30代。友人のリアルな妊活話にわが身を振り返る

33歳、夫とふたり暮らし。初めて子どもを産むには、母体と赤ちゃんへのリスクが高まる「高齢出産」となる35歳をあと1年ちょっとで迎える。

最近、同世代の友人から不妊治療の話を聞くことがぐんと増えた。

「お金と時間をかけても、結果が見えなくて想像以上にメンタルに来る」

「こんなに子どもができないなんて思わなかった……」

今まで進路も仕事も、努力して結果をつかみとってきた友人たち。だからこそ自分たちだけではコントロールできない生命の神秘に翻弄され、すっかり消耗してしまっていた。聞いているだけで胸が苦しくなる。彼女たちの頑張りが、どうかどうか報われますように。

一方で、周りのみんなが望むその未来に、どうしても同じモチベーションになれない私が存在することに気づいた。

「子どもを積極的に望まないのって、おかしいことなのかな?」純粋に友人を応援したいのに、気づけばいつも自分への問いかけへと戻ってきてしまう。自己中心的な考えに思えて、我ながら情けなくもなるけど、これがまぎれもない本音だ。

職場や家族からの言葉にモヤモヤ。結婚=子どもを持つこと?

「子どもが欲しい」という気持ちは、どこから生まれてくるのだろう。

私は妊娠も出産も育児も未経験なので、そもそも「欲しいかどうかがわからない」が正しいかもしれない。自分に似るのはちょっと怖いけど、夫の遺伝子を持つ子どもには会ってみたい。親になることで得られるであろう体験を、一度くらいはしてみてもいいんじゃないか。そう思うことはある。

でもそれは、未知なる体験への好奇心という側面が強く、自分のエゴのために子どもを利用してしまうんじゃないか……と考えると恐ろしい。

ほかにも、夫婦や自分のための時間は必ず減ってしまうこと。自分の身体に大きな変化をもたらすこと。子どもをちゃんと育てられるのかという不安。子どもを持つことに対して、前向きになれない理由はたくさん見つかる。

でも、「既婚者」=「親になる準備ができている人」としてみなされることが多い。結婚して1年も経つと、親族から「子どもはどうするの?」と、それとなく聞かれるようになった。職場の上司にも、面談のときに“遠くないうちに迎える産休・育休”のタイミングを暗に探られているような気がする。

まるで「結婚」というベルトコンベアに乗っかると、「子どもを望むルート」に進むのが当然みたいだ。私の気持ちを無視して、勝手にベルトの道順を「はいどうぞ」と用意されてしまうような感じに、なんだかモヤモヤしてしまう。

夫と過ごす「ふたりの日々」を何よりも大切にしようと決めた

2年前、結婚を決めたときに、子どもを持ちたい意思が明確になかった私は夫に聞いてみた。

「もし私がずっと子どもを望まなかったり、望んでも産めない身体だったりしたらどう思う? 正直、イヤ?」

夫は少し考えたあと、こう答えてくれた。

「子どもがいたら楽しいとは思うけど、“子どもを持つこと”自体はマストではないかな。結婚するのは、君と一緒にいたいからだし」

“結婚”と“子ども”をセットにせずフラットに考えていてくれたこと、その上で「私と一緒にいる生活」を選んでくれたこと。それが素直に嬉しくて、「この人とならどんな人生の選択肢も楽しめそう」と思えた。

それから夫と、「ふたりの人生に“子どもを持つこと”は必要なのか?」「私たちは、結婚生活において何を大切にしたいのか」というところから話し合い始めた。その結果、いったん不妊治療は行わないことにしようと決め、子どもを持たない人生もアリだよねと落ち着いた。

親になれば、大変なこともたくさんありつつ、ものすごいスピードで成長する我が子に日々感動するのだろう。

だけど、目の前にいるパートナーとじっくり向き合って、お互いの小さな変化や気持ちの動きを共有していくのもまた、かけがえのない毎日だと思うのだ。不妊治療には、多くの精神的・物理的・金銭的なリソースが求められる可能性があるのも事実。私たちは、ふたりで過ごす毎日を何よりも大切にすることを選んだ。

リミットへの焦りと、世の中、そして自分の価値観と

子どもを持つか、持たないか。

この問いを考えるにあたってむずかしいのは、「年齢によるリミットが明確に存在する」点ではないだろうか。個人的には年齢は記号に過ぎないと思っているし、キャリアチェンジだって人生を見つめ直すことだって、いつからでも遅くはないはずだ。ただ、自分たちの力で新しい家族を迎えるには、どうしても年齢に限界がある。

日本産科婦人科学会のサイトにも、「35歳前後から、だんだんと妊娠する力が下がり始め、40歳を過ぎると妊娠はかなり難しくなります」と書かれている。さらに、妊孕性(妊娠する・妊娠させる力)は加齢の影響だけでなく個人差も大きく、子どもを望んでも必ず授かるとは限らない。

もちろん、周りに30代後半や40代で子どもを授かった人をたくさん知っている。働き方や生き方がこれだけ多様化している現代。だけど、子供を持つことに対して「その気になれば、いつでも遅くないよね」と言うのは無責任に思えてしまう。

リミットに対する焦りと、「子どもについて真面目に考えたい」「結婚したら子どもを望むのが当然だ」という意思や世の中の価値観が、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってくる。そうなると、私のように本当は自分がどうしたいのか見えなくなってしまう人は多いんじゃないかと思う。

人生は現在進行形。これからも、ふたりで選んでいく

この夏、私の祖父が急逝した。夫婦として家族を見送る経験をしたことで、実は少し心境に変化が生まれた。それは、祖父からもらったこの命のバトンを繋ぐことに、もっと前向きになってみてもいいんじゃないか、と思うようになったことだ。

葬儀を終え帰宅し、寝る前に暗い天井を見つめながらその気持ちを打ち明けたら、夫も同じ気持ちを持ってくれていた。お互い30歳を過ぎて結婚した私たち夫婦に、残されたリミットは少ないかもしれない。まずは自分たちが子どもを授かれる可能性がどのくらいあるのか調べてみようという話にもなった。

世の中のよくある家族観や夫婦像だけに流されて、私たちの幸せを見失いたくはない。お互いの気持ちを日々共有して、「何を大切にしたいのか」を軸にこれからも話し合っていくつもりだ。

ランドリーボックスでは、特集「これからのパートナーシップ〜どう伝える?どう寄り添う?〜」をはじめました。

生理、PMS、不妊治療…。

女性のからだや心にまとわりついてくる体調不良の数々。

パートナーが理解して寄り添ってくれれば…と、ついつい思ってしまいます。

こんなとき、みなさんはどうパートナーに伝えているのでしょうか。

また、パートナーはどんな気持ちで寄り添っているのでしょうか。

ランドリーボックスは、様々な人たちの声を聞きました。

お互いに理解し、寄り添う二人の選択肢のひとつになれば幸いです。

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