日本では5.5組に1組の夫婦が不妊治療経験があるとの*調査結果があります。不妊治療は、身体的にも経済的にも負担が大きい現状があります。クリニック選びや不妊治療のステップ、どのくらい時間やお金がかかるのか……?

この連載では、村橋ゴローさんが妻の“りえちゃん”と二人三脚で試行錯誤を重ねた3年半におよぶ不妊治療経験をお届けします。

400万の借金地獄を救ってくれたりえちゃん

Photo by AC


僕とりえちゃんは17年前の2004年、共通の知人の結婚式二次会で知り合った。僕が勝手に熱を入れ口説き落としたのだが、ほどなくして付き合うことに。が、当時僕には400万円ほどの借金があった。

最初は10万円をつまむところからはじまり、気がつけば6社・総額400万円ほどに膨れ上がっていた。もうどうにもならない状況まできていて、当時の僕は精神的に相当追い詰められていた。

そんななか、高校からの親友が挙式を挙げるという。しかもハワイで。参列してくれないか? と連絡があったが、当然行けるお金もなくやんわりと断った。1番の親友が、豪華にハワイで結婚か。

その連絡を受けたとき僕は新宿の街金ビルにいた。1階から6階までに軒を連ねている街金6軒をすべてめぐり、金の工面に追われている最中だったのだ。親友とのあまりの違いに心も限界を覚え、自死すら頭によぎった。

その晩、僕のアパートにやってきたりえちゃんにすべてを吐露した。りえちゃんのことは大好きだから、自分が借金を背負っていることなど言いたくない。でもそれを抱えたまま、付き合うことなどできない。彼女は現役で津田塾に受かった秀才だ。彼氏が400万もの借金を抱えた、とんだ負債野郎だどわかれば秒で逃げていくだろう。そうわかっていても誰かに吐露しなければ、壊れる寸前に自分はいた。すると、

「いくらあんの? アタシが返してあげるよ」

「あなたの子どもが産みたいの」

そして、僕らは付き合ってたった半年の2004年7月の暑い日、結婚した。

写真=本人提供 結婚パーティにて、この年に結婚したヤワラちゃん・よしくん(オリックス)コスプレ

セックスレス。その複雑な胸のうち…

さて結婚し、コンスタントに営みを続けたものの子どもができなかった。それでも若いころは、「いかに妊娠させないか」ということばかりを考えて行為に至っていたので「こんな薄っい0.02ミリのオカモトさんさえ脱ぎ捨てればそのうち子どもはできるだろう」とタカをくくっていた。

しかしいつまで経っても子どもはできない。1年、3年、5年と月日は流れても、子どもができることはなかった。そのころになると、僕らの状況は変わっていった。セックスレスになっていったのだ。

「えっ、バカじゃないの!?赤ちゃんが欲しいのにレスになるなんて、わけわかんない」という人もいるだろう。しかし、それにはワケがあるのだ。

というのも、僕らは「あなたの子どもが産みたいの」という彼女の言葉をきっかけに、ふたりの人生がはじまった。そして子づくりに励むも、全然できない。それが5年だよ?そうなってしまうと行為をすること自体が僕自身、心苦しくなってしまったのだ。

「いつまで経っても子どもができない。それでもからだを求めてくる変態野郎」と、りえちゃんに思われてしまっているのではないか? 彼女を好きすぎるがゆえ、こんな思いにとらわれてしまったのだ。

「それでもやらなきゃ子どもはできない」ということはもちろんわかっていたが、結婚5年目くらいを境に、僕から求める頻度は極端に減っていったように思う。

「子どもが欲しい」という思いから逃げていた

また、行為から遠ざかった理由として互いの忙しさがあったと思う。彼女は当時大企業の役職付きにあってかなり多忙だった。僕は僕でいろんな雑誌やネット媒体に寄稿したり、タレントさんの書籍の構成を担当をするなど、まあまあ小忙しくしていた。

そうなるとダブルインカムで、贅沢はできなくても我慢をしなくてもいいほどの生活が送れていたのだ。週末には友人を自宅に迎え入れ、パーティーみたいなことをしょっちゅうやっていた。世界中のワインを飲み干してしまうくらい頻繁に外食していた。

つまり満ち足りた生活で、「子どもができない」という不安に蓋をしてしまっていたのだ。

おそらくこれは、30代半ばの都市生活夫婦あるあるではないだろうか。共働きで収入はけっこうある。生活には満足してるし、私はまだ34歳。そりゃ赤ちゃんは欲しいけど、都会じゃこの年で子どもいないなんてザラだし。ま、いつかは……みたいな。

