妻の職場近くにある銀座のGクリニックに通い、タイミング法3回・人工授精4回・体外受精1回の治療が淡々と失敗に終わった。その後、僕らは友人の勧めもあり、新橋のYクリニックに転院した。あとから考えれば、39歳という高齢からはじめた不妊治療なのに、タイミング法から指導される杓子定規な治療に不満が募っていた。
友人の話ではそのYクリは都内でもトップクラスの妊娠率を誇る有名クリニックであり、友人もそこで不妊治療のすえ、子どもを授かったのだ。聞けば、かなり超人気クリニックゆえかなり待たされるし、しかも高額だという。いうなれば行列のできるラーメン店だ。
僕らが今まで通っていたのは、妻が「通いやすい」というだけで行っていた、町のラーメン店。旨くも不味くもないラーメンをすすっていては、時間の無駄だ。我々はもう、四十路に入ってしまったのだから。それよりも何時間並ぼうと、1杯1200円だろうと、確実な結果がほしい。逆にいえば待ちさえすれば、金さえ出せば妊娠できるかも。そんな思いにすがった。
「あと3回、3回だけ頑張ってみるね」
りえちゃんは、そう言っていた。実は前回Gクリでの体外受精が失敗に終わったのち、2カ月の休憩期間を設けていた。そして今回の「あと3回だけ頑張る」という、りえの言葉。
不妊治療とは、いつ授かるかもわからない治療である。ゆえに自分である程度の「頑張れる期間」を設けないと、体が、心が、持たない治療でもあるのだ。それでもりえは「あと3回」と己を奮い立たせ、Yクリでの体外受精1回目が始まった。
3時間待ち、クリニックは戦場さながら
予想以上だった。初めてのYクリでの検診、診察開始の8時に行くと整理番号は「86番」。一番乗りの人は夜中から並んでるのかよ……。各フロアは人であふれ、まるで野戦病院のよう。結局診察を受けるまでに2時間、問診まで1時間の計3時間も要した。
そしてYクリでの体外受精1回目となる2013年4月、朝9時にクリニックを訪れると整理番号は「155番」。今日も長期戦になりそうだ。
人口&体外受精で採精が必要な場合、Gクリでは自宅かGクリのトイレでの採精となっていた。しかしYクリの場合、院内に採精室というものがあったのだ。つまり、ひとりでごにょごにょするワンごにょ部屋完備だったのである。
まず採精室のあるフロアに呼ばれると、小窓からDVDのリモコンが入った細長いトレイを渡された。そして看護師さんが「お好きなものを何枚かお選びください」と言って、束になったアダルトDVDを渡してきたのだ。
えっ……ええっ!?
「お好きなモノを」と言われたからって、「はあ、そうですか」とTSUTAYAじゃないんだから、ここでガチ選びできるわけもない。タイトルも見ずに適当に2~3枚選び、トレイにねじ込んだ。
看護師さんから逃げるように指定された採精室に駆け込むと、そこは4畳ほどのスペースで壁掛けのテレビモニター、その下にはDVDプレイヤー、ティッシュ、除菌スプレー、横のラックには10冊ほどのエロ本が。これ、まんま個室のDVDボックスじゃねえか……。男子にとってはあるあるなのだが、このサイトの読者の多くが女性であるため先へ急ごう。
ソファに腰を落とし、先ほど選んだDVDのタイトルを見て、驚いた。『妻の誘惑』、『ゆきゆきて妻恋路』、『働く人妻』。えっ!?と思い、ラックにあるエロ本に目を落とすと、『妻の奔放』、『妻の艶遊戯』、『妻の欲情』、『妻の柳腰』………つま、ツマ、妻うるさいよっ!
