「フェミニズムとは女性のためだけではない、男性にこそ利点がある」

そう言い切るのは世界各国で翻訳本が出版されている『キングコング・セオリー』著者であるヴィルジニー・デパント氏。

彼女は文章では怒りやアグレッシブな側面も見せますが、最終的には平和を願い、搾取がなくなる社会を望んでいるのです。そんな彼女が考えるフェミニズムの終焉とは。

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「途中で性別を変えたっていい」男女平等は、生まれた性別のこだわりを捨てること

——デパントさんが考える、男女の平等ってなんですか?

私は男女の性の平等に関心はないのです。むしろ、そんなことなんかどうでもいいと思える世界を想像することに興味があるのです。この世界では誰もが生まれながらに性別が割り当てられていますが、それを各人が好きなようにできる、そんな世界です。理想は、例えば「男らしくありたい」人はそうであることができて、「女らしくありたい」人はそうなれる。そして、「どっちにもなりたくない」人もそのままでいられる、そんな世界です。

つまりそれは、どの性別で生まれたかということなんかに関心を払わないということです。途中で性別を変えたければ変えることもできる。

例えば私は自分を男性らしいとも女性らしいとも感じません。私の名前が女性の名前だからこうやって私という存在は女性として定義されていますが、自分のことについて語るとき、そんなことはどうでもいいのです。私は子どもを作らず、今はレズビアンですが、私の人生で何が大切かというとそれは「女に生まれた」ということではない。

女の子だからこう育てなければとか、こんな罰を与えなければならないとか、女の子なんだから優しくなりなさい、などと、いちいち性別に物事を紐付けず、そんなことは忘れてしまえばいいのです。人は人生のステップごとに、いたい場所にいて、やりたいことをやって、家事も好きに分担すればいい。

Photo by Laundry Box

例えば10年間子育てに専念したいならして、その後の10年間は別のことに注力したいならそうする。とにかく、生まれの性別にこだわりを持たないことが誰にとってもいいことだと思います。どうあがいても人の人生はあっという間です。だからその短い期間の中で、なりたい自分になる。それが大事なのです。

外部から言われるような、「女の子なんだからそんなにアグレッシブになってはいけません」とか「男の子なんだから泣くな」とか、「男の子なんだからもっと強く出なさい」とか「女の子なんだから頭の良さを見せつけてはいけません」とか、そんなことからは自由になるべきなのです。これらを捨て去ったところで大事な何かがなくなるわけではないです。生まれの性別へのこだわりを捨てるというのは平等への一歩が進められることなのです。

——性別から解放されるということですね。

私が思うのは、もし人々をもっと自由にさせてあげたならば、もっと性別を自由に行き来するようになるだろうということです。人生の中でひとつの性別を保持し続ける人は減ると思います。私だって自分は女らしいと感じた時期もありますし、逆に男らしいと感じた時期もあります。どっちでもないと感じることだってあります。

私は作家ですが、作家として男性か女性かなんていうことは本質ではないのです。書くという行為は性別に関係ないことだから。この本を書いて少し残念に思ったことは、女性作家として注目を浴びてしまったことかもしれません。本は男性でも女性でもないでしょう。読者がこの本を手にとって読むとき、書き手の性別なんてどうでもいいと思うのです。

Photo by Laundry Box

私は女性性をぶっ壊そうと思って書いているわけではありません。個人的には別に私の人生というのは女性だろうが男性だろうが同じように築くことが可能だったと思っています。性別なんて忘れてしまえばいい。決して悪いことは起きません。男性に惹かれるとか女性に惹かれるという話ではなくなり、人生のある時点で面白いことを一緒に分かち合いたいと思った相手と時間を過ごす、という考え方に切り替わります。もしその思いが相互にあるのであればそれでいい話なのですから。

女性の体は、子どもを産むため、人に見られるため、男性を喜ばせるために存在していない

——では、女性の体というのはどう考えますか?私たちは体に囚われている側面はあると思いますか?

私たちが身体に囚われているとは思いません。例えば生理もそれほど重要なことではないのです。もちろん、それは事実としてそこにあるわけですが、一生それに悩まされるという話でもありません。私は今52歳ですが、あと少しで終わります。

出産に関してもです。ずっと妊娠をしている人もいるかもしれませんが、それは少ないですよね。一生で1〜3回妊娠を経験するという方が多いと思います。だから私たちはそれに囚われているわけではないのです。人生のある時点で太った時期があったり、とっても元気だった時期があったり、そういう流れの中の一部に過ぎないと思います。どっちにしても私たちにはこの体というものがあるのですからそれと共に生きているということです。

女性は子どもを作れる体のしくみがありますが、だからと言って子どもを産み落とすという部分だけで女性の人生が条件づけられてしまってはいけないのです。子どもを作らない、あるいは作れない女性もいます。私も子どもは作りませんでしたが、それはそれで良かったと思っています。

