていたかは聞いたことがなかった。

いい機会だと思い、今年66歳になる母と生理について話してみた。

男女別々の部屋にわけられて習った、ナプキンの作り方

母曰く、それは小学校5.6年生のとき(昭和40年頃)。家庭科の授業の一環で、女子だけ集められた部屋で生理の仕組みを教わった後、その流れでナプキンの作り方を指導されたそう。詳しいことは覚えていないそうだが、女の先生が脱脂綿をガーゼのようなもので包み、簡易的なナプキンを作ってくれたと。

ただ、母は当時初潮を迎えておらず、自分ごととして捉えていなかったため「自分で作るなんて面倒くさそう」という感想を持ったそうだ。

しかし、1961年にはアンネナプキンが登場しているので、母が生理用品を使う頃には市販品が主流になり、自分で作る必要はなくなったので良かったと語っていた。

お尻がみえて恥ずかしい生理用ショーツ?

「そうそう、思い出した。生理用のゴムパンツが網状になっていて、履くとよく伸びるからお尻が見えて恥ずかしかったの」

そう言いながら描いてくれたのがこの絵。

Photo by Ayako Tanigaito / LaundryBox

「生理用のパンツでネット状!?なんだそりゃ」と思い、田中ひかるさんの『生理用品の社会史』に言及されているかなと読んでいたらヒット。

〜ヘアーネットからヒントを得た網目状の生理用ショーツである。「パンネット」と名付けられ、アンネナプキンと同時発売されることが決まった

『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)

「これのことか!?」と思い、「パンネット 生理」で画像検索したところ、1つだけそれらしきものを発見。母に見せたら「それそれ!」とのこと。まさにこの絵のままで、スケスケ(笑)。気になる人はぜひ検索してほしい。

生理は「お客さん」

学生時代、生理のことを何と呼んでいたかと聞くと、

「呼んでないのに”お客さん”が来たわ」「”客”が居座っている」

などと友達と話して盛り上がっていたらしい。母は中高女子校だったので、生理のことを隠すために隠語を使ったというよりも、ギャグを言うノリで友達と会話をしていたそう。こういうノリは自分が学生のときもあったので、いつの時代も変わらないようだ。

女子だけに囲まれている生活だったため、当時は生理は恥ずべきもの、隠そうという意識はなかったそうだ。

祖母の時代には、「生理は汚れ」だった

ただ、この話の流れで印象的なエピソードを語ってくれた。

今は亡き祖母が、初詣に行くときに「私はやめようかな」と言ったという。母がなぜかとたずねると、「生理期間中は神社にお参りはしてはいけないから」と答えた。

昭和2年生まれの祖母の時代は「生理=汚れ」の印象が強かったらしく、修学旅行で生理が来てしまい、友達と伊勢神宮にお参りに行けなかったというなんとも切ないエピソードもあったという。

Photo AC

そういう話を聞いて育ったのであれば、生理への価値観に影響があるのではないかと思った私は、「お母さんは生理は汚いものというイメージは持っていなかったの?」と聞いてみた。

母は「生理を汚いもの、隠すべきものとは思っていなかった。だけど『そういうものなんだな、仕方ないんだな』くらいで、あまり深く考えていなかった」と振り返る。

ただ、生理のときにわざわざ神社に行くのは避けようと思っていた節もあるそうで、少なからず影響は受けていたようだった。

毎月必ず「特休」をとっていた

母との会話で1番驚いたことが、生理休暇を毎月必ず取っていたということ。

先日ランドリーボックスで、「生理休暇を利用したことがある人は1割以下」という記事を公開したが、40年も前に、毎月生理休暇をとれていただと…!?

どういうことだと興奮する私に母が説明してくれた。

「取りたくて取ったというより、取らなきゃいけなかったの」

母は大手のゼネコンに勤めていて、入社後すぐに女性上司から「毎月1回は女性の権利だから必ずお休みをとってね」と告げられたらしい。

生理になると必ず電話をしなければならず、電話交換手に「特休お願いします」と伝えて休みをとったという。

Photo AC

特休というのは、特別休暇の略だが、つまり生理休暇のこと。

電話主は女性だとはいえ、「特休」で休むと伝えると、「あの人生理なんだな」と同じ部署の人に分かってしまう制度には抵抗があったと話す。

生理を隠したいと特別思っていなかったけど、あえて言うことでもないと思っていた母にとって、生理の時期が周りに知られてしまうことは苦痛だったに違いない。

母は生理がつらい月もあったが、そうでもない月もあり、むしろ働きたい意欲が強かったから、嬉しいよりも毎月「必ず」とらなければいけない制度を「圧」に感じ、少し嫌な気持ちもあったそうだ。

生理用品の豊富さを知ったのは子どもを産んでから

母が学生時代〜社会人の頃の生理用品の選択肢を聞くと、もっぱらナプキンだが、タンポンも使用していたという。ダンスを活発に行っていたこともあり、友人から「タンポンの方が踊りやすい」と助言を受け使用したが、当時のタンポンはアプリケーターがついていないタイプだった。

着け方がよくわからないのでうまく挿入できず違和感を感じたり、ヒモが外れてどうしようと慌てた経験もあったりしたと話してくれた。

サニタリーショーツも「可愛いのがあったらいいのにな」とは思っていたそうだが、月1のものに対して、高いお金を出しておしゃれしようという気にはならなかったようだ。

実際、ナプキンの種類にこだわりはじめたのは子どもを産んでからだという。私には9歳上の姉がいるが、姉が初潮を迎えてから「こんな種類のものがあるんだ」と色々試して買ったそうだ。自分が生理のときは、「羽つき」は使用したことがなかったらしい。

