今回のコラムがついに最終回。最後は、社会や他人が何と言おうと、「あなたはあなたのままでいい」ことを綴りたいと思います。
社会の「普通」とは違う自分がきらいだった
子どもが楽しそうに遊んでいる…。これが、以前の私が持っていた結婚後の家族のイメージでした。
しかし、30歳のとき、不妊という壁が目の前に立ちはだかりました。
はじめは前向きな気持ちで不妊治療をスタートしたものの、望んだ結果はなかなか出ない。
そのような状態で過ごす日々は、焦りと不安におしつぶされそうで、泥沼に沈んでいくような心地でした。
世の中の「子どもを育ててこそ、一人前」という言葉が、自分のほうへ鋭く向けられ、私は、子なしの状態でこれからの人生をどう歩んでいけばいいのか分からなくなりました。
自分が不妊であるという事実を受け入れられない。子どものいない私自身も嫌で仕方がない。自己肯定感は下がるばかりでした。
「子どもがいる人は経験が豊富で、子どもがいない人は未熟」という、子どもの有無で優劣を決める言葉を言われたこともありました。
「子どもがいない」というただ1つのことだけで、人としての価値をジャッジされてしまうと、正直いやな気持ちになります。
いつの間にか、「私は子どもがいないぶん、ほかの人より頑張らないといけない」「子育て以外で、子育て同等の経験をつまなければいけない」と考えるようになりました。
無意識のうちに、子どものいる人と同じように誰かから認めてもらおうとしてたのかもしれません。
今思えば、周りの声ばかりが気になり、自分に軸足がなかったと思います。
周囲や社会に認めてもらうために生きることは、いったい誰のための人生?
「自分は自分。子どもがいないだけ」と言えるようになった
不妊ではなくとも、子どもを持たない夫婦もいますし、そもそも生涯シングルの人もいます。
それぞれの人生で、それぞれの理由があり、どれが普通ということはありません。
また、ずっと叶えたいと思っていた目標が達成すると、今までの苦労が報われた気持ちになると思います。このような努力が報われる経験は自分に自信をつけてくれますよね。
残念ながら私の場合は、出産して子どもをもうけるという願いが叶うことはありませんでしたが、別の方法で、泥沼に沈んだような自信を取りもどし、自己肯定感はV字回復。そして今に至ります。
その方法は、決して養子を迎えたからではありません。
どんな方法で自己肯定感が回復したかというと、私が私のままでいられる場所を見つけた、そのままの私を認めてくれる人に出会ったということです。
子どもの有無や、家庭環境で線引きせず、私の内面をみてくれる人に出会いました。
それまでの私は、自分の努力が実る経験ばかりに目を向けていましたが、努力をしている姿を認め肯定してくれることもとても大切なことだと気づきました。
結果ではなくプロセスを大切にできるようになったのです。
自分を認めてくれる人の輪の中にいると変化が現れました。飾らず、隠さず、自然体でそのままの自分でいられること。少しずつですが、気がつけば不妊の自分を受け入れられるようにもなっていました。
そして、「自分は自分であり子どもがいないだけさ」と言える強さを手に入れました。
不妊を経験したから今の自分がある。現在の不妊ピア・カウンセラーとしての仕事も誇りと言えるようになりました。
たとえ、周りの人間が「子どもがいない人にはわからない、未熟だ」と言おうとも、その言葉に揺さぶられることはもうありません。その言葉を言う人のほうが、未熟なんだと心のなかで思えばいいんです。
あなたの人生はあなたが選択していい
44歳のとき、私は特別養子縁組で0歳の息子を迎えました。
もし、子どものいない自分が嫌で、そのつらさを埋めるため、自分を認めてもらうために特別養子縁組制度を利用してしまうと、それは決して「子どものための制度」とは言えないでしょう。周囲の反応が、自分の期待とはちがっていたとき、「認めてもらえなかった」「こんなはずではなかった」と思ってしまう危険があります。
「私は私のままでいい」と思えたこと。そして、その私で息子を迎えたことは、今、目の前にいる息子の子育てに大いに影響しています。かつての私が尊重されたように、息子も尊重していきたいと思っています。
勉強ができる子か、静かに言うことを聞ける子か、いい大学、いい就職先といった条件つきの愛情ではなく、無償の愛を注ぐことが健やかに育つために必要だと心から信じることができました。
まだまだ一般的には「普通」と考えられている、結婚や出産。
そのことで窮屈に感じることがあれば、あなたの人生はあなたが選択していいと言うことを最後にお伝えしたいです。
子どもの有無であなた自身の価値は変わりません。
「みんな結婚するから…」「子どもを産むのが普通でしょ」という世の中の「当たり前」ではなく、あなただけの理由をぜひ探してみてください。その答えは、あなたをこれから支えてくれる宝になります。自分の選択に納得して、この先の人生を歩むことができます。
私が経験した、不妊治療をやめる選択、子宮全摘出の選択、養子を迎える選択。どれもとても大きな選択の連続でした。これからもあらゆる場面で選択し続けるでしょう。これを読んでいるあなたも、なにかを選択するとき、どうか自分を軸にしてほしい。
養子を迎え、子どもの世界に足を踏み入れてから3年が経ちました。
子育てをする側になりましたが、「子どもを育ててこそ一人前」と上から目線の気持ちになったことはありません。
オムツの種類や哺乳瓶の大きさなど、子育てが未経験だとちんぷんかんぷんなことはありますが、そんなことはわからなくて大丈夫だし、そのことと人として優れているかは無関係です。
私にできることは、かつての私と同じような子どものいない人や、少数派の立場の人の気持ちを忘れないこと。
あなたはあなたのままでいい。どんな立場の人たちも生きやすい世の中に…。
そんな願いを込めて、コラムの最終回としたいと思います。