男性は子どもの世話にも、もっと関わるべきでしょう。それは子どもにとっても父親にとっても母親にとってもいいことだと思うからです。私の周りを見れば、子育てに積極的な男性もたくさんいるので、きっとそれは男性にとっても幸せなことなのだろうと思います。

体の違いとしてあげられる女性の胸については、社会が女性の胸は男性を興奮させるものだ、というから重要性を帯びているだけのことです。だから、この胸は美しいだの醜いだの、大きすぎるだの垂れてるだのと言って騒ぐのです。でも身体的な意味で胸の存在だけを考えてみるとそれは腕があるのと同じ程度の意味しかないのです。

Photo by Priscilla Du Preez on Unsplash

それから女性がよく気にする、太っているだの痩せているだのという話。これは胸に比べてもっと簡単に違う考え方ができるようになるはずだと思います。例えば、今太っている、でもだからなんだ、と。男性の喜びのために私は存在しているんじゃない、と認識することです。

女性たちが「私の体は男性を喜ばせるために存在しているわけじゃない」と思えるようになること、それが最も重要なことです。つまり男性様がいい気持ちになるため、心地よくいられるようにするため、あるいは脅かされていると感じないよう気を使うためだけに時間を費やす必要なんてないのですから。

人生はとっても短いです。だから私たちもそれぞれやるべき大切なことが、ほかにたくさんあるのです。男性たちのお世話ばかりしてはいられないでしょう。そして「私たちは見られるために存在している」という感覚がなくなれば、体に囚われているという感覚もなくなると思います。

対等な関係性が、互いを自由にする。男性にこそ感じられるフェミニズムの利点

——「フェミニズムはみんなで築く」と、本書で結んでいますね。

この社会で多様な人々がともに生活をしている限りは、共同作業として進めるほかに方法はないのです。また、フェミニズムが進むということは、男性にこそ利点があると私は思っています。またそれと同時に、今の若い世代の男性たちはいろんなことを理解し始めていると思います。私の世代の男性たちなどよりもずっと、何が起きているのかをちゃんと理解しているのです。

——フェミニズムの男性にとっての利点とは具体的に何でしょうか?

男の子も社会から求められる「男らしさ」からの解放が可能になります。いつも強くなければいけない、感情は押し殺すべきだ、などという考え方を捨て去ることができ、また、「戦争で人を殺すなんて嫌だ。兵器には興味なんてない。暴力も興味ない」とはっきりと言えるようになるのです。結局、国家のために暴力的になることなんて嫌だと思っている男性は多く存在します。金を稼ぐことよりも子どもを育てることに注力したいなど、より柔軟性が高まると思うのです。

そして人生のパートナーとも、より互助的で対等な関係性が築けるようになります。平等であるということは互助的な関係にあるということ。相手を信頼することができ、その相手もまた自分を信頼している。そんな関係です。それは、「家の主として、あるいは父親として、自分より地位の低い人と暮らす」というような状況から脱することです。

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この「自分と対等な立場の相手と暮らす」ということは男性にとっても魅力的なことであるはずなのです。さらに、自分と対等な人と暮らすということは、自立にもつながります。つまり、自由にそこから立ち去ることも可能になるのです。自由であるという感覚はとても心地よいものです。同時に、対等な誰かと分かち合えるという感覚も心地よいもので、簡単に支配下に置ける相手を探すなんてことは多くの人にとって、面白くもなんともないことなのです。

「キングコング・セオリー」が刊行された14年前、サイン会に来るのはほぼ女性ばかりでした。そして時間が経つにつれて、若い男の子たちがこの話に興味を持つようになってきました。フェミニズムというのは彼らを否定するようなものではない、ということがきちんと伝わったからだと思います。

彼らはネットなどを利用して情報収集をしながら理解を深めています。彼らがこうして関心を示す構図というのは、白人である私が、アメリカのポストコロニアル理論に興味を持つのと同様だと思います。私は白人ですから、抑圧を受けた当事者ではありませんが、政治的かつ理論的な意味での頭のエクササイズだと考え学んでいるのです。こうして、世界で何が起きているのかを理解し始めた男性たちがいる。だから世界はより良い方向に進んでいるのかもしれないと思えるのです。

父権制を捨て、戦争をやめたときが「フェミニズムの終焉」

Photo by Priscilla Du Preez on Unsplash

——フェミニズムに終わりはくると思いますか?

その終わりを私が見ることはできないでしょうが、いつかきっと終わりは来ると思います。そうあってほしい。私はなんだって可能だと思っています。もっとも酷いことも、逆に美しいこともすべて可能だと。ですからある時点で「もう意味のない戦争はしないし武器を製造したり、武器で解決をすることもやめる。別の方法を考えよう」、そんなときが来る可能性はあると思います。それこそがフェミニズムの行き着く先ではないでしょうか。

戦争こそが男性的なものです。私たちが知る歴史上の男性たちは、権力を維持するために戦争を続けてきました。しかし問題が発生したときに、世界規模で「もう殺し合いではない別の方法で解決を探ろう」という時期が来ることは可能だと思います。もちろんそれは今すぐではありません。ただある時点でフェミニズム思想が十分に力をもち「父権制は捨て去り別の方法で進もう」という時代がくると思います。

父権制の終わりを求めるのであれば、フェミニズムがその役割を果たすと思います。そうなれば、フェミニズムはそこで終焉を迎え、別のものになるでしょう。ただ今の時点ではまだそこまでは到底達していません。

——フェミニズムとは反暴力ということでしょうか?