当時は僕も少なからず、そう思っていた。しかし今考えてみれば、ふたりのはじまりだった「子どもがほしい」という思いから逃げていた。1番大事なところにふたりで向き合うことを、恐れていただけだったのだ。

しかしそんな反省も、日常という大きな河のうねりのなかにあって、「大切な何か」を手のひらからこぼしてしまうのは仕方のないことでもある。

30代も半ばを過ぎれば、周りの友人夫婦たちの出産ラッシュが続く。やれ第二子が生まれた、やれ第三子だと知らせが入り、そのたびにお祝いを買いに行った。ある日よせばいいのに、なぜかりえちゃんとふたりで出産祝いを買いにアカチャンホンポへ。

Photo by Jordan Nix on Unsplash

かわいらしいベビー服やオムツを、みな笑顔ででかいカートに放り込んでいた。なぜ5年も6年も子どもができない俺らが、こんな景色のなかに放り込まれならなきゃいけないのか。だんだん腹が立ってくる。

チラリとりえちゃんの表情を見ると、その瞳は皿のようで、まるで心を消しているかのように見えた。ドンキがお似合いの若いジャージ夫婦が、赤ちゃん用のオモチャを物色している。かたわらには襟足を伸ばした長男らしき男の子がぐずっていた。なんでこんな偏差値低そうなヤツにガキができて、ウチにはできねえんだ。めちゃくちゃで最低だが、当時は本気でそう思っていた。

僕を救ってくれたりえちゃんの願いすら、叶えてあげられない無力感

望んだものが手に入らない。努力とかそんなの関係ない。神様が6面体のダイスを振り「おめでとう!」「残念でした!」、そのどちらかに当たるのに人生を任せるしかない。「授かりもの」とは、かくも残酷だ。

怒り、焦り、妬み、嫉み。そのくせ、自分たちはセックスレス。りえちゃんは出会って間もない僕を愛して、そして信じて400万円もの借金を返してくれた。あのときは切羽詰まって自死すら頭をよぎっていたから、いわばりえちゃんは僕に余生をくれた。

その彼女が言った、たったひとつの願い「あなたの子どもが産みたいの」。それすら叶えてあげられない無力感。途方に暮れた。

自然妊娠率は思っていたより、とても低い

そこからまた月日が流れ、僕らふたりはもう39歳になっていた。そんなある日、なんとなくネットを眺めていると、偶然にもこんなデータが目に飛び込んできた。「40歳の自然妊娠率:10%以下」(*2)。

俺ら来年40だし、その妊娠率が10%以下!?マジか!そんなのフツーにセックスしてたって、子どもできねえじゃん!

このとき初めて、専門のクリニックというものを意識した。いや、専門のとこに行かなきゃ子どもができるわけがない。なぜなら僕らは翌年には四十路に入り、その自然妊娠率はほんの数%しかないのだから。

今しかない。なぜかそのとき、ゆっくりと点滅していた黄色信号がついに赤色に変化する画が、頭に浮かんだ。いかん、いかん、いかん!その晩、会社帰りのりえちゃんをつかまえ駅前の沖縄料理屋に行った。

Photo by AC

真剣に不妊治療に向き合うことを決めた

「あのさ、言いにくいんだけど、俺ら本当に欲しかったものがあったよね。俺もそうだけど毎日忙しくて、それにかこつけて見て見ないふりしてたよね。ずっと誤魔化してきたこと、あるよね。俺らもう39じゃん。特にりえちゃんは女なんだし、体的にももう限界っつーか、ギリッギリのとこまで来てると思うんだ」

「俺、心の底では思ってるのに、それを黙ってるのはもうやめようと決めたんだ。俺だけじゃない、りえちゃんだってそうだと思うんだ。心の底に仕舞ってある本当の願い、あるでしょ。俺、諦めたくないんだ。逃げたくないんだ。りえちゃん、俺、真剣に子づくりに向き合うことにしたよ」

「ありがとう……」りえちゃんは涙を流しながら、笑ってくれた。

互いに40歳を迎える2012年1月、ふたりは不妊治療を始めることを決めた。
(次回に続く)

*1 国立社会保障・人口問題研究所「2015年社会保障・人口問題基本調査」:不妊治療・検査を受けたことがある、または受けている夫婦は18.2%、子どものいない夫婦では28.2%)

*2 日本産婦人科学会による研究結果をまとめたARTデータブック2017によると、40歳の妊娠率は15%、流産率は約2割

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