前回の体外受精の失敗からちょうど1カ月後の10月下旬、最後の体外受精に向けて僕と妻のりえはスタートを切った。

Yクリに転院し、「あと3回だけ。3回だけ頑張ってみる」とりえがリミットを決めてくれた。今回がその3回目の施術になる。

りえは来月に41歳の誕生日を迎える。日々老化を続ける卵子の状態と、重なる流産の傷。それらを考えると、「今回がラストチャンス」と見定めたりえに、僕から言えることは何もなかった。

僕は再び、人妻モノばかりのDVDが置かれた院内の採精室で採精し、りえは採卵に臨んだ。6個の卵子が確認されたらしく「6個も採れたなんてすごいじゃん」と何気なしに言うと、りえは「でも半年前は12個も採れたのに、たった半年で半分になっちゃんだよ!? この先も卵子の老化が止まることはないし、6個確認されたからって全部が全部、受精できる元気な卵でもないんだよ!?」と一気にまくしたてた。

「ああ、今回が本当に最後なんだ」そう思った。そしてりえの杞憂は、「6個の卵子のうち4個が未成熟に終わる」という結果で証明されてしまった。しかし残りの2個の卵子だけが受精卵となることができ、そのまま凍結されることとなった。

まるで美しき負け試合を全力でこなしているようだった

採卵から受精卵凍結までざっと書けば、たったの7行で終わる。しかし採卵日の翌日には「受精確認」、翌日には「分割確認」、その5日後には「凍結確認」といちいち合否が下されるわけで、その度に僕たちは結果に怯えなければならないのだ。

まだりえのおなかに受精卵を戻してないのに、この状態なんだぜ?

おなかに戻して上手く着床したとして、これから一体いくつの関門を突破しなければならないのだろう。41歳を迎え、通常より体力もなく卵子の老化の進みが早いりえが、それらを突破できるとは、りえには悪いが当時の僕は到底思えなかった。それが本音だったのだ。

そして僕たち夫婦は、ただ「子どもが欲しい」と願う最愛の人に寄り添い、「できるだけのことはやったよね」と後悔だけは残らないよう、まるで美しき負け試合を全力でこなしているみたいに思えた。

Photo by Krists Luhaers on Unsplash

ご懐妊までの関門がとにかく多い不妊治療において一喜一憂することだけは禁物だ。しかし、そもそもここまで負け続けてきた治療において、僕は希望など感じていなかった。そして、子どもが欲しいのか、欲しくないのか、それすら長い治療によってわからなくなっていた。

そんな思いを抱えていたなか、12月5日、胚移植が行われた。

1塁、2塁、3塁。俺たちの受精卵はホームベースを踏むことができるのか

僕の思いなんかをよそに胚移植が始まった途端、そこからの関門の山は、恐ろしいスピードを伴って、僕たち夫婦の前に立ちはだかった。

・12月5日 胚移植

・12月9日 ホルモン値確認

・12月12日 着床判定1回目

・12月17日 着床判定2回目

・12月22日 胎嚢(たいのう)確認

3〜4日おきに矢継ぎ早にやって来る◯×判定、それが4回。

僕はこれを野球のダイヤモンドに見立てた。俺たちの受精卵は1塁、2塁、3塁を駆け抜け、ラストの胎嚢確認にパスすればホームベースに還ってくる。1-0で僕らのサヨナラ勝ちだ。

Photo by Mark Tegethoff on Unsplash

まずは12月9日のホルモン値確認の日を迎えた。僕は取材と重なってしまったため、りえがひとりでクリニックへ。そして、りえからこんなメールが。

【陽性反応が出てるって。とりあえずホッとした。でも前々回はここから失速しちゃったから、あまり喜びすぎないようにしないと】

安堵と自戒の両方が垣間見えるメールだった。とりあえず受精卵は塁に出た。無事ホームまで戻ってこいよ!

そして12日12日、1回目の着床判定の日。この日もクリニックへは、りえひとりで。僕は仕事が手につかなかったが、りえからメールが。

【数値が上がってたから、今のところ着床しています。前々回超え。やったー】

前々回の1週間と持たずに流産してしまったことを思い出す。あのときのりえの涙は忘れられないし、あの悲しみを二度と彼女に味わわせたくはない。

受精卵は2塁に滑り込んだ。セーフ!

その日帰宅したりえは、おもむろにこんな話をしてきた。

「あのさ、あなたには内緒にしてたんだけど、今日のクリニックが怖くて事前に妊娠検査薬でチェックしてみたの。そしたら妊娠を表す赤い線が出てたの。それがすごく嬉しくて。それで安心できたから、今日のクリニックに行けたんだ」

少し涙を溜めながらも、ニッコリと笑いながら僕に言うりえ。

そんなことをしていたなんて、露ほどにも知らなかった。2度の流産は、どれほどの悲しみを彼女に与えたのだろうか。いじらしくて愛おしくて仕方ない。それでも僕の口からは「ふうん」という言葉しか出てこなかったのだけれど。

「あのさあ、昼間くれたメールに『数値が上がった』って書いてあったけど、あれ何?」

「β―hcg値のことだよ」とりえが答えた。

また、あれか。

妊娠の可能性を示す数値であり、β―hcg値が20以上だと正常着床の可能性あり、というやつなのだ。流産に終わった前々回が12、前回が7と、このβ―hcg値には嫌な記憶しかない。「着床している」というのだから、おそらくは22とか23とかなのだろう。

そう予想し、「で、いくつだったの?」とりえに聞いた。「えっとね」、りえはクリニックで渡された用紙をバッグから出した。

「94.7」

きゅ、きゅうじゅうよんてんななぁ!?