私が初潮を迎えた頃、母がすぐにいろいろ準備して渡して教えてくれたことを覚えている。これは当たり前のことではなく、母が考えて、たくさんの選択肢を与えてくれていたんだなと気づいた瞬間だった。

怒りが原動力だった更年期

しかし私が初潮を迎えた頃はザ・反抗期。私の口から感謝の言葉なぞ出るはずがない。

もしかしてその時期って….と思い「更年期ってあった?」とおそるおそる聞くと、「振り返ればあれは更年期だったのかもな」と言うので、「どれくらいの間?」と聞くと、「閉経の前後10年」と言われたので失神しそうになった。

母は42歳のときに乳がんになっているので、病気の治療によりホルモンバランスが乱れ始めたことも影響しているかもしれない。母の更年期の主な症状としては、イライラやホットフラッシュ。対策に関しては「調べる余裕もなかった。だけど、その怒りが原動力だった」と答えてくれた。

「3人の子どもがいて、毎日の家事で大変なのに、身体にいいお茶をいれるなんて面倒くさいしサプリとかよくわからないし。なんでこんなイライラするんだ。コンチクショー!!!」と思いながら日々奮闘していたという。

母が更年期に入った時期、私は反抗期真っ最中で、家庭も荒れていた。「更年期」というワードを知らなかったとはいえ、身体も精神も不安定になるこの時期に、家族の理解を得られず、私以外にもあたられることの多かった母のことを考えると心が痛んだ。

生理でつらい時期に周りの理解が得られないことのつらさを実感している私。

今ならわかる。当時の自分は非協力的で、クソすぎる。本当にひどいことをした、と猛省した。

閉経した今思うことは

閉経したことに関しては「もう妊娠しないのね」位の認識で、特になんの思い入れもないと母は語った。

ただ、PMSという言葉は知らなかったものの生理前からの体調不良、そして便秘と生理痛が重なったときの陣痛のような痛みに悩まされるなど、月の半分くらいは体調が悪かったという母にとって、やはり生理は煩わしいもので「早く終わってくれればいいな」と思っていたそうだ。

そんな母に、こう質問をした。

「じゃあ、今世の中に出ているアイテムで、つらかったときに試したかったものはある?」

「低用量ピルで生理の時期がずらせるなら、おばあちゃんも伊勢神宮にいけたね」

私は、生理=汚れだから神社にお参りにいけないなんて考えたことがなかった。でも生理だからという理由で、ひとり友達の帰りを待っていた祖母。そんな時代があったことを思うと、少しずつ生理への価値観は変わっているんだなと感じる。

一度も話した記憶がないおばあちゃんへ。

「今は生理でも伊勢神宮にお参りいけるよ、一緒に行こう」

そう言ってあげたくなった。

もっと気軽に婦人科にアクセスができるように

私の学生時代の生理を振り返ってみた。日常生活に支障が出るレベルで生理痛がひどく、学校まで迎えに来てもらったことが何度もあった私だったが、婦人科に行くという選択肢はなかった。

今でこそ「思春期外来」という看板を掲げる婦人科もあると聞くが、当時は知らなかった。そして母の時代は「若い子が産婦人科に行く」というイメージが無かったため、私達は病院に行かなかった。というか、考えもしなかった。

しかし、学校の保健室で「こういう症状の時は婦人科に行った方がいいよ」など伝えてくれたり、保健の授業で低用量ピルのことを教えてもらえれば、当時違った選択ができたかもしれない。

そんな話を母と語り合った。選択肢を知った私や、私たち世代が、後世に伝えていくべきことでもあると思っている。

「生理用品は、やっと『今』はじまっている気がする」

令和になり、生理がオープンに語られ始め、月経カップ、吸水ショーツなど生理を快適にするさまざまなアイテムが登場しはじめた。

Photo by Ayako Tanigaito / LaundryBox

母は、「アンネナプキンが発売されてから50年くらい経って、やっと今女性のからだについての研究も少しずつ進んで色んな商品がでてきたでしょう。生理用品は、やっと『今』はじまっている気がするのよね」と話し、こう続けた。

「お姉ちゃんが赤ちゃんだった頃は布おむつの選択肢が主流で、そこから紙おむつが出たの。それが今ではいろんな種類のおむつがあるでしょう? それと同じように、これからも生理用品はどんどん進化するわよ。痛みが軽減できるナプキンなんて出たら最高ね」

「フェムテックもまだ序盤だからこれから議論が活発になって、全く新しいアイテムが出てきたり、淘汰されるものもあるかもしれない。GUでも吸水ショーツが出たように、今では高いものでも、今後もっと品質が良くて安く手に入る商品も出てくるといいわよね…利権で難しいかもしれないけど(笑)」

最後に現実的すぎるコメントをくれた母だった。

未来の「生理」に思うこと

母と会話して思ったこと。

もし将来私が子どもを産んだとしたら、その子どもが初潮を迎える頃にはどんな生理用品があるんだろう?どんな生理の価値観になっているんだろう。そして私は子どもに生理をどう伝えたいんだろう?

祖母の時代、母の時代、そして今私が生きているこの時代。

生理への価値観は確実に変わっていて、生理用品も日々進化している。

それは誰かが何かのアクションを起こしたから、今に続いているのだなと強く感じた。

「まちがった」生理観があるなら、それは今の時代にアップデートしたい。

祖母のように、生理が理由でどこかに行けないということがないように。

母のように、生理を理由に休む時にプライバシーが守られないということがないように。

今この時代にある、ひとりひとりが感じている生理への違和感を見過ごさないようにしたい。

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