子どものころ、誰かに言われて傷ついた言葉はありますか?
もしかしたら、大人になった今もその言葉を呪いのように反芻して傷ついたままの人や、無意識のうちに誰かに言ってしまった経験がある人もいるかもしれません。
先日、幼少期の頃の写真を見返していたときに、小学生時代のアルバムのメモ欄にこんなことが書かれているのを見つけました。
「ピースするブタ」「ブヒブヒ!」など、ぽっちゃり体型の私を冷やかすような文章です。
そんなアルバムの存在はすっかり忘れていましたが、おそらく兄姉が、太っている=「ブタ」と表現することが面白いと思って書いたのでしょう。
当時は体型について学校でもからかわれていましたが、一部の兄姉にも「あなたがデブだと友達にからかわれるから一緒に遊びたくない」と言って拒否されたり「太っていてバカなんて最悪だよ。勉強しなさい」と体型を絡めてプレッシャーをかけられたりしていました。
発言した人にも実はコンプレックスがあるかもしれない
子どもの頃は、体型について批判されると傷つく反面「自分が太っているのだから、言われても仕方がない」という気持ちにもなっていました。怒ったところで「悔しかったら痩せれば?」と言われて更に責められたからです。
本来は味方であってほしい家族にも「みっともない」「恥ずかしい」と否定される経験というのは、子どもの自分にとって居場所がなくなるような感覚だったかもしれません。
私は小学生の頃から自己嫌悪のかたまりでした。
しかし今となっては、実はその兄姉が自分自身の見た目にコンプレックスがあったのだと思うようになりました。きっと誰かに言われて嫌な経験をしたり、自分で気にしていたから、他者である私に対して同族嫌悪のようなものを抱いていたのかもしれません。
とくに家族ともなると「自分だけは本当のことを言ってあげている」という感覚にもなりやすいですし、弱い立場の妹に対してアドバイスのつもりで傷つけていることに気付いていなかったのだと思います。
そうは言っても、当時傷ついた私の経験は事実に変わりはありません。
自分が受けた「見た目の評価」を下の世代に伝えていませんか?
赤ちゃんや子どもに対して「女の子なのに、一重まぶただとかわいそう」「ママ(パパ)に似れば良かったのにね」と、まるで失敗作のように残念そうに見た目を評価する大人もいますが、それもその人自身の価値観を投影しているのだと感じます。
一重まぶたで嫌な経験をしたことがあったり、見た目に対してコンプレックスを抱く経験があったことを、目の前の子どもに重ねて「あなたはまだ子どもだから分からないと思うけど」という枕詞でさとしたりするのです。
本人としては親切心で言っているのかもしれませんが、自分が受けた見た目の評価を当たり前のように下の世代に伝えていく限り、むしろ同じように苦しむ価値観を持続させていくことになると私は思います。
とくに子どもは大人の力を借りて生きていかなければいけません。そんな時期に、どんな理由であれ「あなたは残念な存在」「失敗だった」と思わされることは、とても大きな傷つきになります。
では、そんな傷つきを抱えている場合、どうすればいいのでしょうか。私なりにやってきたことをまとめてみます。
「傷つきの言葉」に対してできること
①もともとは誰の言葉?と問いかける
まず、今現在抱えている「傷つきの言葉」について、それは誰に言われたのか、元々を辿ってみること。
自分では忘れていても、よく思い出してみると実は誰かの言動がきっかけになっていたり、直接的に言われていなくても、父親が母親に対して言っていたとか、他人が言われているシーンを見て恐怖を感じていたということもあります。
そして、この傷つきの言葉の持ち主は、もともと自分自身の言葉ではなく、発言していたその人自身の価値観だということに気づくこと。発言者自身が気にしていたり、上の世代に言われてきたことだったりするからです。
②反芻は自己防衛だと気付く
心が傷ついた経験というのは、楽しかった経験よりも記憶に残りやすいそうです。
嫌なことやつらかったことほど鮮明に覚えていて、思い出すと今起きているかのように胸がぎゅっと苦しくなるような感覚になったりしますよね。これは、「気をつけなければ」という自己防衛で体の感覚としても記憶しておくのだそうです。
厄介な仕組みですが、つまり言葉の反芻は自分を守るために起きていること。不快な過去の言葉を思い出したときは私は「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせてあげます。
③本当はどんな気持ちになったか気付く
不快な思いをしたのに1人で我慢していたり、優しくしてもらいたかったのに正反対のことをされたりすると、「本当はこうしたかった」「本当はこうしてほしかった」「今ならこうするのに」という気持ちを頭の中でぐるぐると抱え込んでしまいがちです。
そんなときには、紙に書いたり声に出したりして、外に出してあげましょう。自分で自分の気持ちにふたをせず認めてあげると、心が落ち着いてくることがあります。
④いま、周りにどんな人がいるか気付く
私は以前「誰も自分のことを受け入れてくれない」「どうせ私は孤独」と思っていた時期がありました。
でも、実は自分を否定しない人や、受け入れてくれている人がすでにいるのに気付いていなかったり拒んだり、むしろ傷付けてくる人に自ら近づいていたりしました。
どんな人とどんな距離感で付き合うのが自分にとって良いことなのか、この先どんな人と出会いたいのか、改めて見直してみるのもおすすめです。
なによりも1番大事なことは、他人に言われた嫌なことを鵜呑みにして自分の価値観として内面化し、他の誰かに伝えていかないことだと思います。
さて、実は今回がランドリーボックスでの最後の連載記事となります。これまでお読みいただいたみなさま、本当にありがとうございました!
今回の記事で私を初めて知ったという人も、今までさまざまなテーマについて執筆してきたので、ぜひ、さかのぼって読んでいただけると嬉しいです。
SNSは引き続きやっていきますので、感想などあればSNSでお待ちしています。またどこかでお会いしましょう!