そうではないです。暴力と男性は別物です。フェミニズムはこれからもデモをするでしょうし、戦い続けます。しかし、例えば国境を決めることなどに関しては、血みどろになって武器を振りかざすのはもうやめよう、という流れを作ることは可能だと思います。より強い武器を有している方が決定権を持つのではなく、別の方法を選択するというのは、あり得ることです。

戦争、搾取、レイプは資本主義が地続き

——お金と暴力、資本主義についてはどう考えますか?

資本主義、お金と武器というのは切っても切れない関係です。武器を製造するとしたらそれは売るためですし、戦争もたいていお金のためにします。ですからある時点で戦争を諦め、別の方法での交渉が可能になったとしたら、その時点でもうそれは資本主義ではなくなります。そうなると、「自分のために働いてほしい。でもあなたが幸せでもあってほしい」となります。それはもはや資本主義ではないでしょう。

戦争と資本主義には弱いものを搾取する考え方が根本にあるのですから。みんなが納得するように交渉をして物事を決めるという世界では、週60時間働く義務もなくなります。労働を強いられる子どもたちもいなくなるでしょう。私は武器を捨て去れば、こういう世界が訪れると思っています。

そして大体みんなが合意した状態で共生できるようになるでしょう。もちろん各自がそれぞれ少しずつ努力をする必要はあると思います。でもそれは同意の上での努力。するとレイプもなくなるでしょう。たくさんの人とセックスがしたければする。でもそれは各自と同意のもとでのセックスです。だから性的行動というのが、レイプを含まないものになっていくのです。このように、私にとってこれら全ては繋がっている話なのです。

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モテる女性にとっても「今日も男性にモテる」なんてどうでもいい

——『キングコング・セオリー』は、「私はブスの側から書く」と始まります。また、そこから続く女性の描写は、多くの女性読者が「自分のことだ」と感じたのではないかと思います。いわゆる「普通の女性」の立場にいることを伝えたのでしょうか?

80年代、90年代にフェミニストだというと、それは自分が醜いからだろう、というふうに言われることが多かったので、それに対して私は「ブスの側」と書いたのです。今ではそんなこともなくなってきました。以前は「フェミニストである」というと、それは男性から好かれないからだろうなどと言われたわけですね。男性から好かれていればそこまでフェミニストにはならなかった、という考え方です。

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そんなことを言われる前に、私のほうから言ってやったというわけです。そうですよ、ブスの側から書いていますよ。でもそんなことどうでもいいんだと、冒頭で提示したのです。問題はあなたたちに気に入られるかどうかということではありませんから。どっちにしろ私は私。そしてあなたたちがブスだと思ったフェミニストは私が最初ではないでしょうが、そんなこと私にとってはどうでもいいんだと。

これが刊行されて、全くブスではない女性たちがこの書き出しを気に入ってくれたことには少し驚きました。私たちにとって重要なのは、男性に気に入られるかどうかではない、ということなんですよね。男性からすごくモテる女性たちからしても、「私は今日も男性にモテる」なんて大して重要ではないということです。

「キングコング・セオリー」ヴィルジニー・デパント著/相川千尋 訳

人気女性作家が17歳の時に経験したレイプ被害と、その後の個人売春の経験をもとに、性暴力、セックスワーク、ポルノグラフィについての独自の理論を展開するフェミニズム・エッセイ。自分自身を、男性でも女性でもないカオスな存在としての「キングコング」にかさね、ジェンダー規範にとらわれない女性の在り方を、力強く、小気味いい文体で模索していく。

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■著者プロフィール

ヴィルジニー・デパント Virginie Despentes

1969年、フランス・ナンシー生まれ。現代フランスを代表する女性作家。小説、エッセイの執筆や映画製作、翻訳、歌手活動など多方面で活躍する。パンクロックのライブに通い10代を過ごす。15歳の時に精神病院に入院。1994年に『バカなヤツらは皆殺し』(原書房 刊)で作家デビュー。本書『キングコング・セオリー』でラムダ文学賞(LGBTを扱った優れた文学作品に与えられる賞)、『ヴェルノン・クロニクル』(早川書房)でアナイス・ニン賞など、これまでに10あまりの文学賞を受賞。俗語を多用した口語に近い文体で、社会から排除された人々や、現代に生きる女性たちの姿を描く。シャルリー・エブド襲撃事件や性的暴行で有罪となったロマン・ポランスキーのセザール賞受賞、BLM運動にいち早く反応し、メディアに寄稿文を投稿するなど、現実社会に向けて常に発信を続ける作家でもある。35歳の時に女性に恋をしたことをきっかけに、レズビアンになったことを公表している。

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