りえが「この数値だと、妊娠の確率はかなり高いんだって、先生が言ってた」と話す。そんなの、もう大丈夫ってことじゃん!予想の遥か上を行く数値に「期待するな」と言うほうが無理である。

あと少し。残る関門は着床判定と胎嚢確認のみ…

12月16日。2回目の着床判定前日、りえがぼそっとつぶやいた。「なんかね、生理前によく似た下腹部の鈍痛を感じるの。すごく怖い」。

彼女は「生理が始まってしまうのではないか」という恐怖と戦っていた。

やっぱりすべては夢なんじゃないか。先生が言う妊娠の確率も白々しく思えてきた。適当なこと言って俺らをぬか喜びさせんじゃねえ、と。

しかも明日の検査では、「94.7」という新記録を樹立したβ―hcg値が、さらに8倍~15倍に跳ね上がってないと失格なのだという。

前回たった7だった数値が、最低でも「757.6」になってないとアウトだなんてハードルが高すぎる。「このままいってくれ!」という思いと「いや、無理ゲーすぎるわ!」という思いが交錯して、もうゲーが出そうだった。

12月17日、2回目の着床判定当日。クリニックに出かけたりえから、昼12時にメールあり。

【妊娠反応、出てました!】

安堵のあまり全身から力が抜け、あやうくスマホを落としそうになった。気になるβ―hcg値だが、8~12倍が合格ラインとなるところ、僕らの受精卵は何と15倍の「1472」もの数値を叩き出していた。

瀕死の「7」から「1500」近くまで成長したまだ見ぬ我が子は、余裕の1歩で3塁まで到達したのであった。

12月22日、胎嚢確認当日。胎嚢とは赤ちゃんが入っている袋のようなもので、それができているかの確認だ。クリニックに行ったりえからのメールが、鳴る。震える手で開ける。

【胎嚢確認できました】

クリスマスの2日前、我が子は猛然と本塁をおとしいれ、虎の子の1点を奪った。僕たちは、ついに子どもを授かったのだった。

クリニックから帰宅したりえを抱きしめ、「やったね!ありがとう!おめでとう!」と僕は叫んだ。すると……「はぁ!?何言ってんのよ!これが最後じゃないってば。もうアタシ言ったじゃない。最後は赤ちゃんの心拍確認があって、それにパスしたら正確に妊娠になるって。ほんと、あんた大事なこと忘れちゃうんだから!」

へっ!?見ると我が子は呆れた顔して3塁ベースにスタスタと戻っていき、脳内に流れていたエンドロールは巻き戻されていく。とにもかくにも最後の決戦、心拍確認は年が明けての1月1日となった。

きっと大丈夫。妊活を始めてから2年、初めて本気でそう思った。

山下達郎や竹内まりやの歌声も、佐野厄除け大師のCMも頭に入ってこない年末年始を過ごし、「心拍確認まであと何日」とカレンダーとにらめっこする日々が続いた。

大晦日を迎えると、りえは「気持ち悪い」と繰り返し言い、夜9時前には寝てしまった。この「気持ち悪い」はつわり的な意味のものなのか?はたまた、そうではないバッドエンドを指すものなのか?『笑ってはいけない』とテレビに言われなくても、当然笑える状況ではなく、一睡もできずに、新年を迎えた。

早朝7時半に家を出て、ふたりでクリニックに向かう。カウントダウンの残り香を感じる新橋の街並みを通り過ぎ、院内に入る。りえは「行ってくるね」と検査室に入っていった。

正月早々、しかも元旦に流産が告げられたら、どうするのか。

そんな杞憂は、もうどこかに飛んでいた。あれこれ悪い想像をするのに正直飽き飽きしていたというのもあるが、半ば肚(はら)が座っていたからだ。大丈夫。妊活をスタートさせてから2年近く経ち、初めて本気でそう思えた。

待合室から覗く小窓からは、新橋の街が見える。

いろんなことがあったなあ、と思いだす。2度の流産に泣き、この世が終わったこともあった。それでも僕らは手を離さなかった。

楽しいときも辛いときも僕とりえはギュッと手をつなぎ、その時々の体温を互いに感じ合っていた。寂しいの?悲しいの?ふたりは敏感に感じ合い、その都度やさしくふるまった。もう何が起こってもいいじゃないか。

ふたりで手をつないでさえいれば、離れ離れになることはないんだから。もうそれで充分じゃないか。

気がつくと、検査を終えたりえが目の前に立っていた。小窓から射す光を浴び、その笑顔は神々しさすらあった。マリアさまだ。

「赤ちゃんの心拍、確認できたよ。アタシ、妊娠できたよ」

僕は思わず立ち尽くし、そして抱きしめた。「ありがとう」その言葉しか出てこなかった。

39歳からはじめた僕の不妊治療アドベンチャー、ラスボスを倒すことはなかったが気がつけば1UP増え、家族ができた。

もう1回言うよ、りえちゃん、ありがとう。

イラスト=村橋ゴロー

・これまでにかかった時間:1年8カ月
・これまでにかかった金額:2,013,687円(助成金15万円×4回 初診、基本検査、通院21回/うち人工授精4回、体外受精3回)

最終回につづく

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