これから愛するりえちゃんとの子を宿そうと採精する神聖な儀式のおかずが、何で全部人妻モノなんだよ。しかも専門クリニックでこの品揃えって!仕方なく人妻モノでことを済まし、採精室を後にするのでした。
不妊治療のたくさんの「関所」を越えて
この日、採精・採卵されたものは体外受精により、2つの受精卵となった。そしてその2つはすぐに凍結され、冷凍保存された。卵子の若返りは望めない。
今回できた受精卵がりえの体内でうまく育たなかったとしても、次回残った1つのストックを融解ことができる。つまりレンジでチンしてまた体内に戻す。最先端技術により時間をストップさせるという、いわば〝神の領域〟ともいえる、この技術。
ここYクリは胚の凍結融解技術が日本でもトップクラスなのだと聞いていた。また一度胚を凍結し、別の周期に融解&移植することで着床率が高まるらしい。そのため1カ月後をめどに、りえの体内に移植されるスケジュールが組まれた。
1カ月後の施術で、早くも4日後に最初の妊娠判定が行われるという。そしてこの妊娠判定には段階があることがわかった。ここが不妊治療の厄介なところなのだ。
妊娠判定にはいくつもの関所があるため、いちいちぬか喜びしていては心が持たない。例え順調に各関所を突破しても、最後の最後で「流産してしまいました」と告げられたら……「おいそれ」と喜んでいられないというのが人情である。
繰り返しハラハラさせられる、連続ドラマのような日々
胚移植から2日後、りえちゃんがしつこく「気持ちが悪い、気持ちが悪い」と訴えてきた。「お腹がすくと気持ち悪くなるんだー」といって、シュークリームを頬張っていた。「さっきポテチ食べたばっかじゃん!」と笑って言うと、「だってお腹がすくと気持ち悪いんだもん~」と、りえちゃんは笑いながら返してきた。「何だよ、それ!食いしん坊の屁理屈じゃん!」ふたりでゲラゲラと笑った。
つわりかもしれない。僕は瞬間的にそう思った。お腹の赤ちゃんに栄養を取られるから、食べ続けてないといけない状態なんだ。だが決して口にはしない。りえだって、そう思ったに違いない。でも早くもぬか喜びしそうで、後で倍返しされるのが怖く、ふたりはゲラゲラと笑ってやり過ごした。
その2日後、最初の妊娠判定は合格の「妊娠状態」であった。イエスッ!! ここで、ある数値が登場する。それが妊娠反応を示す『β―hcg値』である。このβ―hcg値が20以上を示せば正常着床の可能性あり、40以上を示せば80%が継続妊娠となる。何この連続ドラマ。毎回ハラハラさせすぎだわ。
しかしりえのβ―hcg値はたった12で、「継続妊娠となる可能性は30%」と医師に言われたのだ。だから「妊娠判定に合格」といっても、それは限りなく△に近い○なのである。何だよ、やっぱダメなんじゃん。そう、心でつぶやいた。
その晩のことだった。「もう気持ち悪くない!」そう、りえが乱暴に言い放った。「もう気持ち悪くない!たった2日間だけだった!あれ、やっぱつわりだったんだ!」。彼女は「つわり」と、初めて口にした。やはりりえちゃんも、そう思っていたんだ。
しかし12という低い数値を目の当たりにし、それが幻だと直感したのだろう。「あれはつわりだったんだ」と口にすることで、憂さを晴らしているように見えた。「お腹がすくと気持ち悪くなるー」とはしゃいでた前日と同じ大量のご飯を作った。前日はぺろりとたいらげた。
しかしこの夜は箸をほとんどつけないまま、彼女は布団に入ってしまった。僕はタッパーに詰める気力も湧かず、そのまま全部ゴミ箱に捨てた。誰も悪くない。誰も悪くないんだ。
「子どもなんて欲しがったりしなければ…」すれ違う想い
その5日後、再判定の日がやってきた。「12」という低すぎたβ―hcg値が伸びる奇跡は起こらず、やはり流産していた。原因は染色体異常だった。
その週末の土曜、りえちゃんを誘って公園に出かけた。仕事・不妊治療、その末に流産。溜まったストレスは、ちょっと外に出かけ緑に囲まれるに限る。りえちゃんは「アタシは眠っていたい」とばかりに不満そうだったが、とにかく外に連れ出した。
翌日、日曜は洗足池でボートに乗ろうと提案した。それでも、布団から「う~ん」という声しか返ってこない。「ねえもう、お昼になっちゃうよ!いつまで寝てるの?早く出かけようよ!」。
せっかくストレス発散の提案をしているのに、起きる素振りさえ見せない。そのため少し声を荒げた。するとむっくと布団から出てきたりえちゃんは、こう叫んだ。
「アタシ、ボートになんか乗りたくない!昨日も公園なんか行きたくなかった!子どもの姿なんか見たくなかった!楽しそうな親子の姿なんか見たくなかった!そんなにボートに乗りたいなら、ひとりで行って来てよ!」
見れば目は真っ赤だ。泣いている。昨日むりやり連れて行った公園で観た、キラキラとした親子。それらを見て、彼女は深く傷ついていたのだ。なぜ私だけが、あんなにかわいい子どもを授かれないのか。そう思ったに違いない。
そしてそんな親子を恨む気持ちが、余計に自身を暗くさせたのだ。彼女は仕事に治療に、頑張っている。男の僕が手出しできることはないけど、それでもクリニックには毎回ついて行き、何かと笑わせた。家に帰ればほとんどの家事と炊事を担当し、彼女の負担を軽くしてきた。
そして週末には気分転換させたつもりが……このザマだ。互いがやるべきことをやり、互いに思いやっているはずなのに、何かが噛みあわない。こんな治療なんかやってなきゃ、僕たちは仲良しのはずだったのに。子どもなんて欲しがらなきゃ……。
惨たんたる気持ちを抱えたまま、僕はひとり自転車に乗って洗足池に向かった。家に一緒でいるには空気が重たすぎたし、彼女をひとりで休ませるには僕が家を出て行くしかなかった。洗足池には家族の笑顔が溢れ、5月の陽光がみんなを包んでいたが、僕の心にだけは降り注ぐことはなかった。
・これまでにかかった費用 1,061,999円(助成金15万円×2回)
(初診、基本検査、通院12回/うち人工授精4回、体外受精2回)
・これまでにかかった時間 12カ月